ポストBTS時代を見据えたHYBEのグローバル戦略──大手J-POP企業の買収はあるのか?
兵役によるBTSの活動休止
9月20日、BTSが3年ぶりに国連本部で演説をした。韓国の「未来世代と文化のための大統領特使」としての演説だ。新型コロナウイルスによって大きく変化した世界に対し、彼らは若者たちの未来の可能性と希望についてメッセージを発した。
いまや世界のトップスターとなったBTSは、今年も「Butter」「Permission to Dance」と大ヒットを続け、来年のグラミー賞の有力候補と目されている。
だが、そんなBTSには遠くない未来に活動休止が待ち受けている。兵役があるからだ。韓国では28歳までに男性は入隊し、2年弱の兵役を務めなければならない。
昨年BTSのために2年間延期できる特別法も成立したが、それでもメンバー最年長のJINには2022年末の入隊期限が迫っている。それもあって、おそらく来年からメンバーが続々と入隊し、少なくとも2年ほどの活動休止に入る可能性が高い。
所属プロダクションであるHYBE(旧・BigHitエンターテインメント)にとって、このBTSの一時停止は会社の存続にかかわる問題だ。そうしたポストBTS時代を見据え、ここ数年のHYBEは非常に積極的な事業拡大を続けてきた。
前例のない同業他社のM&A
HYBEが進めてきた事業拡大は、まさに怒涛の勢いと言えるほどだ。日本の芸能界では決して見られないその展開は、2022年以降のK-POPと世界の音楽シーンに大きなインパクトを巻き起こす序曲でもある。
最初に取り組んだのは、BTSの“弟分”となる新たなボーイズグループだった。2019年にTOMORROW X TOGETHER(TXT)をデビューさせ、そして昨年にはCJ ENMとの共同プロジェクトからENHYPENを生んだ。ともに順調に人気を拡大させている。
それに加えて、複数の同業他社にM&A(合併と買収)を仕掛けてアーティストのラインナップも拡充し続けてきた。まず昨年7月にソース・ミュージックを買収し、同年10月にはボーイズグループ・SEVENTEENやNU'ESTが所属するPLEDISエンターテインメント、同年11月にはKOZエンターテインメントと立て続けに傘下に収めていった。
今年8月には、CJ ENM傘下OFF THE RECORD所属のガールズグループ・fromis_9をPLEDISに完全移籍させた(同グループはデビュー当初からPLEDISがプロデュースを担当していた)。
宮脇咲良の新ガールズグループ
こうしたなか現在注目されているのは、BTSの“妹分”となるガールズグループの誕生だ。その中心メンバーは元IZ*ONE(HKT48)の宮脇咲良だと噂されており、他にも同じく元IZ*ONEのキム・チェウォンを引き抜いてメンバーに加えると推定されている。このふたりは旧所属プロダクションとの契約満了を経た上でのヘッドハンティング(FA移籍)と見られ、グループは年内デビューの可能性が高い。
また、2019年にグローバルオーディションを行っており、さらにもう一組ガールズグループをデビューさせる可能性もある。日本においても、LDHと共同でガールズグループをプロデュースすることが7月に発表された。NiziUやJO1、INIのような、“K-POP日本版”にも乗り出すということだ。
こうした新グループのために、HYBEは十分な準備をしてきた。なかでも大きいのは、少女時代やEXO、Red VelvetなどのブランディングをSMエンターテインメントで手掛けてきたミン・ヒジン氏をCBO(最高ブランド責任者)としてヘッドハンティングしたことだ。年俸5億ウォン(約5000万円)と言われる彼女は、独自のレーベルを立ち上げると予想されている。
時価総額はavexの15倍
同業他社のM&Aやアーティストの獲得、さらにスタッフのヘッドハンティング──韓国芸能界でも過去に見られなかった大胆な展開を可能としたのは、昨年10月にIPO(新規株式公開)を果たしたからだ。
公開直後に高値をつけて日本でも大きく報道されたが、株価はその後順調に推移し当初から1.4倍にもなった。現在、同社の時価総額は、約11兆ウォン(約1兆円)に膨らんでいる。他の大手であるYG、SM、JYPの時価総額がそれぞれ1兆ウォン台、日本のavexが約680億円であるのと比べると、いかに大きいかがわかるだろう。
今年に入ると、3月に社名をBigHitエンターテインメントからHYBEに変更し、本社も26階建ての新社屋に移転した。
この直後には、アメリカ支社を設立する。そして5月にはアリアナ・グランデやジャスティン・ビーバーが契約しているアメリカの大手エージェンシー・イサカ・ホールディングスも買収した。
マーケットから資金を調達することで、グローバル展開の基盤も作ったのである。
ファン向け動画配信サービスの拡大
その一方で、K-POPファン向けの動画配信プラットフォームでも活発な動きを見せている。2019年にローンチしたサイト・Weverseは、今年ネイバーから譲渡されるV LIVEと統合されることが発表された。また、日本でもSHOWROOMと資本提携し、同社のアプリ・smash.で独自コンテンツを発信している。
スマートフォンとSNSが浸透した2010年代に人気を拡大させたBTSの強みは、「ARMY」と呼ばれる全世界に広がるファンの厚みだ。そうしたファンに向けて、持続的にコミュニケーションと情報発信をし、そしてファンダムの維持をWeverseを通じて行っている。しかもこのサービスは、BTSだけでなくK-POPの他のアーティストにも開かれている。今年1月にはYGエンターテインメントに投資して協力関係を強め、WeverseにBLACKPINKなどを引き込むことに成功した。
このサービスは、コンペティターとともにK-POPのさらなるグローバル展開をしていくことが目的でもある。それはファンクラブの先にある、芸能プロダクションの新たなビジネスモデルと言えるだろう。
J-POP企業を買収する可能性
新グループの制作、同業他社の買収、IPO、動画配信プラットフォームの展開──来たるべきBTSの活動中断に向けて、HYBEは万全の体制を整えようとしている。
こうした展開のなかでひとつ欠けているピースがあるとすれば、それは日本での事業拡大だ。もちろん前述したように、宮脇咲良の獲得、LDHとガールズグループの共同プロデュース、そしてSHOWROOMとの資本提携と、動きがないわけではない。しかし、アメリカ・イサカHDを買収したほどのインパクトはない。
ここから考えられる可能性はふたつだ。
ひとつは、HYBEが日本のマーケットを軽視していることだ。もうひとつは、今後より大きな動きが生じる可能性だ。
この両者はともに考えられうるが、可能性が大きいのはやはり後者だろう。というのも、K-POPにとって日本のマーケットは非常に重要だからだ。
下のグラフは、韓国音楽産業の輸出額の推移とその内訳だ。
最新のデータである2019年は、BTSとBLACKPINKのヒットによって、欧米のマーケットを急拡大させた。だが、依然として音楽輸出額の半分ほどを日本が占める状況は変わっていない。政治問題によって中国市場の開拓が進まないなか、日本はK-POPにとってまだまだ重要なマーケットだ。
以上を踏まえると、HYBEの日本における事業拡大はまだ静かという印象だ。よって、今後なんらかの大きな展開が見られる可能性がある。具体的にはやはりM&Aや資本提携だ。
そうしたとき、HYBEにとって魅力的に映る日本の音楽系プロダクションはかなり限られる。具体的に名前は挙げないが、考えられるのは数社のみだ。
日本から流出する有能な人材
韓国芸能界にとって、HYBEの怒涛の事業拡大はこれまでの業界風土を一変させる大きな変革だ。大手のトップが顔見知りで、のれん分けをして勢力を拡大し、談合的に所属芸能人の引き抜きを防止して業界の秩序を保つ──もはやそれは2000年代までの話だ。
K-POPのグローバル展開とともに、各社の経営も国際的な競争を睨んだものに変化している。アーティストやスタッフなど人材獲得が、国をまたいで行われるのもそのためだ。
それは、他業種では当然のビジネススタイルでもある。世界トップの総合家電・通信機器メーカーに成長したサムスン電子やLGも、日本の有能な技術者をヘッドハンティングして拡大してきた。たとえば、2013年以降にパナソニック(元三洋電機)の電池技術者が10人以上サムスンに引き抜かれたと見られている(大西康之『東芝解体──電機メーカーが消える日』2017年)。宮脇咲良のHYBE移籍は、それと同様の事態が生じているに過ぎない。
こうしたK-POPのグローバル展開においてしばしば耳にするのは、J-POPにその必要性がないとする向きだ。つまり、韓国はマーケットが小さいから海外に出ていくしかないが、日本はマーケットが大きいからその必要がない──とする認識だ。それは客観的な概観のときもあれば、人口の少ない韓国を蔑んだケースのときもある。ただ、なんにせよそれらは極めて内向きで、経済学的な視点も乏しい認識でしかない(そもそも自国マーケットの多寡を基準とするならば、アメリカのコンテンツ産業が海外に積極的に進出した理由を説明できない)。
音楽や映像などエンタテインメントは、経済学的には情報財に相当する。その特性は、自動車のような商品と異なり複製と流通のコストが限りなく小さいことだ。さらにデジタル化とインターネットによって、CDやフィルムのようなコストすら発生しなくなった。経済学で言うところの限界費用はかぎりなくゼロに近づいた。
K-POPや韓国ドラマ・映画は、このデジタル化とインターネットの波に乗ってグローバルに勢力を拡大させてきた。もはやそこではマーケットの国境は極めて曖昧であり、むしろ海外進出をしない理由がない。逆に日本の芸能界・エンタテインメント業界は、そうした状況をまるで読めないまま自国に佇み国内マーケットを奪われているにしか過ぎない。
しかも、ここまで見てきたHYBEの事業拡大は、グローバルな音楽産業の先頭を走るなかでの過程でしかない。旧態依然とした国内の業界慣習を大きく変えたことは、先に進んで見れば些細な過去でしかない。HYBEが目指すのは、ユニヴァーサルやワーナーのようなグローバルなエンタテインメント企業だからだ。
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