オートバイのあれこれ『ターボエンジンのペケジェー。』
全国1,000万人のバイク好きたちへ送るこのコーナー。
今日は『ターボエンジンのペケジェー。』をテーマにお話ししようと思います。
1970年代から80年代は、日本の二輪メーカーにとって成長期の時代でした。
欧米の老舗メーカーを追いかけるところから始まり、各社の開発力が一様に高まると、次には国内でメーカー間の技術競争が露骨になってきます。
そのようななかで生まれたものの一つが、ターボエンジンのオートバイでした。
まず最初にターボのオートバイを作ったのはホンダ。
1981年(昭和56年)、V型2気筒エンジンにIHI製の過給機を備え付けた『CX500ターボ』をリリースしました。
そして、ホンダの後を追うようにしてヤマハが82年にリリースしたのが、『XJ650ターボ』でした。
653ccの空冷4ストローク並列4気筒エンジンに三菱重工製のターボユニットを組み合わせ、CX500を8ps上回る90psのパワーを獲得。
ベースとなったエンジン(80年登場の『XJ650スペシャル』に積まれていたNAエンジン)の最高出力が64psでしたから、ターボユニットの力で約1.4倍パワーアップしていたということになります。
ターボエンジン搭載モデルは後にスズキやカワサキからも登場しますが、このXJならではだったのが、燃料供給システムにキャブレターを採用していたことです。
他のライバル三社は全てFI(フューエルインジェクション)を使っていました。
いちおうヤマハもFI仕様のXJを試作してみたものの、製造コスト、品質、そして整備性の観点から、当時のバイクの主流だったキャブレターをチョイスしたのです。
結果的にXJは、世界初のキャブレター&ターボ車となりました。
ちなみに、スズキは『XN85ターボ』(82年登場)、カワサキは『750ターボ』(84年登場)というターボ車をそれぞれ開発しています。
一時は日本の四大二輪メーカー全てがターボバイクをラインナップしていたわけですが、やはりオートバイとターボエンジンの相性はあまり良くなかったのか、ターボバイクは激動の時代の下すぐに消えていってしまいました。