愛が邪魔をする 津波・洪水からの避難行動の現実を考える #これから私は
津波や洪水の危険が迫ってきたら、自分の命を守るために高い所へ避難します。それは正しいのですが、現実には素早く逃げることのできない家族がそばにいたりします。そう、愛が避難行動を邪魔します。どうしたらいいのですか?
第一選択は素早く逃げる。だけど
究極の状態を生き抜くためには、自助しか手段がありません。自助で時間を稼ぐことのできた人が共助により、あるいは公助の助けにより、より安全な場所に上陸することができます。津波や洪水の危険が迫ってきたら、自分の命を守るために早期に一目散に高い所へ避難します。その通りです。これを第一選択と呼びます。
だけど、現実はどうでしょうか。無視できかねる理由により素早く逃げられない人、逃げ切れなかった人は、災害現場に必ずいます。第一選択を大切にしながらも、何か生き抜くための最終手段があっても良さそうです。
避難行動を邪魔する愛には、いろいろある
津波あるいは洪水の危機が迫り、いよいよ避難を決断する時が来たとします。ところが、一緒にその場にいる家族が、必ずしも素早く避難できるとは限りません。おじいさん、おばあさんの足腰が弱かったり、膝が痛くて思うように歩けなかったり。子供連れなら、真っ暗で土砂降りの中を正確に避難所に向かう自信がなかったり。いつ水が襲ってくるかわからない状況のなかで、愛する家族を守り切れるのでしょうか。
そういうときに、「愛車が私たち家族を守ってくれる」とか「愛着のある我が家が家族を守ってくれる」と思ってしまいます。バイアスがかかる瞬間です。「少々の雨や風だったら車や家の中でしのげる、そうやってこれまでやってきた。」長い年月の間に信頼関係を築いてきた愛車、我が家だからこそ、「今回も命を守ってくれる」と思い込むと、最後の退路を断たれることになります。愛は、時に避難行動における判断を狂わせてしまいます。
すべての愛を捨てれば、避難行動はもっと単純化されます。建前はそこをついているわけです。自分の命を守るのであれば、何も考えず、何にもとらわれずに避難することが大切。そして、大事になる大分前からゆっくりと時間をかけて避難すれば、少なくとも家族愛は捨てなくてすむことになります。でも、それでもダメな時はダメなのですが。
避難所は安全か
誰が「避難所」という言葉を付けたのでしょうか。この言葉によって、避難所が避難の最終目的地のようにも勘違いされてしまいます。避難所は、水に追いつかれる時間を少しだけ延ばす場所に過ぎず、確実に安全な場所ではないことは、東日本大震災で津波の被害を受けた宮城県東松島市野蒜小学校の悲劇が証明しています。
野蒜小学校は、東松島市の指定避難所で1960年のチリ地震津波の被害を受けずに済みました。東松島市が作成した津波防災マップの要避難区域にも入っていませんでした。なぜなら、直近の海岸まで直線距離で1.5 kmほど内陸にあったからです。「まさか、ここまで津波は来ないだろう。」
野蒜小学校の体育館に近所の住民がたくさん避難していたところに、津波が襲いました。その水位は床面からでも3 mほどの高さに達しました。カバー写真には、津波後の体育館の壁が写っています。ギャラリーの足下くらいの位置に、津波の痕跡が横一本の直線としてくっきりと残っています。
ここまでの水位ですから、多くの人がこの場所で津波にのまれました。車椅子で避難してきた近所の老人福祉施設の入居者。残念ながら、ギャラリーまで上がることができませんでした。さらに、ギャラリーが人であふれて、ギャラリーに上がりきれない人も多数いました。もちろん、その全員が津波にのまれていきます。想像するに、極めて厳しい状況だったろうと思います。
過酷な状況にも最終手段があった
お亡くなりになられた方がおられた一方、生き抜いた人たちも、この津波にのまれた体育館にいました。特にギャラリーに上がることのできなかった野蒜小学校の教職員、児童、そして児童の家族が襲い掛かった津波の中で生き抜きました。
最終手段。それは浮いて呼吸を確保すること。自分の力で、動物のラッコのように背浮きをして、海水が引くまで浮いていた児童、浮いた体育用マットにつかまって呼吸を確保した職員。それぞれが何らかの浮力を使って浮いて、そして海水が引いて足が地面につくまで呼吸を確保することができました。
春先の津波ですから、水温は想像を絶するほど冷たかったと思います。そしてすでに薄暗い時間になっていたと思います。そのように過酷な状況の中で、生き抜く方法があったわけです。
全員が呼吸を確保するには
東日本大震災の津波では、早期避難という第一選択をとれなかった人がいます。第一選択をとっても避難所が津波にのまれた人もいます。でも津波にのまれても生還できた人も大勢いて、その人たちに共通していたことは、浮いて呼吸を確保し、時間を稼いだと言う点です。ダウンジャケットのような厚手のジャケットを着用していた人、「赤ちゃんを絶対に離さない」と抱いていたら、親子の浮力で浮けた人。結果的に浮くことができた人たちばかりです。
ならば、最初から十分な浮力を使って浮くことができれば、いいのではないでしょうか。最終手段として浮いて呼吸を確保することができれば、逃げられなかった人、逃げ切れなかった人に対しても「まだ、諦めるのは早い」と言うことができそうです。
東日本大震災から10年が経った今、津波に流されながらも浮いて生還することができた安倍淳理事・副会長を中心に「ライフジャケットを着用しよう」と水難学会では啓蒙活動に動き始めています。
車椅子のお年寄りにも手軽に装着することができます。お年寄りに装着するために逃げ遅れそうな人も自分にもすぐに装着することができます。避難所に入ったら、「ここは一時的に浸水する時間を遅らせる場所」と認識して、全員がライフジャケットを装着することもあり得ます。
素早く逃げられる人でもライフジャケットをつけてほしいと思います。「いやいや、いきなり来る災害なんだから、買う暇なんてないんだよ」ということならば、代わりに中身の詰まったリュックサックやランドセルが緊急浮き具になります。
ライフジャケットや緊急浮き具を使って、図1や図2のように日頃から浮く練習も必要です。そして、共助あるいは公助によって浮いている人を救助する方法や、救助されるためにどうやって目立つかという練習も必要です。流れの中で、硬いもので体を傷つけないようにする身のこなしのための実技も重要です。
まずはいろいろな人の意見を聞いてみましょう
ライフジャケットや緊急浮き具を使った、津波や洪水から生き抜くための最終手段については、「見せてもらって、やってみる」講習会が全く始まっていません。そして、障害物が浮いている中でどの程度の流れや波に耐えられるか、具体的な試験が行われているわけではありません。だからこそ、何が心配なのかいろいろな人の意見を聞いてみたいと思います。
早期避難が第一選択であることについては、筆者はその考え方は正しく、その通りだと考えます。ただ、早期避難できない人の存在について無視していいのでしょうか。様々な理由で車内に残った、家に残った人は、「言うことを聞かなかった人」としていいのでしょうか。
水難学会では、早期避難の大切さと最終手段がどうあるべきか、みんなで考えるためのシンポジウムをオンラインで無料で公開します。シンポジウムに参加して、いろいろな考えに触れていただいて、現実の避難行動に関するすべてのことをテーマに、改めてご意見をいただければ幸いです。
【水難学会 オンライン・シンポジウム】
1.日時 3月26日(金)19:30~21:00
2.開催方法 オンライン
3.定員 300名(申し込み順)
4.参加費 無料ですが、オンラインに係る通信料は各自でご負担ください
5.テーマ 津波・洪水災害と「ういてまて」
―10年前の東日本大震災による津波災害や近年の集中豪雨による洪水災害を振り返り、水災害から「命を守る行動」を検討する ―
(1) 東日本大震災・宮城県 野蒜小学校津波災害と「ういてまて」
安倍 淳 氏(宮城県 (株)朝日海洋開発)
(2) 2018年 西日本豪雨災害(岡山県・愛媛県)と「ういてまて」
二瓶 泰雄 氏(東京理科大学 理工学部 河川工学・水理研究室)
越智 元郎 氏(愛媛県 市立八幡浜総合病院・麻酔科)
6.参加申し込み こちら