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『RIZIN.41』で芦澤竜誠に負けた皇治が引退を表明!だが必ず復帰する、その根拠とは─。

近藤隆夫スポーツジャーナリスト
地元・大阪で芦澤竜誠(左)に判定で敗れた皇治(写真:RIZIN FF)

突然の引退表明

「何も言うことはないですよ、最高でしょ。彼(芦澤竜誠)が相手やったから盛り上がりました。

最高のファン、最高のスポンサーさん、最高のトレーナーに支えられて、最高の格闘技人生でした。メッキが剥がれても、また貼ればいい。偽者と言われバカにされても必死にやれば生きていけることを証明してきたつもりです。

大口を叩いて負ける意味はよく分かっています。

応援のおかげで、33歳まで闘えました。すべての方に感謝していますし、自分自身にも『よく闘ってきたな』と思います。本日をもって皇治は引退します。ありがとうございました」

4月1日、丸善インテックアリーナ大阪『RIZIN.41』のメインエベントで芦澤竜誠(Battle-Box)に判定負けを喫した直後、顔の傷を隠すようにサングラスをかけてインタビュースペースに現れた皇治(TEAM ONE)は、そう話した。

突然の引退表明─。

そして、メディアからの質問を受けることなく会場を後にしている。

試合後、インタビュースペースに現れた皇治。「本日をもって引退します」と口にし、その場から去った(写真:藤村ノゾミ)
試合後、インタビュースペースに現れた皇治。「本日をもって引退します」と口にし、その場から去った(写真:藤村ノゾミ)

闘いの舞台は、皇治の地元・大阪。アリーナには多くの皇治ファンが集っており、戦前の大方の予想も「皇治優位」だった。

「圧倒して勝ちますよ!」

威勢の良い皇治の言葉を信じファンはリングを見守ったが、そこには「まさか」の展開が待っていた。

距離を保って蹴り中心の攻撃で試合を組み立てる芦澤が、まずは試合のペースを握る。皇治が距離を詰めていくが、そこに芦澤はヒザ蹴りを巧みに合わせた。

攻撃を喰らいながらも前に出る皇治と、それを捌き切る芦澤。互いに相手に決定的なダメージを与えるには至らずも、芦澤がペースを握ったまま白熱の9分間(3分×3ラウンド)は過ぎた。

試合終了のゴングが打ち鳴らされた直後、コーナーに駆け上り勝利をアピールする芦澤、顔を朱に染め厳しい表情の皇治─。

判定は2-1のスプリットデシジョンながら、「勝者、芦澤!」がコールされる。直後、興奮収まらぬ芦澤は静まり返ったアリーナで持ち歌の「ナマズ音頭」を熱唱した。

皇冶から判定勝利を収めた直後、リング上で『ナマズ音頭』を熱唱する芦澤竜誠(写真:藤村ノゾミ)
皇冶から判定勝利を収めた直後、リング上で『ナマズ音頭』を熱唱する芦澤竜誠(写真:藤村ノゾミ)

「嬉しい。死ぬほど嬉しい。勝てたのは支えてくれた人たちのおかげ。試合前の練習はきつくて苦しかったけど、それをやり切って作戦通りに闘えた。

俺は、試合を盛り上げるために皇治を挑発してきたんじゃない。むかつく奴に『むかつく!』と言ってきただけ。

生きざまの違いが試合に(結果として)表れた。物語は終了。キックボクシングは、今日が最後です」

ハイテンションで、そう話した芦澤は今後、MMA(総合格闘技)ファイターに転身する。

「いばらの道」を選んで欲しい

さて、皇治は本当に引退するのだろうか?

試合翌日には自身のYouTubeチャンネルで、引退を改めてファンに報告している。

だが私は、皇治がこのままリングを去ることはないと思っている。

芦澤に負けたことは、かなり悔しかったのだろう。自分の感情をコントロールするのも難しいほどに。だから即座に「引退する」と口にし、試合後もメディアからの質問を拒否した。

でもこの先、時間が経てば気持ちに変化が生じるのではないか。

まだ33歳だ。

(このまま終わりたくない)

そんな思いが湧き上がるであろうことは想像に難くない。

フロイド・メイウェザーとの対峙は遠のいたが、エイプリルフールの大阪の夜の屈辱を晴らさぬわけにはいかないだろう。

愛するファンの前で「皇治劇場」を「ナマズ劇場」に変えられてしまったのだから。

少し時間はかかるかもしれない。摩耗した心を癒し、また足のケガを治すのにも、それは必要だ。

それでも皇治は必ずリングに戻って来る。そして、その時は「いばらの道」を選んで欲しい。ここまで因縁のストーリーを紡いだ芦澤へのリベンジだ。

芦澤はMMA転向を決めている。ならば、リベンジのためには追うしかない。「トライアスロン」という用語で匂わせてきた経緯も踏まえ、皇治もMMAに身を浸すべきではないか。

それが、皇治の好きな言葉でもある「漢」というものだろう。

早ければ今年の大晦日、いや来年でいい。MMAで「皇治vs.芦澤竜誠」再戦が実現すれば面白い。

スポーツジャーナリスト

1967年1月26日生まれ、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から『週刊ゴング』誌の記者となり、その後『ゴング格闘技』編集長を務める。タイ、インドなどアジア諸国を放浪、米国生活を経てスポーツジャーナリストに。プロスポーツから学校体育の現場まで幅広く取材・執筆活動を展開、テレビ、ラジオのコメンテーターも務める。『グレイシー一族の真実』(文藝春秋)、『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)、『情熱のサイドスロー~小林繁物語~』(竹書房)、『柔道の父、体育の父  嘉納治五郎』(ともに汐文社)ほか著書多数。仕事のご依頼、お問い合わせは、takao2869@gmail.comまで。

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