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【都知事辞職】河野大臣が「副知事公選制」提言 メディアはなぜ"スルー"したのか

楊井人文弁護士
河野太郎内閣府特命担当大臣の記者会見(6月14日、政府インターネットテレビより)

舛添要一東京都知事がついに辞職に追い込まれた。新聞各紙は6月14日夕刊で早々に「辞職は不可避に」「辞職へ」と大見出しをつけた。同日夕方の議会運営委員会理事会では、舛添氏はまだ続投の意思を示し、夜まで議会との攻防が続いていた。結果的に誤報とならなかったが、危うい「見込み」報道だったのではないか。

この間のメディアの報道の問題点については、既に各方面から指摘がなされているが(*1)、私がとくに気になったことを書き留めたい。

1つ目。一部報道によると、舛添氏は14日夕の議運委理事会で「毎朝、テレビに追いかけられ、泣きながら帰って来る」「子どもも殺害予告をされている」と述べたという(日刊スポーツ6月14日付記事)。

この発言はほとんど報じられなかった(一般紙で確認できたのは、朝日新聞のみ)。事実関係は定かでないが、たとえ舛添氏本人が厳しい政治的追及を免れないとしても、子どもを巻き込んでよいはずがない。度を越した取材はなかったか、「殺害予告」という卑劣な"事件"をなぜ無視したのか、きちんと検証されるべきである。

6月14日付夕刊各紙(読売新聞、東京新聞、毎日新聞)
6月14日付夕刊各紙(読売新聞、東京新聞、毎日新聞)

2つ目。給与を全額返上して9月の定例会で審判を受けたいという舛添氏の提案を「身勝手な理屈で延命を求めているように映る」(毎日新聞6月14日社説)と一蹴したように、メディアは即刻辞職論一色に傾いた。舛添氏がこのタイミングで辞めるのが適切なのかどうかについて、理性的な議論が許されない状況を作り出した。

舛添氏の辞職により、東京都知事選は7月31日に行われることになった。前知事が任期満了前に退職した場合、新知事の任期は「選挙の日」から起算して4年で(地方自治法140条、公職選挙法259条)、任期満了前30日以内に次の選挙が行われる(同法33条)。したがって、新都知事の任期は2020年7月30日までとなり、都知事選が7月24日〜8月9日の2020年東京五輪の直前か最中に行われることになる6月17日付読売新聞)。そうなることは少し調べれば分かることだった。

都知事選と東京五輪が重なって大丈夫なのか。自治体やメディアなどの限られた人的リソースが、2つのビッグイベントに分散されてしまってよいのか。五輪直前か最中に都知事が交代する可能性を生んでよいのか。そうした特殊な事情が、時の有権者の判断に影響してもよいのか。そうした点を指摘したメディアは皆無だったと思われる。

3つ目。河野太郎内閣府特命担当大臣(規制改革等)は、6月14日の定例記者会見で、知事が任期満了前に辞職するたびに多額の費用をかけて選挙を行わなければならないため、副知事をセットで選出し、知事が欠けたら副知事が昇格して残りの任期を全うするという制度改革も検討すべきではないかと提起した。しかし、多くのメディアはこの、いわば「副知事公選制」提言を全く報じなかった。もしくは、報じたとしても極めて不正確だった。

都知事の任期満了前の辞職は3代連続。実施費用が50億円とも言われる都知事選が、この5年で4回も行われる。果たしてそれでいいのか。河野大臣の提案は、少なくとも検討に値すると思われる。

ところが、河野大臣の発言を取り上げた朝日新聞読売新聞も、「知事と副知事をセットで選ぶ」という核心部分を省いて報じたため、趣旨が不明瞭となり、本人から苦言を呈される始末だった。

記者会見を見れば、河野大臣は舛添知事に関する質問を予想し、この案について話そうと準備していたことがうかがわれる。しかし、記者たちは大臣の提案に関心を向けず、もっぱら舛添氏"包囲網"につながる言質をとることしか頭にないようだった(河野太郎大臣記者会見動画内閣府ホームページの会見録)。

高市早苗総務大臣の記者会見(2016年6月17日)
高市早苗総務大臣の記者会見(2016年6月17日)

ちなみに、高市早苗総務大臣も、6月17日の定例記者会見で河野大臣の「副知事公選制」案について記者から見解を問われ(*1)、「憲法との関連もあり、かなり慎重な検討が必要だ」などと詳細に答えている(*2)。ところが、これについても、報じたメディアは一つもなかった。

もちろん、河野大臣の案が適切なものかどうかは議論が必要だろう。だが、私は、現職閣僚が公式な場で知事選挙改革に言及し、所管の閣僚も応答したのだから、国民に伝えるべき「ニュース」だったと思う。そうしなかったのは、突拍子もない、箸にも棒にもかからない案だと判断したからではあるまい。おそらく、「舛添おろし」や「次の候補者探し」が世間の関心事であろうと忖度し、それに直接関係のない話だったからアンテナにひっかからなかったのではないか。もし河野大臣がツイッターで指摘しなければ、私を含めほとんどの人がその提言を知ることはなかっただろう。

私は、問題の根底にある制度や仕組みの欠陥や改善すべき点を浮き彫りにし、よりよい社会を実現するために議論を喚起すること、いわば「問題発見」機能が、メディアの重要な役割のひとつだと考えている。

だから、「50億円とも言われる都知事選が5年間で4回も行われる」という事態を何ら問題がないと考えるのでなければ、河野大臣の提案をニュースにすべきであった。

舛添知事の「このタイミングでの」辞職についても、東京五輪開催中に都知事の任期満了を迎えても全く支障がないと言えるのでなければ、そうなることをきちんと伝えるべきであった。

そして、あえていえば「辞職」ありきではなく、舛添氏が違法行為をしたとの確たる証拠がまだ出ていないのであれば、在任中の仕事ぶりや実績と天秤にかけて、即刻辞職に値するのかについて冷静に考える材料を提供すべきであった。ーそう考えるのである。

ところが、この国の政治報道はとかく、<属人的な視点>ーこの政治家はけしからんとか、政治家の人間関係や力学といった側面ーに偏りがちである(そうした側面を無視してよいということではない)。それによって形成される政治観は、結局、<政治的リテラシー>ーどこに問題があるかを自ら考え、行動しようとする態度ーの涵養を妨げ、<観客民主主義>ー政治へのシニシズムや無関心、あるいは情緒的な政治世論や独裁的リーダー待望論ーの助長につながりかねない。その弊害が、今般の舛添知事をめぐる報道における、五輪開催中の都知事任期満了、あるいは河野大臣の副知事公選制提言といった重要な事実の「スルー」という現象に表れたのではないか、と思われてならないのである。

(*1)朝日新聞6月16日付朝刊オピニオン面「耕論:祭り騒ぎ、報道は反省を 江川紹子さん」、「『激しい言葉』と『鋭い質問』は違う 舛添疑惑の過熱報道に残る違和感」など。

(*2) 質問したのは幹事社の時事通信記者。河野大臣の提案について所管の総務大臣の見解を問うたことは評価したい。だが、時事通信のニュースサイトで確認した限り、全く記事化されていなかった。

(*3) 高市大臣は6月17日の会見で、河野太郎規制担当大臣の提案について、日本国憲法93条2項の関係で慎重な検討を要すると指摘している。「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」という規定である。私見であるが、副知事を、知事が失職したときに昇格させるという前提で直接選挙しておけば、その副知事を知事に昇格させることは憲法93条2項に反しないのではないか。また、高市大臣は、直接選挙した副知事も失職する可能性があるという問題も指摘するが、その場合は(副知事を複数置いたとしても、直接選挙されなかった副知事を昇格させられないから)再選挙をするしかないが、そうした事態はあまり起こらないのではないか。いずれにせよ、憲法上の問題ではなく(ただし、東京都だけに副知事公選制を導入するなら、憲法95条により住民投票が必要)、公職選挙法・地方自治法の改正で対応できる問題だと思われる。

弁護士

慶應義塾大学卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHoo運営(2019年解散)。2017年からファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年『ファクトチェックとは何か』出版(共著、尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー受賞)。2022年、衆議院憲法審査会に参考人として出席。2023年、Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット賞受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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