Yahoo!ニュース

環境の変化を最大限に活かし、将来が楽しみなバスケットボール選手へと成長中の介川アンソニー翔

青木崇Basketball Writer
取材協力/フットサルステージ (C)Takashi Aoki

 アメリカのAAU(アマチュア・アスレティック・ユニオン)に所属する東京サムライのクリス・ティーセンコーチが7月に企画したゲームには、アースフレンズ東京Zにアマチュア選手として入団したケイン・ロバーツといった15歳から20代前半の選手たちが集結。その中には、アメリカのジュニア・カレッジに在籍し、NCAAディビジョン1の大学への編入を目指す選手や、関東大学リーグの1部所属のチーム在籍者、先日紹介した高橋昌也(この秋にモントバード・アカデミーからウィンチェンドン・スクールへ転校)らが含まれていた。

 即席チームによるゲームということもあり、規律に欠けたプレーやコミュニケーションの欠如から来るミスがしばしばあった。それでも、個々に素晴らしい能力を発揮したシーンも多く、視察に来ていたBリーグのコーチやエージェントにとって選手たちを知るいい機会。筆者自身は、キャッチ&シュートの3Pを何度も入れていた細身で背の高い選手が気になっていく。ティーセンコーチからもらったメンバー表を見ると、身長196cmの16歳、サンディエゴにあるトーリー・パイン高でプレーしている介川アンソニー翔だと知った。

 

まだまだスキルの向上が必要とは言え、ダンクは軽々できる介川 (C)Takashi Aoki
まだまだスキルの向上が必要とは言え、ダンクは軽々できる介川 (C)Takashi Aoki

元々は東京のミニバス出身。渡米で変化の必要性を認識

 アメリカ人の父と日本人の母を持つ介川は、「お兄ちゃんが最初バスケットを始めて、ついて行くことで自分も始めようということになりました。いつもお兄ちゃんの真似をするくらい憧れていました。よく1対1をする相手でしたし、毎回負けていたからそれがチャレンジ。お兄ちゃんがいたからこそ、ずっとやり続けることができました」という兄アンドレの影響でバスケットボールを始めた。東京都府中市で育って地元のミニバスケットボールのチームに所属していたものの、小学校6年生時の身長が165cmと他の子たちよりも高かったため、インサイド以外のプレーをすることが非常に少なかった。

 筆者の友人でアンダー15のクラブチームを運営するコーチは、「ミニバスはちょっとでも背が大きいと、ファンダメンタルが身についていなくても試合に使われる」と話す。ミニバス年代を対象にしたスキル・クリニックを行うと、子供たちは肝心な基本スキルを教わっておらず、育成よりも試合と結果優先が依然として蔓延していると実感するそうだ。介川もこのような環境でプレーしていたこともあり、母のゆみさんは「お兄ちゃんに比べると、決して上手な子ではなかったんです」と当時を振り返る。

 介川は両親が関わるビジネスで東京とサンディエゴを行き来し、アメリカの小学校を卒業して中学校に入学するも、その後1年間日本の中学に通うという時期があった。「最初は学校の勉強が大変で苦労しました。家でお父さんとずっと英語で話しているから大体できたんですけど…」と少し順応に時間を必要としたものの、再びサンディエゴに渡って現地の中学から高校に進むと、バスケットボール選手としての状況も大きく変化する。

同い年の高橋は中学の時に出会った大親友 (C)Takashi Aoki
同い年の高橋は中学の時に出会った大親友 (C)Takashi Aoki

 日本だと少し身長が高い少年であっても、アメリカだと決して高くない。介川も正にその一人であり、インサイドだけだったプレースタイルを変えなければ、プレーする機会がないに等しい状態。「お兄ちゃんもよく言っていたんですけど、日本のバスケットはスピードが一定で変わらないけど、アメリカはスピードの変化がいっぱいあるから、アメリカみたいなバスケットをしていたほうがうまくなるって言っていました」と語ったように、アメリカでは努力次第で上達できる環境がある。介川が特に力を入れたのは、シュートだった。

 キャッチ&シュートを武器にしなければというのは、「ドライブとかやろうとするんですけど、一人抜けてもヘルプがデカいので、外からシュートを打ったほうが有利なところはあると思いました」という考えから来ている。毎朝練習し続けてきた成果によるレベルアップに加え、身長が急激に伸びて190cmを超えたことで、介川は将来が楽しみな選手へと変貌していったのである。今年の夏に何度も一緒にワークアウトをした親友の高橋はこう語る。

「アンソニーのことは中学の時から知っていたんですけど、ミニバスやって日本の中学だったから中をやらされるじゃないですか? だから同じクラブチームに入ったけど上手じゃなくて、大きかったから中でやる選手だった。中学の途中でアメリカに戻ってしまってからは今年まで会っていなかったんですが、帰ってきたら外から入るようになっていました。アメリカに行ったからこそ、インサイドでやるのが厳しいとわかったと思うので、対応してシュートを磨いていた。アンソニーは全然違う選手になっていたなと思いました」

NCAAディビジョン1の大学でプレーする可能性も十分あり

 基本的に希望者ならだれでも入部できる可能性の高い日本と違い、アメリカの高校でプレーするには学校内のトライアウトに合格することが条件となる。介川もその道のりを歩むはずだったが、コーチ陣の一人が以前所属していたクラブの試合を見て好印象を持ったことがきっかけで、トーリー・パイン高からリクルートされて入学した。トーリー・パイン高は元NBA選手のクリス・ダドリーとスコット・ポラード、ゴールデンステイト・ウォリアーズのスティーブ・カーヘッドコーチの長男ニックの出身校。昨シーズンのチームから一人スタンフォード大に入学するなど、サンディエゴの強豪校として知られている。

 昨シーズンの介川はジュニア・バーシティ(2軍)の試合出場がメインも、NCAAディビジョン1に所属する大学のコーチから興味を持たれるようになり、「この調子でやっていこう!」という感じでの直接電話を3校からもらっているという。もし、身長が200cmに到達してシュート力により磨きがかかれば、ディビジョン1の平均レベルより上のミッド・メジャーのチームからスカラシップ(奨学金をもらえる)選手になっても驚かない。

 これからの2年間は、介川がディビジョン1の大学に入れるか否かを大きく左右する期間だ。「バーシティでいっぱい活躍して、オファーを早くもらって(ディビジョン1に)行きたいです」と話したように、サンディエゴに戻ることができたらという思いは強い。トーリー・パイン高からはシーズンが始まる来年2月に戻ってきてほしいと言われており、そこで活躍できればアンダー18の日本代表に値する選手になるだろうし、アジア選手権で存在感を示すことになれば、ディビジョン1のコーチたちがより強い興味を示すことにもつながる。

 介川はこの秋からジュニア(日本の高2)になるが、新型コロナウィルスの影響で府中市内の自宅からオンラインの授業を受けながら、大学進学に影響がないよう単位を取得するつもりだ。厳しい状況に直面しているとはいえ、東京サムライでバスケットボールができる機会を得られているのは幸運。2022年秋、NCAAディビジョン1のコートに立つことを実現するために、介川は高いモチベーションを維持しながら前進し続ける…。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

青木崇の最近の記事