フィンランドの画期的な社会保障:家族から共同体へのケア責任
北欧のなにがいいって、それはケア責任や家族や女性に押し付けず、国と自治体がケアの責任をおうことだろう。
市民ができる限り経済的にも精神的にも自立して人生が送られるように、サポートをするような国の組織が北欧諸国にはある。
ケア責任や個人の自立を、自己責任としないようにするためには、仕組みが必要だ。そして、まさに北欧の福祉制度を象徴する組織のフィンランド版が、Kela「ケラ」である。
フィンランド社会保障の網Kela「揺りかごから、墓場まで」
フィンランド社会保険機関Kelaは、フィンランドの社会保障制度の対象となるすべての人に、「人生の浮き沈み」における基本的なサポートを提供する責任を負っている。
「揺りかごから、墓場まで」と言われるように、市民が生まれてから亡くなるまでの人生のパートナーがKelaだ。失業、病気、障害、老齢、子どもの誕生や後見人の喪失によって収入が脅かされる場合に、適切な収入を保証したり、すべての人に十分な医療・社会サービスを保証する機能を果たしている。
学生が経済的困難に陥った時、助けを求めて駆け付ける先は、日本だと親になりがちだ。しかし、北欧政府は親に依存せずにいられるよう、親のケア責任を子どもや女性が追わなくていいような、公的な受け皿をいくつも用意している。
フィンランド政府は育児支援の一環として、「マタニティ・パッケージ」と呼ばれる育児用品の詰め合わせボックスを親にプレゼントしている、というニュース記事を読んだことがある人もいるのではないだろうか。これもKelaが製作担当して発送している。
大量の国民の健康データをどう扱っている?
今回は市民の社会・健康・医療データを取りあつかうにあたって、Kelaのデータ管理に着目したい。
フィンランドの全人口から毎年膨大な量のデジタルデータを収集するため、堅牢なITサービスと安全なIDインフラが必要とされる。
社会の社会的責任を果たすパートナーではありたいと思いつつ、これほど巨大な組織なので、時には物事がうまくいかないこともある。それはDX推進でどの国も避けることはできない道だ。
「時にはより良い方向へ、時には逆の方向へ向かうこともありますが、公的機関としてオープンでありたいと考えています」と話したのは、Kelaの情報サービス・ディレクターであるアルト・ヴオリさんだ。
Kantaは全てのヘルスケアプロバイダーをつなぐ存在
Kelaに加えて、みなさんにもう一つ紹介したいフィンランド語が「カンタ」(Kanta)だ。社会福祉とヘルスケア分野のデジタルサービスKantaは、フィンランドに住んでいたら何度も使うことになる。
市民、薬局、医療サービス、Kelaのような社会福祉サービス、そして公的・民間の医療サービス提供者がKantaを利用している。
市民はKantaのサイト「MyKanta」(私のカンタ)で、自分の健康データ、処方箋、社会福祉データなどを閲覧できる。この国では「紙」での処方箋はもはや例外的な扱いで、電子処方箋が一般的だ。処方箋はKantaサービスを通じて発行・調剤される。自分が処方された薬の一覧なども確認可能だ。
「市民というカスタマー」「病院や薬局などの医療機関」「社会保険機関Kela」の3者をつないぐ、データ共有の場がKantaということになる。
- フィンランドは人口550万人の小さな国だが、国民の半数以上が実際にKantaサービスを利用している
- 24時間365日、自分の健康やウェルビーイングのデータにアクセスできる
- Kantaサービスは、社会保健省、フィンランド保健福祉研究所、Kela、社会福祉・医療分野の事業者の協力のもとに開発されている
- データはその後、研究、統計、公的ニーズのために、Kantaデータプラットフォーム上で使いやすい形式に改良される。データ・プラットフォームは、すべてのKantaサービスから顧客と患者のデータを収集し、様々な二次利用のためにデータを一元的に利用できるようにしている
フィンランドで最もハッキングされていサービスのひとつでもあるため、強固なITインフラを持つものの、「日々、自分自身を成長させる必要がある」とKelaのヴオリさんは話した。
北欧レベルで生活がデジタル化されたら、どうなるか
ちなみに筆者が住むノルウェーにもKelaやKantaに類似するサービスがあり、フィンランド版とは驚くほど類似点も多く、まさにこれらのサービスは北欧の福祉モデルの象徴といえるだろう。
女性を家庭に留まらせずに、経済的に自立してもらおうと、北欧の政府や自治体は必死だ。親や病人のケア責任は政治家が負い、市民にはひとりでも自立して生活できるように、でも困ったときは親・保護者ではなく、政府・自治体に「頼ってね」という社会を形成している。日本で女性として生きてきた筆者としては、北欧社会のこのあり方は「目からウロコ」としか言いようがなく、感動した。
北欧で、じゃあ大切な人との別離、経済的困難、病気、住む場所が亡くなった時など、「人生で時に避けられない転換期」を迎えた時、「ここにおいで!」という居場所、セーフティネットワークがフィンランドの場合はKelaなのだ。そして、医療機関などを利用する時のデータはKantaに集中保管されている。
Kantaのように国民のデータが集合した場所がある利点は市民だけに及ばない。患者と接する医療従事者、カスタマーをサポートしようするKelaなどの機関にとっても、生産的・効率的な仕事を可能とする。データがデジタル化されていなかったり、データがあちらこちらに散らばっていたり、一部のデータを得るのに時間や手間がかかって、喜ぶ関係者はいないだろう。これまで無駄で面倒だった作業がデジタル化されると、社員は能力を適した作業に手中させ、仕事は早く完了し、早く帰宅できる。
でも、じゃあここで日本の市民なら出てくる心配が「個人データの取り扱い」なのかもしれない。それはこれまでの記事でも紹介してきたように、「信頼」や「連携」カルチャーが元々強く根を張っている北欧諸国だからこそ、市民のその心配はある程度軽減されている。
筆者はフィンランドに住んでいないのでKantaやKelaを使用した経験はないが、似たようなサービスがあるノルウェーでの体験からいうと、これらのサービスを一度経験したら、「昔には戻りたくはないだろう」ということだ。
スマホのアプリでアクセスしたら、さっき医者から処方された薬の一覧が出てきて、「どの薬局」でも、国民番号を言えば薬のデータがすでに薬局側に共有されている。自分が核医療機関から処方された薬の情報も一か所にまとまっているので、覚えたりする必要もない。
北欧現地に住んでいると、空気のように日常生活に浸透していて、これらのサービスは「あって当たり前」なのだが、北欧の外から観察すると、やはりこのようなサービスがこれほど浸透している北欧社会は特殊なのだと感じる。
もちろん、たまにサービスに課題がでることもあるが、そんなこと気にならないくらい、あったほうが便利な存在なのだ。
日本でもこのようなライフスタイルが浸透したら、どうなるだろう?普段、家庭で様々な「to do リスト」をこなし、書類の整理や申し込みに時間とエネルギーを奪われている人の生活には革命が起きるだろう。
腹正しいことに、家庭で事務的雑務をしているのは女性であることが多いだろう。だからこそ、北欧レベルで日常生活のデジタル化が進むと、女性は自由な時間が増え、面倒な手間が減り、もはやジェンダー平等な社会にちょっと近づくのでは。そんな希望を感じるくらいに、日常生活が北欧レベルでデジタル化されると、人生が変わる。