日韓に横たわる「溝」の正体と、妥協の可能性
7月1日、日本政府により発表された「韓国への輸出規制措置」により、日韓関係の悪化が必至だ。関係悪化と現状維持をめぐる韓国側の論理を整理した。
●文大統領の現状認識
「前例のない非常状況において何よりも重要なことは、政府と経済界が緊密に疎通し協力することだ」
8日、青瓦台(大統領府)の幹部を集めた首席補佐官会議の席で、文在寅大統領は日本政府による発表以降はじめて見解を述べた。現状を「前例のない非常事態」と位置付けた点は注目に値する。
文大統領はまた、政府は必要な支援をすべて行うと前提した上で、「外交的な解決のためにも落ち着いて努力していく。対応と報復の悪循環は両国双方にとって望ましくない」と冷静な対応を基調とすることを明かした。
だが一方で、「韓国の企業に被害が実際に発生する場合には、政府も必要な対応をせざるを得ない」と強硬な対応もにおわせた。そして「私はそれを望まない」とはっきりと述べた上で、「日本側の措置撤廃と両国間の誠意ある協議をうながす」と今後の指針を明かした。
文大統領は明日10日、韓国の上位30位企業のCEOと面会する予定だ。今後は経済界を巻き込んで、日本の追加措置などをにらみつつ「官民が共にする非常対応体制」(青瓦台関係者)を模索していくことになると見られる。
ここまでが「公式の顔」だ。だが韓国には今、様々な思惑が渦巻いている。
●文大統領の「ホンネ」
この問題の指揮を執る文在寅大統領にとって、日本という存在は特別だ。だがそれは7、80年代、軍事独裁政権に抗う民主化運動のさなかで日本社会の温かいサポートを受けた故金大中大統領のような深い縁と異なり、「大日本帝国」と関わるネガティブなものだ。
「親日勢力が『解放(1945年8月15日)』されてからも依然として大手を振って歩いてきた。独裁軍部勢力と安全保障をうたったニセの保守勢力は、民主化以降も韓国社会をずっと支配しながら、場合に合わせ化粧だけ変える。『親日』から『反共』または『産業化勢力』として、地域主義を利用した保守という名前で、これこそが本当に偽善的なニセの勢力といえる」
これは、2017年5月の大統領選挙を控え出版された対談集で、当時の文在寅候補が語った一節だ。ここでの『親日』とは大日本帝国に積極的に協力した朝鮮人を指す。そしてこの「ニセの勢力」が1948年の南北政府樹立から朝鮮戦争を経て、韓国政治を反共イデオロギーで硬直化させてきた、朴正煕元大統領を頂点とする韓国の保守勢力を指すのは明確だ。
この理解に従えば、植民地支配の責任と違法性を棚上げした1965年の日韓協定への疑問は当然だ。1961年にクーデターで政権を奪取した朴正煕大統領と65年の日韓協定への反感の中で育った1953年生まれの文大統領の世代は、歴史清算という立場からまずは韓国の保守陣営に対する強い反感がある。
こうした保守陣営への憤りは、いわゆる徴用工判決において日本と結びつく。8日、与党内の動きと韓国政治に詳しい、慶南発展研究院の李官厚(イ・グァヌ)研究員は筆者とのインタビューの中で、「文大統領の考え」を代弁してくれた。進歩派の少壮政治学者として韓国内で高い評価を得ている人物だ。
李氏によれば、「文大統領は朴槿恵大統領時代に徴用工判決を遅らせ、内容をひっくり返そうと介入した梁承泰(ヤン・スンテ)大法院長(最高裁判所長)の背後に日本の関与を疑っている」というのだ。
筆者も過去、下記の記事でまとめたように、検察の捜査により梁氏みずからが被告・新日鉄住金を弁護してきた韓国最大のローファーム「金&張」を訪れ、外交部などとやり取りしながら、2013年7月のソウル高裁での差し戻し判決(原告勝訴確定)を延期させ、その後は大法院でこの判決を覆そうとした形跡が発見されている。
[参考記事] 元徴用工訴訟、「もう一つの本質」と文政権に足りない「努力」
https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20190111-00110877/
そしてこの指示は朴槿恵大統領から出ていたと疑われている。朴正煕氏の娘、朴槿恵氏が父親の「治績」である日韓協定を守るために、安倍保守政権との間で手を結んだという理解だ。そしてその朴槿恵大統領は、司法壟断を含む国政壟断により弾劾され、大統領の地位を追われた。このため文大統領には、「朴槿恵大統領当時の日韓関係を認めたくない心情がある」というのだ。
一方、よく知られているように日本政府の論理は、「徴用工判決は不当であり、国家間の信頼を裏切るものであるため到底受け入れられない」というものだ。だが、文大統領の本音は前述したように「1965年の『日韓協定』や2015年の『慰安婦合意』を正したい」という歴史清算にある。「国家間の約束であるから無条件で守れというのは受け入れられないという論理」(李研究員)だ。内政と外交、両面的な受け止め方ができる。
●日韓の政権に横たわる「深い溝」
李研究員は「青瓦台は2日間の会議を経て日本への強硬な対応基調を決めた」と明かしつつ、前述したような「歴史観」が「現政権に共有されている」と指摘する。
その背景はやはり「民主化」にある。李研究員はこう続ける。
「文大統領をはじめ政権の中枢にいる李洛淵(イ・ナギョン)総理、さらに盧英敏(ノ・ヨンミン)大統領秘書室長などはいずれも、過去に既得権を維持してきた『親日派』への強い嫌悪感と民族心を持っている。さらに、青瓦台の秘書官を占めているその下の『86世代』も同様だ」とする。
文大統領は1953年生まれ、李総理は52年生まれだ。この二人は世代的に1965年の日韓協定に反対する空気の中で育ったと言ってよい。さらに57年生まれの盧氏や文大統領は学生時代から激しい民主化運動で知られた人物だ。
そして1980年代に大学生活を送り、1987年の民主化を成し遂げるエンジンの役割を果たした『86世代』と呼ばれる60年代生まれの「闘士」たちの多くは、文政権の要職についている。
いずれも共通するのは、南北分断を既得権維持の方便とし、反対する民主化勢力や統一論者たちを「反共」の名の元で弾圧してきた「独裁勢力=保守勢力」への強い反感だ。そしてその保守勢力の源流と傍らに日本の姿を捉えてきた上に、今なおその認識を維持しているという解釈だ。
つまり、日本が徴用工裁判判決への「無為」を理由の一つとして韓国への貿易優遇を撤回する措置は、文政権にとってはいぜんとして歴史問題としての意味を持っているということだ。
日本ではいつの間にか徴用工判決や慰安婦合意の問題が「国家間の信義」という問題に置き換えられているが、政権を占める韓国の進歩派にとっては、どこまでも国家による暴力と、その被害者の名誉回復と補償という枠組みで語られているのだ。南北分断も未だ続いており「戦後」ではないという認識だ。
前出の李研究員はこれを「韓国にとって、日本の問題とは外交だけの問題ではなく、民主化の問題であり、歴史意識の問題でもあり、政党政治や陣営論の話でもある。韓国には軍事独裁下での歴史的なトラウマがある。国内政治と日本を切り離すことが簡単ではない」と解説する。
対する日本政府の要人たちのうち、54年生まれの安倍首相を筆頭に、麻生財務大臣を除く全員が戦後生まれである。麻生大臣も植民地支配への反省とは程遠い人物であり、こうした政府要人のいずれもが「再武装」への欲望を隠さない状況が続いている。日韓政権における日韓関係についての認識の差は決定的だ。
さらに、韓国政府には「日本が南北関係改善を邪魔している」という認識がある。「信頼できない北朝鮮と信頼できない韓国、その対話や合意はまったく信じられない」という「南北を共犯」とする日本政府の論理の存在は、ここ数日のニュースを見ても明らかだ。文大統領の政治動力の一つである南北和解への強烈なタックルとなり強い民族的反感を呼んでいる。
●来年4月の総選挙に向けた「票読み」
では今後どうなるのか、李研究員は「与党・共に民主党が強く出る青瓦台を抑える形になるのでは」と予想する。理由は選挙だ。
韓国では来年4月に、300の議席がすべて入れ替わる「総選挙」を控えている。与党は現在、128議席を占めるにとどまっており、他の進歩派政党を加えても法案通過のための180議席を確保できず、改革の大きな足かせとなっている。
この選挙を見据えて、与党はどう動くのか。文政権になって以降、悪化する日韓関係について文政権の「無策」を批判する声は日ごとに高まっている。その急先鋒となってきたのが、第一野党で収監中の朴槿恵前大統領を擁した自由韓国党だった。
これは文政権を支持する市民の反発を呼び、自由韓国党は『親日派』と烙印を押され、誰よりも強硬姿勢が目立ったナ・ギョンウォン院内代表は「安倍」をもじって「ナベ」と呼ばれる始末だった。
同党は、日本政府による「報復措置」が発表された7月1日以降も「日韓関係で実益優先と現実主義的なアプローチではなく理念的な目標達成にのみ邁進し、歴史上最悪の局面に直面した」と政府を痛烈に批判し続けていた。
だが、7日に開いた緊急対策会議では黄教安(ファン・ギョアン)代表が「相当な危機局面」という認識の下、「いったんは問題の解決のために我が党も力を貸すべきだ」とし、ナ院内代表も「貿易報復措置はとても愚かな行為だ」と日本へのメッセージを明かす方針転換を見せた。
これは図らずも今回の日本による措置がいかに韓国内にショックを与えているかの反証でもあるのだが、こうした局面でもなお、青瓦台の一角には「今回の日韓の葛藤を利用し『親日派=自由韓国党』とイメージ付けることで、集票のチャンスとして活用しようという認識があった」と、李研究員は明かす。
実に愚かな発想である。これが推進される場合、日韓の葛藤は極大化することになる。事実、共に民主党の重鎮議員たちもこれを抑えにかかった。
文政権下で約2年にわたり行政安全部長官の要職を務めた4選の金富謙(キム・ブギョム)議員は4日、自身のフェイスブックに「政治的なアプローチが必要」と書き込み、「経済的・法的な対応は行政にまかせ、政治家が前に出て日本の政治家と会う必要がある」と主張した。
金議員はさらに、「国会には日韓議員連盟がある。日本の本音をよく知る前・現職の政治家が多く、ベテランの外交官もいる。彼らを特使として派遣することを国会で提案した」とした。
だが、金議員も民族的性向の強い議員である。「過去に踏みにじられた歴史を忘れてはならない」としつつも、「感情は感情で国益は国益だ。国家全体を対決の論理に向かわせてはならない」と青瓦台とは明確に一線を引いた。
なお8日、共に民主党所属議員の秘書をつとめる関係者に電話で聞いたところ、「党内は落ち着いた雰囲気」だという。
一方、李研究員は「経済」が足かせとなる可能性を指摘した。
現在の措置が長期化し、いくつかのメディアで噂されているように日本政府が追加の措置を行うことで「韓国経済に悪影響が可視化する場合、世論は急速に悪化する」という指摘だ。
現在、文政権を支持しない市民はこぞって「景気の悪化」をその根拠に挙げている。半導体という韓国経済の要の一つで減速が可視化する場合、その影響は広範囲におよび、文政権を支持する中産層が一気に背を向ける可能性がある。
そのリスク管理のために、来年に総選挙を控える与党が積極的に動く、という予想だ。「長期化は『外交失敗』となるため、自由韓国党にとってみれば選挙に有利な材料となる一方で、共に民主党は政治的にこの問題を引っ張るのは負担と考えている」と李研究員は説明した。
●「一度は通るべき道」
このように、韓国政府にとって今回の日本による措置は、外交問題であると同時に経済問題でもあり、内政問題でもあるため、負担が大きい。
では、韓国政府はどう乗り越えていくべきなのか。
李研究員は「文大統領の論理は理解できるが、例えそれが正しいとしても結果が(日韓の)破局であるならば、それは選んではいけない政治的な選択となる。道徳的な正しさを押し出す場合に政治は善悪の問題となり、調整力は弱くなるしかない」と厳しく指摘する。
このように、あくまで政治的な解決をすべきという立場が多いが、これまで繰り返し述べてきたように、日韓政府の、いや、文在寅・安倍晋三両氏の認識には大きな差があるため、和解は容易ではないだろう。文大統領の頑固でシャイな性格は有名だ。嫌いな人は近づけず、簡単に妥協する人物でもない。
李研究員は「だからこそ、韓国側も日本と大日本帝国、日本政府と日本の国民をしっかり分けてメッセージを出す必要がある」と提案する。
その上で李研究員は「日韓が一度は通るべき道だと思う」と持論を述べた。確かに、積年の膿を出す機会と捉えることができ、その時期が来たと筆者も考える。だが、日本政府の立場もまた強硬であり、その議論の受け皿となる勢力も日本国内には存在しない。
こうした筆者の指摘に李研究員は、「次の世代が解決する問題と見る。その間は両国の市民社会やメディアがいかに成熟した立場で、関係の均衡を保てるかが大切だ」と説いた。
いずれにせよ、今回の件における日韓双方の動きには積極的に注意を払う必要がある。あくまでも冷静に、対立を煽る動きには断固とした批判をぶつけるべきと強調したい。