我々はなぜ「助け合う」のか遺伝子から考える
粘菌や酵母も助け合っている
うちにはネコが一匹います。エサをやったりウンチの掃除をしたり、けっこう世話をしてるんですが、彼女が私にもたらしてくれるのはほとんど「癒し」のみのような気がします。この癒し効果が抜群なんですが、ある意味、私とネコは持ちつ持たれつ、お互い様で生きているというわけです。
そう考えると、生き物って不思議です。
食べたり食べられたり適者生存で強いものが生き残り弱い者が死んでいく、という姿はよく見ます。弱肉強食です。
しかし、同種の個体が集まって集団を作ったり、それぞれが協調して助け合ったり、ときには自己犠牲の「精神」を発揮して他者の利益になることをしたりもする。同種の生き物のみならず、私とネコのように別の種類でも依存し合って生きている場合も多い。
粘菌や酵母(イースト菌)も助け合って生きています。人間から見たらいかにも単純そうに生きていそうな生物でも、涙ぐましい互助の精神で助け合ったり、仲間の菌のために「さぁ自分を食べてくれ」と、捕食者に身を投げ出したり、自殺(アポトーシス)したりするんです(*1、スイス、スイス工科大学総合生物学研究所の研究者らによる論文)。
また、食中毒を引き起こすサルモネラ菌の一種は、毒素に差を付けた二種類の個体で集団を作ります。この二種類は厳密には親子でも兄弟姉妹でもない。このサルモネラ菌は、二種類が協力してターゲットを感染させますが、その際、毒性の強い一方が自己を犠牲にして自殺し、仲間が感染しやすくして利他的に振る舞います。
細菌だけじゃない。こうした助け合う行動は鳥類やほ乳類でもありますし、もちろん人間の社会には特に明らかに現れます。
「利己的な遺伝子」という考え方
ところで、生物は単に遺伝子を伝える「入れ物」に過ぎない、主人公は遺伝子さまだ、という「利己的遺伝子」の考え方があります。英国の進化生物学者、リチャード・ドーキンス(Clinton Richard Dawkins)氏が主張し始めてから、こうした行動は利己的遺伝子のしわざなのだと説明されることが多くなりました(*2、ドーキンス氏の著書『利己的な遺伝子』新版、初版は1976年)。
利他的な行動では、一方は利益を得るけど、一方は何らかの見返りを期待して犠牲になったりします。その利益も、すぐにやり取りできるわかりやすいものばかりではありません。子どもが育った後とか集団の目的を達した後とか、効果が出てくるまでに時間のかかるものがある。時間が経っても忘れない「恩義」のようなものが、細菌にもあるんです。
遺伝子を残すために、社会行動とか利他的行動がある、一種の「助け合いの遺伝子」が働いている、というわけですが、遺伝子は利己的なのに、助け合ったり自己犠牲になったり、表面上はちっとも利己的じゃないのが興味深いところです。
小さな粘菌などの例を出しましたが、社会的な共同生活をするアリやハチ、栄養を分け合う吸血コウモリ(*3、米国、カリフォルニア大学サンディエゴ校の研究者による論文)、捕食者が近づくと身を挺して群を救おうとするグッピー(*4、米国、ニューヨーク州立大学オルバニー校の研究者による論文)など、生物の利他的な行動を挙げていったらキリがありません。
もっとも身近な例だと、親が子を守り育てるのも利他的行動の一種です。ある種の鳥類は、天敵のキツネや猛禽類が子育て中の巣に近づいてくると、傷ついたふりをして天敵を自分へ引き付ける、という危険きわまりない行動をします。大事なタマゴやヒナを守るために、自らをおとりにする。遺伝子を次の世代へ残したいというわけです。
自分を犠牲にして仲間を助けるサルモネラ菌
アリやハチの働きアリや働きバチの場合、姉妹である女王のために助け合ったほうが甥や姪を多く残せ、結果として自分の遺伝子も残すことができる。だから、働きアリや働きバチは自分は子供を産まず、利他的な行動をするのではないかと考えられています。これは、オスメスの有性生殖の場合、自分の子に受け渡す遺伝子はパートナーと1/2ずつですが、女王アリや女王バチを含めた自分の兄弟姉妹も1/2ずつ遺伝子を分け合っているためです。社会的生物の利他的行動は、有性生殖ではなく自分の遺伝子を残す選択の一つ、というわけでしょう。
また、メスに迫った捕食者の前に身をさらすオスの行動のように、メスに能力の優位性を誇示して自分の繁殖に利用するのも利他的な行動です。自分(オス)は危険を乗り越えられるほど優秀な遺伝子を持っている、というメスに対するアピールですが、これもコストやセックスに比重を置いた利己的な遺伝子のしわざと考えられています。
こうした利他的行動は、細菌から我々人間まで多種多様な生物にみられます。基本的には、個体としての自分の遺伝子を残すための行動ですが、一見すると「利己的な遺伝子」では理解できない行動もある。しかし、これも種全体の利益を目的にした、その種の遺伝子を残す巧みな戦略なのではないか、と考えられています。
ところで、遺伝子には単独で機能するものは少なく、多種多様な遺伝子が作用して何らかの性質が決まったりします。もちろん「助け合いの遺伝子」という特定の遺伝子があるわけではありませんが、修辞的には批判もあるドーキンス氏が使った「利己的」という表現と同様、謎めいた生物の行動の理由を説明するための一つの比喩として使っています。
(*1:Martin Ackermann, Barbel Stecher, Nikki E. Freed, Pascal Songhet, Wolf-Dietrich Hardt & Michael Doebeli, "Self-destructive cooperation mediated by phenotypic noise", Nature 454, 987-990 (21 August 2008)
(*2:Richard Dawkins, "The Selfish Gene, New Edition", Oxford University Press, 1989
(*3:GERALD S. WILKINSON, "Reciprocal food sharing in the vampire bat", Nature 308, 181- 184 (08 March 1984); doi:10.1038/308181a0
(*4:L.A. Dugatkin, "Do Guppies play TIT FOR TAT during predator inspection visits?" Behavioral Ecology and Sociobiology
Vol. 23, No. 6 (1988), pp. 395-399, Published by: Springer