メキシコを選択。本田圭佑が示す整合性と革新
6月30日をもって、3年半プレーしたACミランとの契約が満了していた本田圭佑の新天地が、メキシコのパチューカに決まった。
パチューカはクラブワールドカップでもお馴染みの強豪クラブであり、メキシコ自体も代表チームは選手の大半が国内組でありながらW杯6大会連続ベスト16入りと安定した実力を持つ国である。
とはいえ、本田がこのクラブを選択したことには多くの驚きのリアクションが寄せられた。香川真司が「まさか。読めなかった」と発言すれば、長友佑都は「圭佑らしい決断」と評した。
けれども、今移籍市場に関して本田が発してきたコメントを振り返れば、この決断は唐突ではない。実に整合性のある選択なのだ。
■「刺激」「未開の地」「好奇心」
6月2日、千葉県習志野市内のサッカー場。同7日に行われる国際親善試合シリア戦戦と、同13日のW杯アジア最終予選イラク戦に向け、海外組12人で行った日本代表合宿に合流した本田は、最初のトレーニングを終えると、早めのタイミングでミックスゾーンに姿を現した。
ゆったりと歩く様子から、この日はメディア対応をしようと決めている様子がうかがえ、本田が足を止めると、多くのメディアが正面の位置に向かった。
本田は、やや離れた位置でもよく聞こえるように、はっきりと落ち着いた口調で、言葉を選びながら、そしてメディアとのやりとりを楽しむように、話した。移籍に関する質問が続いた。
移籍先を選ぶ決め手となるのはどのような点なのか?
「話すと長くなりますけど、ミランでの3年半を経た今、格にはあまりこだわっていないというか、刺激を得たいというなかで、格は最優先事項ではないんですね。未開の地というか、僕は自分の知らないエリアに行くことが好きだし、いろいろな考え方から来る好奇心が、刺激に近いものとなりますよね」
その時点で移籍先候補と報じられていたのは、1月に移籍の可能性もあるとされた米シアトルや、中国、あるいはJクラブ。しかし、それらが本田の心に響いていないのは、「刺激」「自分の知らないエリア」「好奇心」という言葉を強調することからも明らかだった。
実際に、「条件を満たすオファーはまだない」「届いたオファーは全部テーブルに乗せる」とも話していた。
そのうえで、本田は母国Jリーグのファンを思い浮かべ、「悪くとらえないでくださいね」と前置きし、日本は選択肢にないと言った。
「外国の2メートル近い大男とケンカしたい日本人が何人かはいなければいけない、と思うんです。それが僕らの役割分担なのかなと」
■標高2500メートルは未知の世界
メキシコ人の体格は決して大きくない。むしろ日本人に近い。しかし、中米ならではの、日本人にとって未開拓なメンタルやテクニックは必ずある。フィジカルにも違いはあるだろう。文化や習慣、民族性も、すべて異なる。
まず、数値で明らかに違う部分として挙げられるだけでも、パチューカは標高2400メートルの高地に本拠があるほか、首都メキシコシティの標高が2250メートル、グアダラハラ市が1550メートル、トルーカ市は2650メートルと、酸素濃度がまったく違う。標高550メートルのモンテレイ市もあるが、国内リーグのスタジアムの大半が空気の薄い高地にある。これはアスリートにとって大きな違いだ。
日本は2010年南アフリカW杯で、準高地とされる標高1200~1600メートルの都市での試合に備えて、日本代表メンバー発表直後に酸素濃度を調整できるトレーニング機器を全選手に配り、高地順化をサポートしたが、それでも一部の選手は低地との体調の違いに最後まで悩まされたという。
ちなみに本田は南アフリカW杯で直接FKからの得点を含む2ゴール1アシストと大活躍した。2500メートル前後の高地にどれくらいの期間で順応できるかは不明だが、少なくとも南アでの経験から、高地に対しての大きな不安はないのではないか。
普段、高地のパチューカでプレーし、ヘモグロビンが増えた状態で低地での日本代表戦に向かえば、思いもよらぬフィジカル向上を得られるかもしれない。あるいは、メキシコリーグでは空気抵抗の少なさを生かし、FKで威力を発揮できるかもしれない。また、メキシコは育成が評価されている。育成に力を入れている本田にとって、新しいノウハウ発見への期待もあるだろう。
大阪で生まれ、石川県の星陵高校に進み、名古屋をへて、オランダのVVVフェンロに飛び、その後は極寒のCSKAモスクワ(ロシア)そしてビッグクラブのACミラン(イタリア)、そしてメキシコ。実にワールドワイドな人である。
6月2日のミックスゾーン。ちょっと楽しそうに話している本田の横顔を見て、「自分の知らないエリア」とはどこだろうかと考えてみた。アフリカ大陸と南米大陸でのW杯を経験し、ビジネスで北米や中国に足を運び、中東を含めたアジアでは日本代表として数多くの試合を経験してきた。メキシコはたしかに、知らないエリアなのだろう。
31歳となり、トップフットボーラーとしてのキャリアは円熟期の後半に入っている。未知の地で得られる“革新”にも期待したい。