雅子さまもソフトボール日本代表の活躍に熱視線? 恩師が明かすソフトボール愛
■皇后・雅子さまがテレビ観戦された東京五輪
7月27日、東京五輪女子ソフトボール競技の決勝戦が行われ、日本チームが米国チームを2対0で下し、悲願の2度目の金メダルを獲得した。女子ソフトボールは2008年の北京五輪で日本が金メダルを獲得して以来、競技から除外されていたが、今回復活しての金だっただけに喜びもひとしおだったに違いない。
先週、開会式に先行して行われた予選は福島県営あづま球場で行われ、その試合をテレビでご覧になった雅子さまの様子が報じられた。福島県いわき市出身の中学生が、復興五輪の思いを込めて始球式を務めたことを報道で知り、雅子さまは胸いっぱいのご様子だったという。そんな日本チームの試合を感慨深く、テレビ観戦していた雅子さまゆかりの方がいた。
「皇后さまもご覧になっているのかなと思いながら、テレビ観戦しました」
と語るのは、雅子さまが中学時代に所属されていたソフトボール部の顧問だった、田園調布雙葉学園中学高等学校元教諭の伊藤修文さんである。現在は定年退職し、定例の句会に参加しては、趣味の俳句を作っているという。そこで、おそるおそる今回のソフトボールにちなんだ一句を求めたところ、「短歌なら…」と快く引き受けてくれた。それが以下のお歌だ。
「かの日々の ソフトボールの子らかさね もゆる五輪の一投一打」 修文
このお歌には、雅子さまの思い出が隠されている。
■恩師が語る、ソフトボールに励んだ雅子さま
雅子さまは田園調布雙葉中学校に通っている時、クラスメイトの有志たちと一緒に、ソフトボール部を創設された。雅子さまの打順は3番で、ポジションはサード。チームの主力としてレギュラーの一角を占めていた。当時のことを伊藤さんはこう振り返る。
「雅子さまは運動神経が優れていらっしゃり、強烈な打球が飛んできても、逃げることなくキャッチできることから、サードに抜擢しました。とても責任感が強く、打撃でもここぞという時の長打力は、チームのポイントゲッターとして期待されていました」
ところが、メンバーは皆、ソフトボールの経験がなく、なかなか技術的に上達せず、最初の練習試合は惨憺たる敗戦となってしまった。その悔しさを胸に、雅子さまをはじめメンバーたちは強くなるんだという思いが芽生え、練習にまい進していった。
■雅子さまたちのチーム、快進撃が始まる
そして、雅子さまたちが中学3年生の夏を迎えた時、奇跡のような出来事が起きる。田園調布雙葉は中体連に加盟し、世田谷区の大会に出場したのだが、1回戦から優勝候補の強豪校と当たってしまった。
実力の差はいかんともしがたく、相手ピッチャーの剛速球に手も足も出ず、3回が終わった時点でワンサイドゲーム。伊藤さんはコールド負けを覚悟したというが、ここでまさかの展開が待っていた。
勝ちを確信した相手校が、エースから2番手投手に代えてしまったのだ。これが田園調布雙葉の打線とぴったり波長が合ったのか、立て続けにヒットを連発。その時、空がにわかに掻き曇り、あっという間に雨が降って、再びエースが登場。
しかし、雨でボールが滑ってスピードも出ずコントロールも乱れ、田園調布雙葉はあれよあれよという間に大逆転してしまったのだ。
その時の様子を伊藤さんは…
「最後は、相手チームが打ったボールがピッチャーゴロになり、セカンドランナーをフォースアウトにしようと、サードの雅子さまにボールを投げました。そのウィニングボールを雅子さまが見事に受け取られたのです。そこでゲームセットとなり、まるで桶狭間の合戦のような大逆転でした」
と、昨日のことのように話してくれた。
この勝利で田園調布雙葉は勢いに乗り、2回戦も勝利、決勝戦は相手チームに付け入る隙を与えず、優勝の栄冠を勝ち取った。当時、雅子さまのことを伊藤さんは以下のように見守っていたという。
「雅子さまは人格的に周りから認められており、真剣に練習をされ、皆がついていきました。雅子さまの行動を見て皆が影響される、精神的な支柱だったと思います」
■両陛下のスポーツ愛
雅子さまが皇室に嫁がれてから、伊藤さんはテレビでニュースを見ていて、思わず目が釘付けになった。
「皇太子妃時代ですが、雅子さまがスポーツ大会でソフトボール競技を前のめりになってご覧になっていました。ご自分が親しんできたスポーツですから、よほど関心をお持ちになったのでしょう。観覧席で陛下と雅子さまが会話されている姿も映っていたので、ご夫婦で話が弾まれていたのだと思います」
陛下も学生の頃にソフトボールを楽しまれており、雅子さまと共通したスポーツでの思い出話に盛り上がっていらっしゃったのかもしれない。
東京五輪の大半が無観客開催になったことを受け、皇室の方々による競技観戦が見送りになったが、選手たちの健闘ぶりに、皇后・雅子さまはテレビの向こうから熱い声援を送られていることだろう。