卒寿を迎えた美智子さま 静かな時間の中で過ごされている心とは?
神無月に入ってからも、夏のような気温を記録したかと思えば、前日から10度以上も下がり、激しい寒暖差によって体調を崩す人が出ているという。高齢者であればなおさらだ。
今月20日に90歳のお誕生日を迎えた上皇后・美智子さまは、6日、仙洞御所で転倒し、東大病院で右大腿骨上部の骨折と診断された。8日には手術が行われ、現在、御所内でリハビリ中とのことだが、このまま順調に回復され、またお元気な姿を見せていただきたいと願わずにはいられない。
天皇皇后両陛下に譲位(生前退位)されてから、早6年目。それまで美智子さまはお誕生日に、その時々の心境を文書回答に綴られてきたが、お代替わりを経た現在、美智子さまの文書回答に触れる機会はなくなってしまった。
卒寿という節目に、今一度、平成の時代に美智子さまが綴られたお誕生日の文書回答を読み直して、美智子さまの心の内に迫ってみた。
◆皇室は祈りでありたい
平成のお代替わりによって皇后となられた、美智子さま。当初は昭和天皇の服喪にあたり、また上皇さまの即位に伴う多忙な日々を過ごされていたこともあって、お誕生日に寄せての文書回答が出されたのは平成3年だった。しかし、そこに綴られていたのは、わずか10行にも満たない、近況報告に過ぎなかった。
本格的に美智子さまの内面が語られるようになったのは、平成6年の文書回答からであったが、その時初めて、美智子さまが皇室に寄せる思いが綴られている。
「私の目指す皇室観というものはありません。ただ,陛下のお側にあって,全てを善かれと祈り続ける者でありたいと願っています」
国民と苦楽をともにするという、天皇陛下(現在の上皇さま)の意志を共有され、美智子さまも、その支えとなることを「祈り」という言葉に託していた。
さらに翌年の文書回答では、多くの言葉を費やし、皇室の存在意義について詳しく綴られた。
「陛下が,(中略)絶えずご自身の在り方を顧みられつつ,国民の叡智がよき判断を下し,国民の意志がよきことを志向するよう祈り続けていらっしゃることが,皇室存在の意義,役割を示しているのではないかと考えます」
◆ご家族への思い
一年に一度、お誕生日に際しての文書回答は、その後もさまざまな示唆に富んだメッセージを伝えられた。
ご実家の家族のことについて思い出を振り返られたのは、平成16年。ちょうど70歳の古希を迎えられた時だった。
「古希を迎え,両親に育てられ,守られていた頃が,はるかな日々のこととして思い出されます。家を離れる日の朝,父は『陛下と東宮様のみ心に添って生きるように』と言い,母は黙って抱きしめてくれました」
そして、同時に自らの家族についても綴られている。
「陛下がいつもひろいお心で私を受け容れてくださり,また,3人の子どもたちからも多くの喜びを与えられました。私は男の子も大好きでしたが,3人目に,小さな清子が来てくれた時のうれしさも,忘れることができません」
末娘の清子さんへの思いは特別だったようで、この翌年に黒田慶樹さんと結婚したことを受けて、文書回答ではしみじみとした母の思いが吐露されていた。
「清子は,私が何か失敗したり,思いがけないことが起こってがっかりしている時に,まずそばに来て『ドンマーイン』とのどかに言ってくれる子どもでした。これは現在も変わらず,陛下は清子のことをお話になる時,『うちのドンマインさんは・・・』などとおっしゃることもあります。あののどかな『ドンマーイン』を,これからどれ程懐かしく思うことでしょう」
◆退位に伴ってのご心境
平成28年には、その年の8月に上皇さまが譲位(生前退位)を表明されたことを受けて、美智子さまは上皇さまの意向を尊重している旨を綴り、後押しを鮮明にされた。
「私は以前より,皇室の重大な決断が行われる場合,これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり,その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので,皇太子(現天皇陛下)や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も,謹んでこれを承りました」
平成の御代の最後の年となった平成30年には、皇居を離れ赤坂御用地に設けられる仙洞御所に移り住むことを楽しみにされていた。
「しばらく離れていた懐かしい御用地が,今どのようになっているか。(中略)陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワの木なども御一緒に植えながら,残された日々を,静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています」
この時、自由に過ごせるゆとりが生まれたら、いつか読みたいととっていたという本を、美智子さまは心静かに読書をしたいとも綴られた。
今、美智子さまは上皇さまのお傍で、望んでいた読書の中に身を投じ、心の内を旅しつつ、卒寿の時間を満喫されていらっしゃるのだろうか。
これからも美智子さまの健やかなる日々が末永く続き、再び国民に向けてのメッセージを、何かの機会に送っていただれば、この上もなく幸いなことだと改めて感じた。
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