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三笠宮妃百合子さま薨去 悲しみを乗り越えて宮家存続と継承の着地点とは!?

つげのり子放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)
三笠宮妃百合子さま(写真:毎日新聞社/アフロ)

明治以降の皇族の中で、最高齢の101歳を数えた三笠宮妃百合子さまは都内にある聖路加国際病院に入院されていたが、11月15日午前6時32分、人生に幕をおろされた。衷心より哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げたい。

百合子さまは、1923年(大正12年)、子爵・高木正得の二女としてご誕生。1941年(昭和16年)、昭和天皇の末の弟である三笠宮崇仁親王と結婚され、三男二女に恵まれたが、長男の寬仁親王をはじめ、二男・桂宮宜仁親王、三男・高円宮憲仁親王がいずれも若くして薨去するという悲劇を味わった。

三笠宮家を継承するものとみられていた寛仁親王が亡くなられたのは、父の三笠宮崇仁親王より先であったことから、崇仁親王亡きあとは百合子さまが当主として宮家を存続されてきた。

今回、百合子さまが薨去されたことから、三笠宮家の寛仁親王妃信子さま、長女・彬子さま、二女・瑶子さまの皇室内でのお立場に大きな変化が訪れるものと思われる。

それはどのような変化なのか、皇室解説者の山下晋司さんに聞いた。

◆三笠宮家の今後

百合子さま亡き今、まず気になるのが“三笠宮家”の当主は誰になるのかという点だ。

そのことに関して山下さんは、今後の展開を語ってくれた。

「寛仁親王が亡くなられたあと、前例どおり、信子妃殿下が寛仁親王家の当主になるものと思われていました。しかし、詳細は不明ですが、信子妃殿下と娘の彬子・瑶子両女王殿下との話し合いがまとまらず、当主不在の状態が一年間続きました。そして、苦肉の策として三笠宮家に三方が合流するという形になりました。そういう経緯がありますので、今回もすぐには結論が出ない可能性はあります。彬子女王殿下は父、寛仁親王の葬儀では喪主を務められ、祖父、三笠宮崇仁親王の葬儀では喪主代理を務められるなど、実質的に寛仁親王家、三笠宮家の当主の役割を担ってこられたと言えますから、三笠宮家の当主となることを望んでおられるだろうと思います」

戦後、昭和天皇の三人の弟が宮家皇族として皇室に残ったが、そのうち子どもや孫がいらっしゃるのは三笠宮家だけ。彬子さまと瑶子さまの姉妹は、三笠宮崇仁親王や百合子さまの血筋を受け継いでおられる。

信子さまは、故・寛仁親王の妃ではあるが、寛仁親王ご存命中から別居されており、現在も赤坂御用地の外で暮らしておられる。また、お子さまたちとの関係性も様々に取りざたされている側面もある。

三笠宮家の祭祀を、彬子さまが熱心に取り組んでいらっしゃることから見ても、彬子さまが継承されるのは妥当な結論だろう。

しかし、彬子さまが新たな三笠宮家の当主となり、信子さまと瑶子さまは、その家系につらなるとなれば、悩ましい問題が生じるというのだ。

「いわゆる”宮家”というのは、皇室経済法でいう『独立した生計を営む皇族』を当主とした世帯のことです。当主は一般で言うところの世帯主です。『独立した生計を営む皇族』になるには、内閣総理大臣や衆・参議長などで構成される皇室経済会議の議決が必要です。

なお、現行法でも彬子女王殿下が『独立した生計を営む皇族』として宮家の当主となることは可能です。

どういう形になるのかによって、皇族費に違いが出てきます。皇族費は内親王か女王かなど、ご身位によって違いますが、当主かその世帯構成員かによっても違います。詳細は省きますが、例えば、彬子女王殿下が三笠宮家の当主になり、信子妃殿下がその世帯構成員になると、当主よりも世帯構成員の皇族費の方が高くなります。

三笠宮家は彬子女王殿下が当主に。瑶子女王殿下はその世帯構成員か、または”瑶子女王家”という新たな宮家の当主に。信子妃殿下もまた別の宮家の当主になるということも考えられます」

山下さんは、三笠宮家の女性皇族お三方が、それぞれ独立した皇族となる可能性もあるという。

つまり、彬子さまは三笠宮家を受け継ぐという既定路線を選び、信子さまは「寛仁親王家」として独立し、瑶子さまも「瑶子女王家」として一本立ちするのではないかというのだ。

◆百合子さまが望まれるもの

「“三笠宮家”や“寛仁親王家”といった名称は、法的な問題ではありません。当事者と宮内庁が相談して、陛下の了承を得られれば、いいはずです」

山下さんが言う通り、お三方それぞれが独立した皇族となった場合、皇室経済法の規定に則って、彬子さまと瑶子さまの皇族費は、今よりも増える。

しかし、その具体的な金額については、まだ百合子さまが薨去されて間もない上に、金銭に関わるトピックは皇室の話題として相応しいとは思えないので、ここでは敢えて明記しないが、皇室経済法、皇室経済法施行法に規定されているので、そちらを参考にしていただきたい。

現在の三笠宮家が置かれた状況は、つまるところ、信子さま、彬子さま、瑶子さまのお三方で話し合われるしかないのだが、もし百合子さまが生前、三笠宮家の将来について、なんらかの方針をしたためた遺言書でもあれば、強い影響力を持ってくるだろう。

ともあれ、3人もの男児を成し、男系男子継承のゆるぎない戦後皇室の礎を築かれた三笠宮妃百合子さまであったが、不幸にもお三方とも百合子さまより先立ってしまった。

深い悲しみを胸に過ごされる長い日々には、どのような思いが交錯していたのだろうか。

そんな百合子さまに心を寄せ、三笠宮家の存続が静かに、そして無事に決着してほしいものである。

放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)

2001年の愛子内親王ご誕生以来、皇室番組に携わり、テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。西武文理大学非常勤講師。日本放送作家協会、日本脚本家連盟、日本メディア学会会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)などがある。

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