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賃上げ過去最高水準も「官製春闘」は虚しいだけ。日本の賃金が上がらないのは低学歴、低人材社会だから

山田順作家、ジャーナリスト
春闘は年中行事の一つ(写真:森田直樹/アフロ)

■「30年ぶりの5%超え」をメディアも政府も歓迎

 3月13日、2024年春闘は、ヤマ場である大手企業の集中回答日を迎えた。トヨタ自動車やホンダ、川崎重工、IHIなどの満額回答をはじめとして、自動車、電機、鉄鋼など主要製造業で過去最高水準の賃上げが相次ぎ、日本中が久しぶりにお祭りムードに包まれた。

 連合が先週発表した賃上げ要求の平均は5.85%。30年ぶりの5%超えで、昨年の4.49%を大幅に上回っていた。また、集中回答日を待たずに満額回答が何社も発表されてきたので、この結果は予測できるものだった。

 岸田首相も、政府、経済界、労働界の3者による「政労使会議」の席で、「昨年を上回る賃上げの流れができていることを心強く思う」と、満面に笑みを浮かべた。

 しかし、これで、「安い、安い」と言われてきた日本人の賃金が実質的に少しでも上がるのだろうか? また、世界の主要国に比べて圧倒的に低い日本の賃金は、今後、改善されていくのだろうか?

■今後の注目は中小企業、非正規雇用の賃金

 大企業の回答がほぼ出そろったので、今後の焦点は、中小企業の回答がどうなるかに移る。さらに、ほとんどが「春闘」の圏外に置かれている、雇用労働者の約4割を占める非正規雇用労働者の賃金がどうなるかも、注目の的だ。

 昨年来の消費者物価の上昇率を考えると、全労働者の賃金が少なくとも7%は上がらないと、これまで約2年間続いてきた実質賃金の連続マイナスはカバーできない。となると、現状では、一部の大企業をのぞいて、この達成は無理ではないだろうか。

 いずれにせよ、今後の物価上昇率が賃上げ率を上回ってしまえば、「賃上げ過去最高水準」もほとんど意味がなくなってしまう。

 「低賃金ニッポン」は、今後も続いていく。

■ニンジンをぶら下げた「官製春闘」への疑問

 ここ10年ほど、日本独特の賃上げ交渉システムである「春闘」は、「官製春闘」と化した。政府が労使交渉に介入し、「なんとか賃上げを!」と圧力をかける、市場経済の原理に反する社会主義国家のようなことをやってきた。

 今回も、岸田首相は回答日の前までに2回、「政労使会議」を開催し、「賃上げ促進税制」という「ニンジン政策」を改良(改悪?)し、企業に賃上げを迫った。

 この税制は、積極的に賃上げをした企業の法人税負担を軽くするというもの。今回は、中小企業と大企業では率が異なるが、大企業の場合、賃上げ率が7%以上で、法人税から賃金増加額の最大35%を控除できるというものだ。

 はたして、このニンジンに飛びつく企業がどれほどあるだろうか? 要するに、「減税」なのだが、賃上げとツーペイなのだから、そう簡単にできるものではない。

 というより、なんでこんな減税措置をするのか疑問である。労働者の可処分所得を増やすのが目的なら、企業減税ではなく、単に労働者そのものの所得、社会保険料などを減税すべきだろう。 

■最大の原因は労働生産性が低すぎること

 それにしても、なぜ、日本の賃金は低いのだろうか?

 諸説があるが、最大の理由とされるのが、日本の労働生産性の低さだ。

 日本生産性本部によると、OECDデータに基づく2022年の日本の1人当たり労働生産性(就業者1人当たり付加価値)は、8万5329ドル。OECD加盟38カ国中31位と下位グループに沈んでいる。

 1位のアイルランドは25万5294ドル、4位のアメリカは16万725ドル、10位のフランスは13万2837ドル、15位のドイツは12万5163ドルと、日本のはるか上を行っている。

 27位の韓国ですら9万2508ドルで、日本より上だ。

 日本と同じように低いのは、30位ハンガリー8万5476ドル、32位ラトビア8万3982ドルといった東欧諸国である。ちなみに、OECD平均は11万5454ドルである。

■主要国に比べ、博士号、修士号取得者が少ない

 それでは、なぜここまで、日本の労働生産性は低いのだろうか?

 これにも諸説があり、「一つの仕事に携わる社員数が多い」「長時間労働」「デジタル化の遅れ」「年功賃金」などが指摘されているが、根本原因は、人材のクオリティが低く低学歴だからだろう。

 これを言うと反発する声が聞こえてくるが、日本に「高度人材」が少ないのは事実である。博士、修士号取得者(人口比)は先進国の水準を大きく下回っている。デジタルエコノミーの時代、高度人材なしでは企業は発展しない。

 文部科学省によると、日本の博士課程の入学者数は2022年度に1万4382人で、ピーク時の2003年度の1万8232人から21%も減少している。

 この状況をアメリカなどの主要国と比べると、人口100万人あたりの博士号取得者は、2020年度に日本は123人だが、アメリカは285人、英国は313人、ドイツは315人。日本の博士号取得者は、主要国の半分にも満たない。

 また、韓国や中国も含めて、世界の主要国が高度人材を増やしているのに比べて、日本だけが減らしている。さらに、企業における博士号の保持者の数を見ると、日本の2万5386人に対して、アメリカは20万1750人と約8倍も開きがある。

■高度人材の高給が給料全体を引き上げる

 現在、株価が上がっている「マグニフィセント・セブン:Magnificent Seven」(Google、Apple、Facebook[Meta Platforms]、Amazon、Microsoft、TESLA、NVIDIA)は、どこも修士、博士人材を大量採用して、イノベーションを起こして発展してきた。

 たとえば、グーグルやアマゾンは、博士号をもつ人材を高給で雇い、積極的に活用してきた。企業が収益を伸ばせば、それに貢献した社員の賃金も上がる。高度人材の高給は、その下の人材の給料も引き上げる。

  博士、修士とまではいかない学士(大学卒業レベル)の人材も、日本はクオリティが低い。いまだに大学生の4年間は、勉強よりも遊びが中心で、卒業は簡単だからだ。

 日本の大学卒業生なら、すべてAI、生成AIに置き換えてしまったほうがいいと言う経営者もいる。

■大学ランキング下位の「低学歴社会」

 日本は、初等教育、中等教育のレベルは高い。

 それは、「PISA」(Programme for International Student Assessment、2023:OECDが行う世界学力調査)で、世界第5位(科学的リテラシー2位、数学的リテラシー5位、読解力3位)というランキングが表している。

 しかし、大学になるとランキングは急降下する。

 たとえば、「THE世界大学ランキング」(Times Higher Education World university Rankings、2024)では、日本トップの東大は世界29位、京大は55位で、中国、香港、シンガポールの大学より順位は低い。私立の雄とされる早稲田、慶應にいたっては500位以内にも入っていない。

 かつて、大学は「レジャーランド」と揶揄された。この現実は、いまもそう変わっていない。その結果、日本企業は、学位に価値を認めない。大学でなにを学んだかは無視でされ、ただどこの大学(大学ブランド)かで採用を決めている。

 日本は「学歴社会」ではあるが、「カタチだけの学歴社会」「低学歴社会」と言うほかない。

■アメリカでは学歴と賃金は連動する

 私の知るかぎり、世界でこれほど学位が価値を持たない国はない。アメリカでも欧州でも、そしてアジア各国でも、学位は評価され、それに応じた報酬、給料が支払われる。学位と賃金は連動する。

 アメリカの労働統計局のデータを見ると、大卒の初任給(年収)は約5万ドル(約750万円)。これに対して、日本は約200~285万円(厚生労働省のデータ)である。なんと、約3倍(購買力平価に調整しても約2倍)も違う。

 これは、学部卒の学士(Bachelor)であって、大学院卒の修士(Master)、博士(PhD.)となると、さらに違ってくる。

 たとえば、日本でももてはやされているMBA (Master of Business Administration:経営学修士)を収得して就職すると、初年度の年収は平均して11万5000ドル(約1730万円)ほどになる(US News and World Reportのデータ)。また、MBAはどのビジネススクール(経営大学院)で取得したのかで、給料が大きく違ってくる。

 さらに博士号となると、18万ドル(約3000万円)以下などということはない。

 これが、本来の学歴社会というものだ。

■難関校のMBA取得で年収5000万円にも

 日本では、学士、修士、博士で、給料の差はあまりない。修士、博士などの高学位取得者が尊重される製薬系、化学系の企業でさえ、初任給は学部卒の平均約22万円に比較して、修士で約26万円、博士で約30万円とそれほど差がつかない。

 しかし、アメリカは学位により給料は大きく違う。アメリカ労働統計局によると、アメリカでもっとも高い給料を得られるのは、医学博士(MD:Medical Doctor)や法務博士(JD:Juris Doctor)のような専門職博士号取得者と博士号(PhD)取得者となっている。

 その次が、修士号取得者、その次が学士号取得者となっていて、博士号取得者と学士号取得者では年収において2倍ほどの開きがある。

■スタンフォードMBAの基本給は16万ドル

 修士号でもっとも人気が高いMBAについて調べてみると、日米の差は驚くべきものがある。日本の大学のMBAは本来のMBA(欧米で認定された)ではないから意味がないかもしれないが、欧米では難関校のMBAは絶大な価値を持っている。

 たとえばスタンフォード大学のビジネススクールの場合、基本給は16万ドル(約2400万円)。これに、ボーナス7万8000ドル、入社時の契約金3万3000ドルが加わる。これは、州立大学クラスのビジネススクールの倍以上である。

 さらに、給料が高い金融系に就職するとなると、基本給が20万ドル(3000万円)に跳ね上がる。

 日本の金融系でトップはやはり日本銀行だが、初任給は、大学卒の総合職で21万3100円、大学院卒の総合職で月収23万9090円(日銀HP)となっている。これを年収にすると、大学院卒の場合、約287万円。これに、ボーナスを加えても400万円に満たない。

■論文数の激減が示す科学技術力の低下

 かつての日本企業は、企業内で研究をしながら博士論文を書いて学位を取る社員をサポートしてきた。2014年に青色発光ダイオードでノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏、2019年にノーベル化学賞を受賞した旭化成名誉フェローの吉野彰氏は、そんな論文博士である。

 しかし、いまや企業にそんな包容力はない。

 国も企業も、そして大学自らも高等教育を軽視してきた結果、この国はどうなったか? 論文数が激減して、科学技術力が大幅に低下してしまった。

 文部科学省が所管する科学技術・学術政策研究所(NISTEP)がまとめた報告書「科学技術指標2022」によると、日本は1980年代から2000年代初頭までは論文数のシェアを伸ばし、英国やドイツを抜かし、一時は世界第2位まで上りつめた。

 ところが、最新のデータでは、1位中国、2位アメリカ、3位ドイツ、4位インドに次ぐ5位に転落している。

■世界人材ランキングで後方43位に転落

 論文数の低下より深刻なのは、人材の劣化だ。

 スイスのビジネススクールIMDによる「世界人材ランキング2023」(World Talent Ranking)によると、日本は、調査対象の64カ国・地域のうち43位で、後方グループまで転落してしまった。 

「語学力」や「上級管理職の国際経験」「人材の確保と定着」「外国人材に日本を魅力的に感じてもらえているか」「女性労働力」などに対する評価が低いううえ、「GDP比で見た教育投資」の少なさも、ランキング低下の大きな要因だ。

 ランキングトップ10は欧州諸国が独占している。アジアではシンガポールがトップ10に入っているだけで、日本は34位の韓国、41位の中国にも敗けている。ちなみに、1位はスイス、ドイツは12位、アメリカは15位である。

■高等教育はもちろん初等教育から変えるべき

 そもそも、高度人材不足が深刻だというのに、企業も国も学位の価値を認めない現状は、私には理解しがたい。もう何年も前から「教育改革」が叫ばれているのに、9月入学すら実行されないのも信じがたい。

「英語教育の早期化」「アクティブ・ラーニング」「総合学習」など、いろいろな改革ワードが飛び交ってきたが、そのどれもが中途半端だ。とくにプログラミング教育は2020年度より必修化されたが、それはプログラミングという教科ができたのではなく、各教科のなかで「プログラミング的思考」を育成するというのだから、本当にわけがわからない。

 このように見てくると、高等教育の改革は待ったなしだが、初等、中等教育から始めて教育そのもの全体を変えていくほかないと思う。

「官製春闘」などやっていないで、政府は、この教育の惨状を一刻も早くなんとかすべきだろう。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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