なぜ高校野球は新型コロナ問題の渦中に、無観客で大会を開催できるのか?
選抜大会は無観客開催へ
日本高校野球連盟(高野連)と毎日新聞社は4日、19日に開幕する第92回選抜高校野球大会の開催について記者会見を行った。
焦点はやはり新型コロナウイルスの感染拡大問題だ。春休み期間は野球に限らず様々な競技団体で高校の「選抜大会」が開催される。団体競技ならばラグビー、ハンドボールなどの全国大会がある。個人種目も柔道、体操、テニス、ボートと様々だ。ゴルフ、日本拳法のような全国高等学校体育連盟(高体連)に加盟しない組織も含めると筆者が把握する範囲で20種目以上の選抜大会があり、野球以外の全競技が既に大会の休止を決めている。
高校野球の選抜大会は11日に高野連の臨時理事会で再協議を行うものの、無観客試合での実施に向けて準備を進めることになった。一方で感染拡大の抑止と予防のために監督会議、甲子園練習、リハーサルも含む開会式が中止となった。
また参加各校は3月15日まで対外試合、遠征合宿の「自粛」が要請される。北海道や東北、北陸など降雪地帯の出場校は大会の準備に支障が出るだろう。
政府はイベント自粛、臨時休校を要請
安倍晋三首相はまず2月26日、「この1,2週間が感染拡大防止に極めて重要である」という認識をもとに、2週間以内に開催される全国的なスポーツや文化イベントの開催に関して中止、延期、規模縮小の対応を要請している。
また文部科学省は2月28日、3月2日から2週間程度の「適切な時期」を設定して臨時休校とするよう全国の教育委員会に要請している。これに伴って公立の小学校、中学校、高校は大半が臨時休校に入った。対外試合や遠征合宿の自粛要請も、この期間に対応したものだろう。
無観客での開催は大会主催者にとって苦渋の判断に違いない。経費は相応にかかる一方で、入場料収入はゼロとなる。高校野球の華であるアルプススタンドのブラスバンドや応援も見られない。観客という「舞台装置」がないスポーツは率直にいって味気ない。しかし選手、ファンにとって試合の中止よりは間違いなく前向きな決定だ。
選抜は大震災直後にも開催
選抜は近年、2度の開催危機に見舞われた。一つは1995年3月25日に開幕した第67回大会だ。同年1月17日に阪神淡路大震災が発生し、開催地の兵庫県は甚大な被害を受けた。しかし高野連は楽器使用、バス利用などの自粛要請を行った上で大会を開催した。
もう一つは我々の記憶に新しい2011年の第83回大会だ。大会直前の3月11日に東日本大震災が発生。福島第一原発事故など社会的な混乱、不安が収まらない状況下で、23日に選抜大会が開幕した。被災地の東北(宮城県)、光星学院(青森)も含めた32校が出場している。このときも他競技の選抜大会が中止になった状況下で、開催地が首都圏ではなかった事情もあり、高校野球だけは開催にこぎつけた。
高校野球が持つ人とカネの強み
2020年春に限って言えば、震災のような目に見える被害が発生しているわけではない。交通手段は通常通り動き、ライフラインの問題も起こってない。他競技の選抜大会は高校野球ほど集客があるイベントではなく、無観客で開催できるなら、それでもよかったはずだ。
しかしなぜ高校野球は無観客でも開催ができて、他競技はできないのか。そこはやはり競技団体が動かせる「人とカネ」の差だ。
高校野球(硬式)の全国大会は阪神甲子園球場という民間施設を使って開催する。グラウンド整備はファンならよくご存知の阪神園芸だ。場内の誘導、場外の警備などもアルバイトは使っているにせよ「プロ」が仕事としてやっている。
「手伝い」に依存する他競技
他競技のスタンダードは公共施設で大会を開催し、競技役員は教員が担い、運営周りの作業は地元の高校生が手伝う構図だ。公共施設は政府の要請に合わせて休業に入ったケースもある。また大会の運営は本番だけでなく事前の準備が必要で、「3月2日から2週間程度」の時期から高校生が動かないと間に合わない。
高校野球も都道府県大会は他競技と同じように「教員が生徒の力を借りながら運営する」体制だ。したがって甲子園大会でなければ、新型コロナウイルス感染症の影響で休止になっていた可能性が高い。
高野連が持つ財政力のアドバンテージもある。今大会は当然ながら大幅な赤字が出るだろうが、それも過去の余剰金で問題なく吸収できる。
なぜ選抜大会がこの国難で開催可能なのかーー。高野連が高体連に加盟していないという組織の違いはあまり関係がない。「伝統があるから」という説明も間接的には正しいのかもしれないが、よりダイレクトに説明をするならこうなる。高校野球がプロフェッショナルを巻き込む資金力と体制を持っているからだ。