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新体制元年、純烈の現在地【前編】 スーパー銭湯巡りに貫くイズムと「トラブルは起こる」想定

斉藤貴志芸能ライター/編集者
写真左から酒井一圭、白川裕二郎、岩永洋昭、後上翔太(G-STAR.PRO提供)

今年からメンバーが1人入れ替わる形で、新体制となった純烈。昨年末の紅白歌合戦でダチョウ倶楽部、有吉弘行とのコラボで話題を呼んだ後、スーパー銭湯巡りに加えて全国ツアーや高麗人参を使ったゼリーのプロデュースなど、精力的な活動を続けている。明治座での2年ぶりの座長公演を控え、グループのこれまでと現況を聞いたインタビューを前・後編でお届けする。

お客さんに違和感はあったと思います

――今年から岩永さんが加入して新体制になりました。馴染むのは早かったですか?

岩永洋昭 独特のリズムと空気感を1日でも早く掴まなければと思っていましたけど、しらふでマイクを持って歌う経験がほぼなかったので、最初は緊張感との闘いでした。3~4ヵ月して、何とか緊張せずにできるようになったくらいですかね。

酒井一圭 お客さん方もめっちゃ違和感があったと思います。純烈という日本の末端の男性グループに、EXILEのようなメンバーが入っちゃった、みたいな(笑)。

――系統が違うと。

酒井 マダムも「見た目、怖い人だ」という。互いに探り探り。卒業した小田井(涼平)さんの存在感がすごくあったので、まだ残像が見えていたのが最初の1~2ヵ月。今はもう「岩永さんってこういう感じなんだ」と浸透して、岩永のほうも「おばちゃんってこんなに元気なんだ」というノリができていて。コロナ禍も落ち着いて客席に行けるようになったので、お互いの距離が近づいて良かったです。

――岩永さんは最初に純烈に入る話が来たときは、どう思ったんですか?

岩永 もともと同じ事務所で、僕は俳優部、純烈は歌謡部。マネージャーとよく飲みに行く間柄だったんです。3~4年前から、冗談半分で「純烈に入る決心はできたか?」みたいなやり取りはあって。小田井さんの卒業が決まって、「本気で考えているけど、どうだ?」という話が出て、率直にありがたいなと思いました。僕の家族も純烈のファンだったので。

岩永洋昭(いわなが・ひろあき) 1979年11月23日生まれ、長崎県出身
岩永洋昭(いわなが・ひろあき) 1979年11月23日生まれ、長崎県出身

男の色気もあるからマダムたちが喜ぶだろうなと

――他の皆さんは、岩永さんの加入をどう受け止めました?

白川裕二郎 すごく嬉しかったです。以前いろいろあってメンバーが減っていって、事務所の社長に「どんな人を入れたらいいと思う?」と聞かれたとき、僕は岩永の話をしたんです。スタイルもいいし、顔も男らしい。パーティーみたいな場でお話しさせてもらうと、男の色気も持っている。きっとおばちゃんたちは喜ぶだろうなと。

――実際そうなったわけですね。

白川 徐々に、ですね。最初は岩永が緊張していて、踊りもぎこちないわけです。ロボットダンスかというくらい、カクカクしていて(笑)。お客さんの顔も見られず、空を見て歌っていたんですよね。おばちゃんに「ダンスはもっとこうしたほうがいいんじゃない?」と言われて、キレていましたから。

岩永 キレてはいない(笑)。

白川 でも、コンサートを重ねるうちに彼の人となりをわかってもらえて、マダムたちも打ち解けていきました。

後上翔太 僕も岩永さんが入ると決まったとき、驚きはありませんでした。小田井さんが卒業することになって、「3人で行く?」「1人増やそうか」みたいな流れでしたけど、結局はリーダー(酒井)が決めること。もしかしたら65歳の人が入るとか、20代とか、女性かもしれないとか、いろいろ想定していたんです。でも、岩永さんはグループの平均年齢ぐらいで、イメージしやすくて。お酒の場とかで話すこともあったから、すぐ馴染めるだろうなと。逆に、岩永さんのほうは大変だったと思います。それまで歌をやっていたわけでないし、40歳を過ぎて純烈の季節感で人生を変えるわけですから。

後上翔太(ごがみ・しょうた) 1986年10月23日生まれ、東京都出身
後上翔太(ごがみ・しょうた) 1986年10月23日生まれ、東京都出身

「グリグリいくけど大丈夫?」と確認しました

――リーダーの酒井さんの中では、岩永さんを新メンバーにする決め手は、どんなことだったんですか?

酒井 まず、メンバーやスタッフに「何人になるのがいい?」と聞いたら、みんな「5人」ということだったんです。でも、僕としては4人。新メンバーを2人教育するのは、めっちゃ難しいので。

――大人であっても。

酒井 純烈のイズム的なものを伝えて、1人1人を仕上げていかないといけませんから。会社の上のほうから「岩永はどうだろう?」という話が来て、本人が馴染むならOK。でも、馴染まなくて結果的に飛ぶパターンもあり得るので。僕が直接会ったら、話が進んでしまう。隣りの俳優部で、ありとあらゆる人の話を聞いて、本当に会っていいのか考えました。

――そんなに慎重だったんですか。

酒井 僕としては、もう経営者側なんです。それまで事務所で岩永とすれ違うと、「リーダー、おはようございます」「元気? 今はどんな作品に入っているの?」という会話をしていたのが、純烈に入るなら「最低限こうしてもらわなければ」という部分が生じます。最終的に岩永と会ったときはポジティブになっていて、あとは彼自身がどう思うのか。今までと関係性がまったく変わるし、「俺、イヤな奴だからね」「ほんまにグリグリいくけど大丈夫?」と聞きました。それでも「チャンスなのでチャレンジしたい」ということだったので、「ほんなら頑張ろうか」という感じでした。

――岩永さんはここまで活動されてきて、純烈に入って良かったと実感することはありました?

岩永 テレビやいろいろなところに出ると、地元の長崎の友だちや親族が僕の想像以上に喜んでくれて。それが率直に嬉しいなと思っています。

酒井一圭(さかい・かずよし) 1975年6月20日生まれ、大阪府出身
酒井一圭(さかい・かずよし) 1975年6月20日生まれ、大阪府出身

他ならトラブルでも楽しいハプニングと捉えます

――酒井さんから「イズム」という言葉が出ましたが、マダムのアイドルとしての心掛けみたいなものも必要ですか?

岩永 自分で笑いすぎと思うくらいの笑顔で、ちょうどいいのかなと。いろいろ教わっています。

白川 とにかく笑う。あとは、おばちゃんたちと同じ目線で、握手するにしても高さとか極力意識しています。それと、みんなは違うかもしれませんけど、僕は個人的に近所のお兄ちゃん的な感じをイメージしていて。他のグループにないような親しみやすさを心掛けています。

後上 他のところだったらトラブルと言われることも、純烈的には楽しいハプニングと捉えています。たとえば、健康センターでテンションの上がったお客さんが、とことこステージまで来て「ねえ、リーダー、これ見て!」みたいに話し掛けちゃうことがあるんです。

――大きいライブなら警備員に止められますね。

後上 うちの場合は「何? どうしたの?」と普通に話します。「この曲を歌って」みたいなリクエストだったら「そうなん? 歌わないけどね」とか言いながら、うまいこと会場全体に向けてもニコニコして、本当に平和。お金をいただいてやるライブではありますけど、身内同士でワイワイしているような雰囲気があって。お互い笑顔になれることは普段から考えています。

――大人の対応ですね。

後上 かと言って、本当に何でも許すと無法地帯になってしまう。「これはやめて」みたいなことを、どのタイミングでどんなトーンで話すか……も含めての話ですけど。

白川裕二郎(しらかわ・ゆうじろう) 1976年12月11日生まれ、神奈川県出身
白川裕二郎(しらかわ・ゆうじろう) 1976年12月11日生まれ、神奈川県出身

何かでドーンとなったら爆風に乗ろうと

――純烈は2007年に結成して、世の中で注目されたのが2016年くらいから。その後は2018年から紅白歌合戦に連続出場していたり、順調に来ている感じですか?

酒井 いやいや。「どこが順調やねん!」という話です(笑)。

後上 記者会見をしたりね。

――まあ、そういうこともありましたけど。

酒井 メンバー脱退、スキャンダル、文春砲。僕らは何かが起こる想定で、1年じゅう構えています。だから、明確なロードマップも作りません。どうせ頓挫する。惑星が突っ込んできてドーンとなる(笑)。「何が来るねん?」と言いながら「何が起きても進んでいくぞ」というグループですね。

――結果的には何も起こらなくて順調に行ったとしても、皆さんの中では常にアラートが鳴っていて。

酒井 そう。バーンとなっても、その爆風に乗ってまた上がる魂胆なんです。命を守りながら危機を活かす。この気構えはスタッフもメンバーも持っているので、ある種ルーズにしておくところはあります。

冗談でのやり取りから本当のコラボに

――今の話と繋がるのか、去年、小田井さんの卒業が発表された中でのダチョウ倶楽部さんとのコラボも、仕掛けたところはあったんですか?

酒井 あるある。上島(竜兵)さんが亡くなって、肥後(克広)さんと(寺門)ジモンさんのコメントが1週間くらい出なかったんですね。それで、純烈のキャンペーン中に大阪でホテルに帰ったら、ネットニュースに肥後さんのコメントが出ていて。「上島がしくじりました」から、最後に「こうなったら純烈のオーディションを受けたいと思います」と書かれていて、「エッ?」となったんです。

――その一連の経緯はガチだったんですね。

酒井 そうです。すぐに2人を励ましたくて「全然合格です!」とツイートしました。「押すなよ、押すなよ」の熱湯ネタに掛けて、「純烈は推すなと言われても推しますからね」と返したんです。そしたら、2人が雑誌での対談を僕に申し込んでくださって。その対談の最後に「冗談でやり取りしましたけど、ほんまに合体しませんか?」と聞いたら、「僕たちはたけし軍団が断るようなキツい仕事を全部拾って、やってきたんです。リーダーさんが誘ってくれるのであれば、断る理由はありません」と。「ぜひ」と言ってくださったのを互いのスタッフが聞いていて、すぐ名刺交換が始まりました。

スーパー銭湯はホームという感覚です

――一方で、拠点のスーパー銭湯や温泉巡りも続けているんですよね。

白川 やっていますね。

岩永 僕は最初、さっきも言ったように緊張しましたけど、もうここがホームという感覚です。ツアーでは大きいホールでもやらせてもらいますけど、距離は格段に近くてアットホームで、個人的にはすごく好きです。

――年齢を重ねてくると、体力的にはキツくなったりもしませんか?

酒井 その通りです。あっという間に10年とか経ってしまって「ハーッ……」となります。でも、演歌や歌謡曲の先輩を見ると、北島三郎さん、前川清さん、吉幾三さんとか、劇場でずっと歌ってらっしゃる。今の自分たちより激しいステージをされていたり。こんなところで負けていられない。もっと頑張らなければと思います。ここまで押し上げてもらって、チャンスをいただいたわけですから。

白川 コロナ禍が緩和されて、お客さんもまた入ってくれるようになって、応援はすごく力をくれます。握手もさせていただくと、昔から来てくれていたおばちゃんたちとまた会えて、生存確認ではないですけど、手から伝わってくる元気はありますね。いろいろなところを回らせていただいて、大変ではあっても、皆さんの笑顔と直に触れることで、もらえるものは大きいです。

インタビュー後編はこちら

明治座創業150周年記念『明治座9月純烈公演』

9月8日~10月1日

第一部『ハリウッドスターになりたくない!』

1930年代、ニューヨークの酒場。売れない役者のデビー(岩永)、パット(後上)の兄弟とセールスマンのトニー(白川)は偶然、ジャック(酒井)というギャングの悪事を知る。ジャックは3人を始末しようと銃撃し、逃走劇の末にロサンゼルスへ。3人は身を隠すためにハリウッド映画のエキストラに紛れ込んだが……。

第二部 純烈コンサート2023『スーパースター』

公式HP

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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