100ドルの研究がきっかけで、竜巻の「Fスケール」を考案した日本人の話
88人が死亡、100人以上が行方不明と報道されています。先週末アメリカを襲った竜巻の大発生は、全米史上12月としては最悪の人的被害を出してしまいました。
アメリカは地球上でもっとも竜巻が発生する国で、「竜巻の首都」との異名を持ちます。年間1,200個の竜巻が陸上に発生、これは欧州の2倍、日本の50倍に相当します。当然、アメリカの竜巻研究は世界の最先端を行っています。
ところがその発展は、戦後の荒れ野原から一人アメリカに渡った、ある日本人気象学者の功績をなくしては実現しえませんでした。その人の名は、藤田哲也。藤田博士の人生を紹介し、博士の発明した竜巻の指標「Fスケール」についてまとめます。
藤田哲也の人生
1920年10月23日、3人兄妹の長男として現在の福岡県北九州市に生まれます。父・友次郎は小学校の地理の先生で、哲也を干潟・山・洞窟などに連れだしては、自然科学を教えました。哲也少年が小学生の頃には、眼鏡のレンズから望遠鏡を作ったり、太陽の黒点をスケッチしたりするなど、神童ぶりを発揮します。
小学4年の時には、遠足で訪れた大分県の「青の洞門」で、20年かけてコツコツ穴を掘ってトンネルを完成させた和尚の涙ぐましい美談に対し、こう発言します。
哲也少年は、こっぴどく先生に叱られました。
18歳の時に最愛の父を亡くし、一度は職に就くことを考えたものの、才能を惜しんだ周囲の計らいで、助手として働きながら、現・九州工業大学に進学します。少ない費用で研究が出来るからと、1947年背振山の雷雲を分析したところ、当時まだ確認されていなかった下降気流を見つけました。哲也にとっては紙と鉛筆と100ドルほどの予算でできた発見でしたが、アメリカでは同じ発見をするのに200万ドルも、注ぎ込まれていたそうです。
この研究がシカゴ大学教授の耳に届き、1953年、手持ち金たった25ドルでアメリカに渡ります。慣れない英語に苦戦しながら、絵と地図でコミュニケーションを取りシカゴ大学で研究に励みました。多額の予算と最新鋭の装置をぜいたくに使って、彼の才能は一気に開花します。「メソスケール」という研究分野や、気象衛星の解析で頭角を現し、次第に認知されていきました。
そんな中、1957年にノースダコタ州ファーゴの竜巻大発生の被害地を調査し、精密な竜巻経路図を作成、アメリカ研究者も舌を巻く活躍を見せました。後年は、研究用の自家用ジェット機、通称「藤田ジェット」に乗って被害地に出かけていっては、独自の方法で竜巻を解析、次々と画期的な研究を行いました。そして1971年に、世界初の竜巻の指標「藤田スケール(Fスケール)」を発表します。
その後、ダウンバーストの発見で気象学のノーベル賞と呼ばれる世界的な賞を受賞、1998年にアメリカで惜しまれつつ亡くなりました。
今年ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎教授とは、日本での恩師が同じだった縁もあり、アメリカで何度か面会したと聞いています。豪華な顔合わせです。
竜巻指標「Fスケール」
Fスケールとは、被害の爪痕から、いなくなってしまった竜巻の強さを推測するものです。このスケールができるまでは、竜巻の数は数えても、強さまでは区別されていませんでしたから、画期的な発明でした。今でも少し改良を加えられながら、アメリカのみならず、日本、カナダ、イタリア、南アフリカなど多くの国で使われています。
下の表は、アメリカの現在版のFスケール、いわゆる「改良藤田スケール(EFスケール)」の詳細です。
今わかっている先のアメリカ竜巻の詳細
10日(金)から11日(土)にかけて起きたアメリカの竜巻の検証は、4日たった今でもまだまだ続いています。規模が大きかったうえ、夜間に襲った竜巻であったこともあり、かなり時間がかかっているように思えます。
まだ最終ではありませんが、これまでわかっている竜巻の詳細が下記のとおりです。
竜巻報告数: 70個
竜巻の強さ: EF0~EF3
竜巻の移動距離:最長210キロ
ただ竜巻の長さはさらに伸び、観測史上初の4州にまたがる「クアッド・ステート竜巻」が誕生する可能性もあるほか、強さも最強クラスの「EF5」が発表されるおそれがあります。そうなれば2013年ぶりのこととなります。