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松田直樹が残した匂い。もし彼が監督になっていたら・・・。

小宮良之スポーツライター・小説家
横浜F・マリノス時代、3度のJリーグ王者など多くの栄光を勝ち取った松田直樹(写真:アフロスポーツ)

勝利が似合う男、松田

 松田直樹は2000~2005年まで日本代表として戦っているが、特筆すべきはその勝率だろう。2002年の日韓ワールドカップでは日本サッカー史上初、ベスト16に進出。2000,2004年と2度のアジアカップで優勝し、2001年のコンフェデレーションズカップも準優勝だった。

 圧倒的な熱量を、チームの勝利のために捧げることができた。

 16シーズンに渡って所属した横浜F・マリノスでも、常に勝利を目指している。1995,2003,2004年と3度のJリーグ優勝。クラブ史における、すべてのリーグ優勝にかかわっているのだ。

「誰かに負けるなら、自分の身体をいじめて苦しむ方がマシ」

 そう語っていた松田は、頑固なまでの負けず嫌いだった。

「(2000-01年に横浜を率いた)アルディレス監督に、『おまえは一番になれ』と言われたのが嬉しかった。俺は目立ちたがり屋だから。一番になるにはハードな練習が必要だけど、勝つためならいくらでも苦しめた」

 松田のその精神がチームに伝播したのだろう。相手アタッカーと殴り合うような積極的な守備で、どんな攻撃をも跳ね返した。そうして得た勝利を、仲間とはしゃぐ姿が誰よりも似合った。

「毎日(のトレーニング)が喧嘩腰だったね。そんな仲間がいたから、俺はやってこられたと思う。そこで言い訳をする選手は、ダセえから。とにかく、誰にも負けねぇぞって」

 松田はそう洩らしていた。

 2011年8月、松田は練習中に心臓発作で倒れ、34才の若さで急逝している。

 あれから8年、彼が残した匂いとは――。

従順ではない生き方

 松田は、熱い血の滾りを感じさせる男だった。自らボールを持ち運び、攻撃陣を鼓舞する。周りを叱咤し、士気を高めた。彼ほどのパーソナリティーを感じさせるディフェンダーは今も出ていない。スペイン代表のセルヒオ・ラモスは、イメージが近いだろうか。

 チームの勝利のためには、従順でなかった。

 例えば日韓W杯では、一世を風靡した「フラット3」を当時の代表監督フィリップ・トルシエに厳命されていたが、松田はディフェンスラインで話し合い、試合の中でアレンジしていた。3人同時に高いラインを取れば、世界の強豪相手には必ず裏を取られる。自主的に、能動的に考え、行動を起こした。当時、それはとてつもない覚悟のいる選択だった。

 松田は奔放に見えたし、自らの正義に逡巡なく行動ができた。その軸は、チームが勝利できるか、にあった。晩年に所属した松本山雅でも、Jリーグに昇格することしか考えていない。経験の乏しい選手たちを激励しながら、短所よりも長所に目を向け、成長を促した。彼の一言で叱咤され、自分の良さに気付き、今も現役を続けている選手がいる。

 松田は進むべき指標になったのだ。

もし指導者になっていたら

「自分は現役引退後の姿が少しもイメージできない」

 横浜から戦力外を通告された日、松田は寂しそうな表情で明かしていた。

 当時、筆者も相槌を打つしかなかった。しかし、今なら言い返せる。

<マツなら、いい指導者になれる>

 事実、松本に入団した後、松田は若い選手たちに多大な影響を与えていた。彼は選手から指導者に変わりつつあったのかも知れない。

 もし、松田が指導者になっていたら――。

 そこで筆者は、小説「ラストシュート 絆を忘れない」(角川文庫)を執筆したとき、「松田コーチ」というキャラクターを登場させ、主人公たちを指導させている。松田に対するオマージュで、そう名付けた。人物設定は、関西出身でスペイン帰りで、松田との共通点は乏しい。しかし、その熱さだけは込めた。

 松田が生きていたら、指導者としても熱を与えていたに違いないのだ。

歴史がクラブを作る

 少なくとも、松田がピッチで放射した熱が、今の横浜の土台になっていることは忘れるべきではない。その存在は刻々と薄れていく。それが時の流れである。

 しかし偉大なクラブでは、後進が歴史を動かした男たちの名前を胸に刻んでいる。バルサの伝説であるジョゼップ・グアルディオラは、ラディスラオ・クバラへの敬意を語っていたことがあった。

 1950年にハンガリーから亡命してきたクバラは当時、バルサでスーパープレーを見せていた。今のリオネル・メッシに近い活躍だった。クバラを見たいがため、人々が入りきれないほど席が埋まり、巨大なカンプ・ノウが建てられた。塀に腰掛けてみる人たちのお尻が外から並んでいたことで、今もバルサファンはクレ(カタルーニャ語でお尻)と言われるほどだ。

「このクラブがあるのは、先人たちのおかげ。我々は歴史を大事にするべき。クバラのような偉人なしでは今がない」

 グアルディオラはリアルタイムで見ていなくても、クバラを知っていた。先人がいて、今の自分があり、それを継承する。その使命を心得ていた。

 ユース、ジュニア年代も含め、横浜の選手、あるいはファンがどれだけ松田を知っているか?

 松田という歴史が伝えるメッセージがあるはずだ。

「そんな堅苦しいのやめてよぉ、マジで」

 きっと松田は、そう言って照れ笑いするだろうが。

過去の松田直樹の記事。

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20150804-00048152/

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20160804-00060544/

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20170804-00073890/

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20180804-00091390/

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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