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敗れざる者、松田直樹。反骨のディフェンダー、夏の残影。

小宮良之スポーツライター・小説家
松田は「サンドニの悪夢」を胸に刻もうと、部屋の壁に写真を貼りつけた。(写真:アフロスポーツ)

敗北を糧にする。

それがアスリートにとって、一つの才能だと思い知らされたことがあった。

2011年8月4日に逝去したプロサッカー選手、松田直樹を密着していた頃のことである。

「俺は負けるのが許せないし、だからこそプロの世界で生き残ってこられた」

そう語る松田の肉体には、反骨の血が流れていた。

「自分は運が良かった。高校生の頃から、世界の強豪と戦う機会をもらって、そこで"少しでもミスしたらやられる"という感覚を養えた。怖さを肌で感じて、びびった。でも、それよりも(やられると)むかついたし、燃えずにはいられなかった。カヌー、ラウール、アネルカ、ロナウド・・・こいつらに負けねぇぞ、という反骨心と緊張感を持っていたから、成長できたんだと思う」

松田は心のどこかで打ち負かされることを求めていた。そこで這い上がり、反撃を食らわす。少年漫画のヒーローのようである。

そんな男だから、愛された。

ダせぇか、カッコいいか

2001年3月、フランスのサンドニスタジアム。彼の地で、松田は悔しさに身を焦がしている。当時、世界王者だったフランス代表が相手とはいえ、5点を叩き込まれて完膚無きまでに敗れた。キャプテンマークを巻き、ディフェンスの中心にいた松田にとって、それは汚名だった。

気負いもあったのだろうか、序盤にペナルティエリアでペレスを倒し、PKを与えてしまう。どうにか気持ちを切り替えようとした。しかし、世界最高を究めていたジダンやトレゼゲに押しまくられる。あまりの差に、絶望を感じた。

<まだこんなに時間が残っているのか!?>

試合中、心の中で叫んだ。この舞台から下ろしてくれ、と祈った。奈落に突き落とされるような屈辱を感じた。

しかし試合後に時が経つにつれ、反逆の血を沸騰する。

「ダせぇか、カッコいいか」

それが行動理念だった松田にとって、敗れたままは我慢ならなかった。

「一番になるには、きつい練習をしなければならない。(2002年の)日韓ワールドカップまではとにかく体を追い込んだ。俺は甘いものが好きなんだけど、一切口にせず、フィジカル系のトレーニングをする。いつ肉離れしてもおかしくないくらいまでやるんだけど、それがきついとは感じなかった。マゾのようなもんだけど、誰かに負けるより、自分の体をいじめて苦しむ方がよっぽどマシだった」

松田は苦しみでのたうち回りながら、強くなることができた。サンドニでの屈辱をその身に刻み込むため、部屋に写真を貼り、決して剥がさなかった。傷口を抉って、闘争心をかき立てた。究極的なマゾヒズムだろうか。

そして日韓ワールドカップでは、ベルギー、ロシア、チュニジアのグループリーグを無敗で勝ち上がっている。当時、日本中が熱狂の渦と化した。

「でも、俺は一番になる、ってずっと強がって見栄を張っていただけだよ。本当は小心で怖がり。だから、そうやって自分を追い込まないとダメなんだよね」

彼はそう告白してくれたことがある。しかしもし、強がって見栄を張る、という部分がなかったら、世間の目に晒されるプロのアスリートなどやってられない。成績が少しでも下がれば批判される、あいつは終わりだ、と囁かれる。クラブから不当な評価を浴び、クビにされるかもしれない。その人生は華やかに見えるが、実は逆風に向かって突き進んでいくようなものである。

「ライバルのポジションの選手のことを軽々しく褒める、なんて俺にはできない。対戦する相手だろ?やる前から負けているならやめちまえってチームメイトに怒ったことがある」

強がって見栄を張る、というのは、「ダせぇか、カッコいいか」という哲学に通ずる。

VANIDAD

欧州、南米ではトッププロサッカー選手はこの性質を持っていると言われる。うぬぼれ、虚栄心と訳せるだろうか。残念ながら日本では、うぬぼれることは道徳的に悪のように語られてしまう。しかしここで使われるうぬぼれとは、能動的個人主義を指している。うぬぼれるからには、全力で自分を追い込み、高みに導いていく、という行動そのものなのだ。

例えば、クリスティアーノ・ロナウドはまさにVANIDADの塊のような男だろう。自分が大好きな間抜けでいけ好かない、という見方もある。だが彼はバカンス中もトレーニングを怠らず、誰よりも自らを鍛錬し、その上で結果を出している。負けることを憎み、情念を燃やして強くなった。理解されることもあるし、理解されないこともある。

生前、松田は歯に衣せぬ言動で誤解を受けたことがある。しかし、サッカーにかけては真剣だった。まさに生死を懸けて挑んでいた。奔放なイメージが強い男だが、サッカーに関しては細心で熱心。気になったことはノートに書き付けていた。自分自身のインターセプトなどを集めた「イメージトレーニングビデオ」を作成し、試合前には必ず見るようにしていた。

サッカーに人生をかけ、サッカーで一人前の男になり、サッカーで感動を届け、サッカーで友情を深め、そしてサッカー選手として去った――。生き様は伝わったのか。今も、スタンドには背番号3が見られる。

松田は何度か手ひどい負けを経験している。打ちひしがれ、前に進む気持ちが失せかけたこともあった。聖人君子ではない。しかし命尽きるまで、敗れても、敗れても、蘇ろうとした。

彼は人生に敗れていない。

8月4日、その命日に想うのだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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