人形作家 与勇輝展 −布の彫刻 日本の情景− in Paris
「これからも精進してゆきたいと思います」
傘寿を迎えてなお制作意欲の尽きることがない人形作家・与勇輝さんの謙虚なこの言葉。
表現者として、これ以上の境地はないのではないかと思わせるものが、言葉に、そしてもとよりその作品に溢れている。
「布の彫刻、日本の情景」と副題のついた与勇輝さんの展覧会は、パリ日本文化会館で3月3日まで鑑賞できる。
この会期中、与さんとパリ装飾美術館の玩具部門の学芸員、アンヌ・モニエさん、女流作家ニコル・ボシャンさんとの鼎談が行われたのだが、冒頭の与さんの言葉は、この時、彼が壇上で口にされたものだ。
与さんの経歴などについては、彼の作品を常設する「河口湖ミューズ館」のサイトに詳しく記載されているのでそれをご覧いただくとして、ここでは、パリの展覧会と、鼎談での言葉から伝わってくるこの稀有な作家の姿をお伝えしたいと思う。
パリで2回目となる与勇輝さんの展覧会では、会場に入るとまず、作家として歩みだした最初の作品がある。
「灰かぶり」。童話「シンデレラ」で、継母の冷たい処遇に耐えている時代の主人公を表現したもので、与さんが、マネキン製造の会社に勤務していた頃のものだ。
与 会社勤めも10年になった頃、布のぬいぐるみ人形を作る先生に会いましてね、それをちょっと作ってみたら、布の面白さに惹かれました。この方法を自分のマネキン人形に応用したらと思うようになって、体長40センチくらいの人形を会社が終わってから夜中までのめりこむように作る日が続きました。
アンヌ 第1作目の「灰かぶり」の顔の表情が素晴らしいです。その静かな表情に、以後のすべての作品につながる個性を見て取れます。西洋では、人形はまず子供の玩具として始まり、第二帝政の時代には子供が遊ぶに贅沢すぎるレベルの人形が生まれました。作家ものの登場はごく最近のことです。
与 西洋の人形の彫りの深さ、日本の市松人形、どちらも研究しました。
玩具の人形、芸術的な人形、いろいろありますが、作る時には私はまったくそういうことを考えたことがなくて、自分の好きなように、自由気ままに、勝手に作っております。自分のその時の気持ちを、見てくださる方が感じ取ってくれれば十分です。そのあと、また見てみたいと思ってもらえたらさらに幸せです。
「灰かぶり」に始まり、展示では、童話の登場人物など西洋風のいでたちの人形が続いたあと、日本の原風景と呼べるシリーズになる。絣のきもの姿の子供たち、そして『楢山節考』に想を得た姥捨の人形などからは、決して豊かではなかった昔の日本、とはいえ、実はそう遠くない過去の日本の情景が伝わって来る。日々のささやかな幸せ、健気さ…。どの人形も、観る者に切ないまでの愛情を呼び覚ます。
そして、フランスにもファンが多い小津安二郎の世界へと続く。
与 映画少年でした。小津監督の『東京物語』などのイメージから、大変影響を受けています。
アンヌ 少女にほんのすこし女性の表情が漂ってくるような作品。これは私自身とても好きですし、西洋人にとっては、とても魅力的に感じます。そして、戦後の浮浪児のシリーズのあとの若いパパ。これもまた感動的です。
与 パパのイメージの発端は、やはり映画でして。20歳の頃でしょうか、邦題が『不良少女モニカ』という映画があって、その最後のシーンで赤ん坊を抱いた若いパパが鏡に映る。60年も前に観た映画のイメージから来ているんです。発想の源って、案外そんなものです。
ところで、「昭和の記憶」というシリーズが感動的だ。
与さんは7歳の時に終戦を迎えている。食べ物のない困窮の時代は本当ならば忘れ去ってしまいたい辛い記憶。けれども、次世代へそれを伝えなくてはという思いから一連の人形を作った。
与 「浮浪児」の人形。実際に体験した人に言わせると、あんなものではなく、もっとひどいものだったそうです。今、世界各地で戦争が起きていますが、子供達がかわいそうです。戦争は絶対にいけません。これは言わせてもらいます。
与さんは大切なことを口にするとき、決して言葉の多いかたではない。それだけに、一言ひとことに重みがある。
もっとも、思いのたけはすでに人形に込められており、言葉を介さずとも、思いは目からひしひしと伝わってくる。
鼎談会場の聴衆からはこんな質問が出た。
- 人形一体の制作にどのくらいの時間をかけるのですか? 並行したりしますか?
与 早くて2週間、1か月以上かかることもあります。なかなかイメージ通りに行かず、途中でほっておいて、一年以上になるものもあります。
- フランスでアトリエを開いたり、誰かに技術を伝えたいという気持ちはありますか?
与 ありません。伝えることはありません。私のに似たものを作る人はいますが、自分の人形を後世に伝えてゆくという意識はありません。自分が作っている人形が幸せになれば。どんな形で幸せになるのかはわかりませんが、それを祈るだけです。
与さんは弟子を取らないだけでなく、制作の助手もいない。
与 何もかも一人でやります。一人でないとできないんです。仕事場には普通誰も入りませんが、初めて来られた人が驚くほど散らかっています。古い布がたくさんあったりしますから、まるでゴミの山、ゴミ屋敷…。でもそういうところで作っていると、不思議に気持ちが落ち着くんです。
- 実在の誰か大切な人を人形にしたいという思いはありますか?
与 映画の中の登場人物は作りました。でも特にあの女優さんを作りたいとかそういうのはないです。
かわいい子供がいたりすると、よく観察をします。でもあんまりジロジロ見ると怪しまれますけれどね(笑)。
かわいいポーズを頭の中でデッサンします。実際に描いたりすることは滅多にありません。
人形は、作る人に似るんですよ。鏡とも言えますね。指なども。
私は小さいころ面白い顔をしていた。今もそうですけれどね(笑)。
- それぞれの人形はあまり表情の違いがないように思えます。西洋人だろうと、日本人だろうと。服にしか、その違いは表れていないような気がします。
与 そう言われてみるとそうかな、と思ったり…。作る本人が私なので、それはもう…はい。そういうものです。
- 何をみんなに伝えたいですか?
与 一人一人の感性、歩んできた人生が皆違う。ですからお好きなように見てくださればいいです。「見てよかった」。よくを言えば、「ちょっと幸せだった」そう思っていただければ、これ以上のことはありません。
布を素材にした人形を、これからも作り続けてゆくと思います。人形を見て、また見てみたいと思っていただければ、また展覧会ができるかもしれないし。これからも精進してゆきたいと思います。
聴衆に交じってこの言葉を聞きながら、私は70歳からようやく納得のいく画境に入った北斎のことを思い出していた。
80歳にして謙虚な、けれどまっすぐな姿勢で創作意欲が絶えることのない与勇輝さん。
今回はパリで2回目の個展だが、展覧会場ですっかり見入っている人々、鼎談の言葉を一言も漏らさず聞き取ろうとする人々の姿を見れば、次回も…と期待が高まる。
「二度あることは三度ある」は、フランス語でも全く同じ謂である。