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「カタツムリ」はなぜ殻を捨てて「ナメクジ」になったのか、その驚異の生存戦略とは

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:イメージマート)

 ナメクジは、カタツムリが殻を捨てて進化した生物だ。カタツムリは、なぜ安全な殻を捨てて丸裸になったのだろうか。

なぜ殻を捨てたのか

 雨期に入ってジメジメした毎日が続くが、農業や家庭菜園をしているような人にとって見慣れた生物がナメクジだ。ナメクジも貝類(軟体動物門腹足綱)で、海にいる巻き貝、ウミウシ、陸生のカタツムリと同じ仲間でカタツムリとナメクジは約3万種類が確認されている。

 カタツムリが、自らの殻をなくし、体内に埋め込んだ(ほとんどのナメクジが体内に殻を持つ)生物がナメクジということになる。また、完全に身体を隠せないほど小さな殻を持った半ナメクジのような生物もいる。

 だが、カタツムリが卵から孵化した段階から殻を持っているのに比べ、ナメクジは生まれた時から殻を持っていない。カタツムリの殻の中には胃、肝臓、肺などの重要な臓器が入っていて、カタツムリの殻を取ると死んでしまう。

 つまり、カタツムリとナメクジは共通の祖先を持っていて、カタツムリが殻を捨てて殻がなくても大丈夫なナメクジになったというわけだ。

 では、なぜカタツムリは安全な殻を捨て、丸裸のナメクジになったのだろうか。その理由はいくつかあるが、興味深いのはこの変化、進化が世界のあちこちでバラバラに起きていたことだ。

 貝類の弱点は乾燥だが、カタツムリは乾燥した地域にも棲息している。乾燥した環境になると、カタツムリは殻に引っ込んで雨が降ったり湿度が高くなるのをじっと待つ。

 だが、殻に引っ込んだままでは、エサを探せず、交尾もできない。そのため、カタツムリは、軟体動物が持つ身体を覆う外套膜という器官を殻の入口に集め、呼吸や体内の水分保持のために使うようになった。

 もちろん、殻があったほうが強力な外敵でなければ身を守ることができるだろうし、乾燥にも強いはずだ。一方、殻を持つことで外敵に発見されやすくなり、狭い場所へ逃げ込むことが難しくなる。

 水中に生息する貝類は、硬い貝殻を持っていたり海底の岩間などへ逃げることができるが、カタツムリの殻は壊れやすく地面に転げ落ちても容易に発見され、大型の鳥類などの強力な外敵に補食されてしまう。

 さらに、殻を背負っていることによるエネルギー負荷や殻を作り出すためのコストもバカにならない。カタツムリの殻には大量のカルシウムが必要で、カルシウムの摂取が難しい環境の場合、殻の強度も脆弱になる(※1)。

 ナメクジは食べると不快な味がし、保護色を発達させ、毒性を持ち、派手な警戒色のある種もいる。また、ナメクジは地面に穴を掘って身を隠すこともできる。

 殻のあるカタツムリにも殻のないナメクジにも、それぞれ強みや弱みがある。これは水中の貝類でも同じだ(※2)。

あちこちで別々に進化

 殻のない軟体動物は化石化することがほとんどないため、分子生物学の手法でカタツムリからナメクジへの過去の分岐が次第にわかってきた(※3)。

 ただ、分子生物学でもカタツムリとナメクジの表現系の違いが、どのようにして起きたのかについて議論が続いている(※4)。それはまた、どんな遺伝子変異が影響しているのかについても、まだよくわかっていないということだが、カタツムリやナメクジの遺伝的な多様性は高く、それが世界中のほとんどの環境に適応できる能力につながっている。

 確かなのは、世界のナメクジは単一の祖先から進化したのではなく、いくつかの祖先のグループから別々に進化してきたということだ。殻があったほうがいいのかないほうがいいのか迷ったためか、これまでカタツムリが、殻を小さくして半ナメクジになったり、身体の中に埋め込んだりしてナメクジになった進化が別々の地域で何度も起きた可能性がある。

 だが、殻をなくすのは大変な改造だ。殻の中の臓器を身体にしまいこみ、水分を確保し、紫外線などから身を守らなければならない。そのため、ナメクジは殻と一緒に臓器を格納し、外套膜で身体全体をおおって保護するようになった(※5)。

 生物の進化や形態の変化は、長期的には遺伝的な影響が大きいが、短期的には後天的な遺伝子修飾(エピジェネティクス)によっても起きる。環境変化や淘汰圧、性選択、有害物質の摂取などによる後天的な遺伝子修飾は、近い祖先の身体や生理の変化といった表現系に受け継がれ、母胎にいる段階から子孫へも引き継がれていく。

 貝類でも、環境適応に対する後天的な遺伝子修飾が起き、殻の形態などの表現系の変化が起きていることが報告されている(※6)。また、ヒトの農薬が遺伝子変異に影響を及ぼしたのではないかという研究もあり、ナメクジの環境適応力の驚異的な潜在力を示している(※7)。

 殻を持つカタツムリはゆっくりと成長し、殻によって生存率を上げる戦略をとった。ナメクジは殻を持たない代わりに素早く動き、早く成長し、たくさんの次世代を生んで子孫を残す戦略をとった。

 どちらがいいのかは、多様に何度も変化する環境や淘汰圧などによって優劣が分かれる。そのため、各地で何度もカタツムリから半ナメクジ、ナメクジへの表現系の変化が起きたのだろう。それは中途半端な殻しか持たない生存に不利な半ナメクジが多くいることでもわかる。半ナメクジの存在は、どっちつかずの表現系のあらわれだ。

危険なナメクジの寄生虫

 ところでナメクジは、世界各地で自然環境の在来固有種を脅かす外来種としての脅威になっている。マダラコウラナメクジもその一種で、もともとはヨーロッパのナメクジだったが、現在ではアフリカ、南北アメリカ、中国、インド、オーストラリア、日本にも上陸し、じわじわと分布範囲を広げている。このマダラコウラナメクジも体内に殻を持ち、身体が育つにつれて貝殻も年輪を刻んで大きくなる。

 また、オーストラリアではナメクジを生食し、広東住血線虫症という寄生虫感染症にかかって亡くなった人がいるし、沖縄県でもナメクジから感染したと考えられる広東住血線虫症の患者が発生し、米軍基地内の女児1人が亡くなっている。ナメクジを食べるのは絶対にやめたほうがいい。

 この広東住血線虫という寄生虫は、主にネズミ類を宿主とする。だが、中間宿主と考えられる貝類やカタツムリ、ナメクジ、カエルなどを食べることで幼虫が消化器官から体内へ侵入し、血流に乗って髄腔内へ入り込み、好酸球性髄膜炎などの神経疾患や消化器疾患などを発症する(※8)。

 この寄生虫は皮膚感染することもあるので、ナメクジなどをむやみに触るのも危険だ。非衛生的な飲食店にはネズミが出入りすることも多く、ネズミの糞から寄生虫が排出され、その糞を食べたナメクジなどが汚染される危険性がある。

 また、野菜に付着したナメクジなどから、広東住血線虫症の幼虫が排出されて野菜表面に残ることも考えられる。サラダなどで生野菜を食べる場合、よく洗ったほうがいい。

※1:Takahiro Hiirano, et al., "" Biological Journal of the Linnean Society, Vol.114, 229-241, 15, January, 2015
※2:Yasunori Kano, et al., "Ringiculid bubble snails recovered as the sister group to sea slugs (Nudipleura)" scientific reports, 6, Article number: 30908, 8, August, 2018
※3-1:Christopher M. Wade, et al., "Evolutionary relationships among the Pulmonate land snails and slugs (Pulmonata, Stylommatophora)" Biological Journal of the Linnean Society, Vol.87, Issue4, 18, April, 2006
※3-2:Monica Meding, et al., "Crawling through time: Transition of snails to slugs dating back to the Paleozoic, based on mitochondrial phylogenomics" Marine Genomics, Vol.4, Issue1, 51-59, March, 2011
※3-3:Patrick J. Krug, et al., "Phylogenomic resolution of the root of Panpulmonata, a hyperdiverse radiation of gastropods: new insight into the evolution of air breathing" Proceedings of the Royal Society B, Vol.289, Issue1972, 13, April, 2022
※4:Shaolei Sun, et al., "Chromosomal-scale genome assembly and annotation of the land slug (Meghimatium bilineatum)" scientific data, 11, Article number: 35, 5, January, 2024
※5:D W. Burton, "How to be Sluggish" Tuatara, Vol.25, Issue2, January, 1982
※6:Jennifer L M. Theorson, et al., "Epigenetics and adaptive phenotypic variation between habitats in an sexual snail" scientific reports, 7, Article number: 14139, 26, October, 2017
※7:Zeyuan Chen, et al., "Pulmonate slug evolution is reflected in the de novo genome of Arion vulgaris Moquin-Tandon, 1855" scientific reports, 12, Article number: 14226, 20, August, 2022
※8-1:Joel Barratt, et al., "Angiostrongylus cantonensis: a review of its distribution, molecular biology and clinical significance as a human pathogen" Parasitology, Vol.143, Issue9, 26, May, 2016
※8-2:戸高貴文ら、「広東住血線虫症(髄液検査で好酸球増多が?)」、医学のあゆみ、Vol.277, Issue12, 1066-1073, 2021

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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