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【多くの人に多くの幸福を】新紙幣の肖像、渋沢栄一が残した言葉

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今年から新しくなった紙幣のデザイン。
1万円札は40年ぶりの変更となりました。そんな新1万円札の肖像画に選ばれたのは、"渋沢栄一"(しぶさわえいいち)です。みなさんは、彼がどんな人なのか、何をした人なのかを知っていますか?

今回は渋沢栄一について、彼が残した言葉とともにご紹介いたします。本記事を読んで、渋沢栄一をより身近に感じていただければ幸いです。

渋沢栄一が残した言葉は?

できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸福を与えるように行動するのが、我々の義務である。

これが、渋沢栄一の言葉です。

彼は日本資本主義の父と呼ばれています。現在の株式会社の仕組みを作り、第一国立銀行や大阪紡績などの合計500以上の会社設立に関わったようです。

日本資本主義の父と聞くと、連想してしまうのは「お金」「経済」などのフレーズ。お金を稼ぐことや、会社の発展といったイメージを持ちやすいかもしれませんね。

しかし、渋沢栄一が成し遂げたことはそれだけではありません。彼が残した言葉通り、「できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸福を与えるための行動」をしていたのです。

では、もっと具体的に渋沢栄一が何をしたのかを見ていきましょう。

渋沢栄一ってどんな人?

4時代を生きた日本資本主義の父

渋沢栄一はもともと、江戸幕府の最後の将軍である徳川慶喜に仕えていました。

その後、西洋で学んだ経済の仕組みを日本に持ち帰り、先ほどご紹介したように日本経済の発展に尽力します。

やがて大正時代となり、彼は第一線を離れて教育や福祉を中心に活動を始めていました。

永眠したのは昭和6年(1931年)とされていますので、江戸時代から昭和時代と4つの時代を生きぬいた人物と言えます。

渋沢栄一と関東大震災

彼が実業界から引退した後、日本では大きな出来事が発生します。1923年に起こった関東大震災です。マグニチュードは7以上。死者・行方不明者が10万人を超える大災害でした。

当時83歳だった渋沢栄一は、被災者のために行動を始めます。臨時病院や避難所をつくったり、配給を行ったり。また、震災で家族を亡くした子供たちの孤児院もつくったそうです。

まさに、「できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸福を与えるための行動」を義務と考える、渋沢栄一らしい取り組みですね。

幸福を与えられる毎日を目指して

ここまで、渋沢栄一の言葉と彼の歴史についてご紹介いたしました。

「新しい1万円札の人」だけではなく、日本の偉人として彼のことを知るきっかけになれば嬉しいです。そして、新1万円札を見るときに彼の言葉を思い出してみてください。

もしかしたらほんの少し、周りの幸福のために行動できるようになるかもしれません。

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