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カタールW杯に向け、ベトナム戦で露呈した森保ジャパンの限界。監督交代なく「監督」を迎える一計?

小宮良之スポーツライター・小説家
(写真:ロイター/アフロ)

 カタールワールドカップ、アジア最終予選のグループ最終節となったベトナム戦、日本は本拠地で1-1と引き分けている。前節のオーストラリア戦で0-2と勝利し、本大会出場を決めていただけに”消化試合”ではあった。しかし苦杯をなめた印象で、その内容は不安を増幅させた。

 森保一監督が率いる代表は低調さを抜け出せない印象で、その限界と可能性とは――。

森保監督の指導者像

 改めて、森保監督はなぜここまで執拗に批判を浴びるのか。

 森保監督は温厚で篤実な人物で、生真面目に言葉を選んで説明し、その実務的能力は日本有数に高い。一つの原理法則に従って、実直にチームを指導する手腕がある。チームの最大値を作るよりも、「これ以上は落ちない」という最低限の土台を作る堅実さは特筆に値する。

「いい守備がいい攻撃を作る」

 その手段を実行する処理能力は卓抜で、ほころびが出ると修正を加えられる。4-3-3で守備を分厚くした点など一例だろう。歴代の代表監督で言えば、岡田武史監督と符合する点が多いと言える。

 一方で、大国を相手に日本サッカーを引き回し、大局的な見地から戦略を立案・実行するリーダーの資質には恵まれているか?残念ながら、からりとした磊落さや痺れるような敏腕さはない。ルイス・アラゴネスのように度量の広さで強烈に人の心を惹きつけたり、ジョゼップ・グアルディオラのように斬新な戦術駆使によってサッカーにひらめきを与えたり、は望めないだろう。会見での言動も含めて、想像を超えるようなことはないに等しい。

 ベトナム戦、その采配に森保監督らしさは如実に表れていた。

ベトナム戦の戦術的失態

「テスト」

 ベトナム戦に関し、森保監督はそう位置付けていたのだろう。すでにワールドカップ出場を決め、底上げを図る必要があった。ファンやマスコミからの「選手入れ替え」の重圧も感じていたかもしれない。

「新しい選手ありき、ではないですが。選手の近況をチェックしつつ、より力のある、状態のいい選手を。総合的な判断をしながら」

 森保監督は説明している。言葉の使い方に細心の注意を払っていたが、どこか官僚的表現が滲む。その”正しさ”が鼻につくのはあるかもしれない。

 そして言葉の丁寧さとは裏腹に、先発メンバーはやや雑だった。

 オーストリア戦から本来の主力で続いて先発したのは、キャプテンの吉田麻也のみ(右サイドバックの山根視来はケガで欠場した酒井宏樹の控え)。ファッションだったら、靴だけは一緒で他は全身着替えたも同然で、統一性を持たせるのは難しい。それぞれがうまくかみ合わず、「アピールしたい」という気持ちだけが突っ走った。

「これだけ代わってパンパン、うまくいかないのは分かっていた。連係不足で、前半は特に良くなかった。後半も自分たちが良くなったというより、相手が落ちてきて」

 貴重な同点弾を決めた吉田の言葉は、真実を照らしていた。

 もとより森保監督にとって、オーストラリア戦を戦ったメンバーが「主力」なのだろう。それは彼が苦労する中で作り上げた傑作で、バックアップ的な選手は必要だが、それ以上はおそらく頭にない。例えば左サイドバックで長友佑都が消耗した後、中山雄太を投入する交代策は象徴的だろう。「石橋を叩いて渡らない」と揶揄される指揮官は、今のパッケージを変えるつもりはない。

 それが実務レベルの秀才が編み出した答えなのだ。

 ベトナム戦、ファーストオプションとして定着した4-3-3を採用したのも、その枠組みを強化させたかったからだろう。選手の特徴を見て、組み合わせを考え、それぞれの力を引き出す、よりも自らの戦術の枠にはめ込んでいた。

森保ジャパンの限界

 何のベースもない中、いきなり「主力」のコピーを求められた選手たちは、当然の如くノッキングした。お互いの距離間隔は無残なまでに悪かった。立ち位置が悪いから、パスがずれ、コントロールも乱れ、結果的に効率的な攻撃に発展していない。

 柴崎岳のアンカー起用など、一体どんな答えを導き出そうとしたのか、疑問である。周りを補完するプレーをすべきところ、彼は自身がボールに寄ってしまうタイプで、ボールを受けてからの判断も遅かった。五分五分のボールに対する反応も鈍く、結局負けるか、ファウルで止めざるを得ず、守りまで後手に回った。

 もっとも、ほとんどの選手が要領を得ず、苦心していた。

 例えば原口元気、旗手怜央のインサイドハーフも立ち位置をつかめていなかった。独力でどうにかしようとする場面が目立って悪循環。中盤でボールをつなげず、失い、配給できなくなり、バックラインはしばしば攻撃を浴び、前線は”弾切れ”になっていた。

 後半、4-2-3-1で久保建英をトップ下に入れ、いくらか適材適所となって、ややプレーは改善した。ダブルボランチにした柴崎、原口を引っ込め、田中碧、守田英正を入れ、ようやく形になっている。しかしすでに先制点を失い、相手の士気を高め、ジャッジの微妙さもあってゴールが取り消され、吉田の得点で引き分けに持ち込むのが精いっぱいだった。

 森保ジャパンの限界だ。

長谷部誠という切り札

 しかし本大会に向けては、その良さを探すしかない。おそらく監督交代はなく、(協会の)構造的に無理だろう。言うまでもないが、森保監督のメリットはあるし、解任によるリスクもある。

 そこで、もし献策するなら一つだけある。それは代表引退をしている長谷部誠に頭を下げ、(彼には迷惑千万かもしれないが)懇切丁寧に説き伏せ、23人の一人として呼び戻すことだ。

 3度のワールドカップに出場してきた長谷部は、今も欧州の有力クラブ、フランクフルトに所属し、パフォーマンスレベルは今も大きく落ちていない。そのサッカーインテリジェンスは日本史上最高で、プレー構造に安定をもたらす。適切な判断で攻守を落ち着かせ、周りを輝かせる才能は異色。もしベトナム戦でアンカーに入っていたら、こんな体たらくにはなっていない。

 レギュラーである必要はなく、出場は1試合限定、もしくはクローザー、リベロのワンポイントのようなものでもいい。あるいは、たとえ出場がなくてもいいだろう。エゴがない選手だけに、森保監督との折り合いも悪くなることはなく、安定したリーダーシップも発揮できる。練習に参加し、チームに帯同するだけで好影響を及ぼす。

 ピッチの中に、指揮官が誕生するのだ。

 長谷部の存在は、森保監督の実務を支え、求心力を高められる。それはキャプテンシー以上のもので、絵面の良さで対外的にも旗印になる。森保ジャパンの「揺れ」は消える。

 近い将来、長谷部は日本代表監督になるだろう。ぜひ、カタールワールドカップを布石に――。森保ジャパンの限界を広げ、可能性を高めるには、「長谷部招聘」を強く推奨したい。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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