現実のロックダウンに追い抜かれたフィクション。映画『ザ・ピンク・クラウド』
※以下、少しネタバレがあります。何も知りたくない人は公開を待ち、映画館へGO。その後に読んでください。
「この映画は2017年に書かれ19年に撮影されたものです。最近の出来事と似ていたとしてもそれは偶然です」
上映前にこう但し書きが出る。何に似ているのか? コロナ禍の世界である。
ピンク色の毒雲がある日突然やって来て、人は建物の外へ出られなくなる。その瞬間、ロックダウン生活が始まるのである。
つまりこの但し書きは“コロナ禍にヒントを得て作られたものでなく、コロナ禍を予言したものではない”と主張しているわけだ。
が、この主張、どこか自慢のように響く。コロナ禍にヒントを得て作品を作ったところで何ら問題ないのに、わざわざヒントを得てない、と断ることで、むしろ予言感を強調する結果になっているからだ。
■コロナ禍を予言?とんでもない!
で、偶然コロナ禍が起き、実際に世界中でロックダウンが行われたことで、この作品の甘さが目に付くことになった。
上海では食料不足で暴動が起きそうになっている。が、ピンク・クラウド禍では供給の問題はない。一都市のロックダウンでさえ供給が滞るのに、どうして国中おそらく世界中がロックダウン中なのに新鮮な野菜もフルーツもちゃんと届くのか?
食料の詰まった段ボール箱は、窓ガラスをくり抜いて結合したパイプを通って送られる。インターネットを使って注文すら可能なのである。
10秒吸えば死ぬ毒雲の下で、誰が野菜や果物を栽培し、シリアルやビールを生産し続けているのか? 注文をさばき確実に届けるオペレーションを、誰が完璧にこなしているのか?
そもそも、屋外で生きられない世界で、どうして電気、水、インターネットを供給し続けられるのか?
『人類滅亡-LIFE AFTER PEOPLE-』という優れたテレビ番組がある。これは人類が突然滅亡すれば世界がどうなるかをシミュレーションしたものだ。
■なぜ電気、水、インターネットは止まらない?
電気は人間抜きにどのくらい供給を続けられると思いますか? 1週間? 1カ月間? 1年間?
わずか数時間である。
55分後に燃料が必要な火力発電所が稼働を止め、85分後にオペレーター不在で水力発電と風力発電が緊急停止し、96分後に原子力発電所が電力不足で自動停止する。科学者や専門家たちはそう予測する。
太陽光や風力、水力による発電は何となく自動的に機能し続けそうなイメージがあるが、実は人の指示、点検、保守抜きでは何もできないのである。
ピンク・クラウド禍でのロックダウンでは吸ったら死ぬ毒雲下なのに、食料、電気、水、通信の供給停止の心配が一切ない。10年間くらい平気である。
SF、サイエンス・フィクションとしてのサイエンスの部分が決定的に欠けている。これでコロナ禍予言うんぬんは、ない。
■結局は男女の共同生活という日常
主人公は一夜限りのアバンチュール中にロックダウンに遭う。愛してもない相手との共同生活がどうなるか?というのは、一見興味深いが、ライフラインが途絶せずサバイバルの要素が皆無な舞台でそれが何年も続くと、やはり飽きる。
これ、なぜ群像劇にしなかったのだろう?
突然の長期間の同居を強いられるという設定なら、離婚届けを出す寸前の夫婦とか、人間関係と愛憎が入り交じるオフィスとか学校を舞台にしても面白そうだ。
だが、主人公たちの豪華なマンション以外にカメラが入ることはない。
例えば、女友だちと一緒に友人の家に遊びに行ってロックダウンに遭った娘(小学生?)は、数年後、友人の父と女友だちの男女関係という想像を絶する経験をする。そこで何が起きているのか? どんな日常なのか? 興味が湧くが、それは娘の報告で描写されるだけである。
詰まるところ、主人公たちのサバイバルは毒雲からのサバイバルではなく、男女関係のサバイバルである。体の関係はあるが愛し合っていたわけでない男女が、いかに共同生活を成立させるか、というよくある話になってしまうのだ。
時代を反映したディストピア。もっと工夫できたと思うがどうか。
※写真はシッチェス映画祭提供。