学ランを選んだ女子リーダーともフラットに向き合う。1931年創設の立教大学体育会応援団はいま
神宮に戻って来たコロナ前の応援風景
100年近い歴史がある東京六大学野球にとって、あって当たり前なのが、各校の応援団(応援部)による洗練された応援だ。この応援を楽しみに神宮球場に足を運ぶファンも多い。
今春、コロナ前の応援風景が戻って来た。応援団はマスクを外すことが許され、応援席に一般の観客も入れるようになった。声出し応援も解禁となり、従来の形である、応援団と観客が一体になっての応援が繰り広げられている。
応援団の学生にとっては、長い道のりだった。パンデミックの影響で、2020年春のリーグ戦では、応援団の姿がなかった。秋からは応援ができるようになったが、感染リスクがあることから、外野席での応援に。昨年春の最終カードより、内野席応援が許可されたが、一般客とは別エリアだった。
ようやく復活した本来の応援の姿。東京六大学の応援団は(基本的に)、「学ラン」を着て勇壮な応援を繰り広げる「リーダー」、心沸き立つ音色で盛り上げる「吹奏楽」、そして、華麗な舞いで彩りを与える「チア」の三部から成るが、みな、その喜びを感じているようだ。どの顔も光り輝いている。
立教大学体育会応援団の第九十二代団長の金子愛弥さん(4年。以下、敬称略)は言う。
「(リーダー台から)見える景色が違います」
金子団長と、リーダー部長の岸野稜さん(4年。以下、敬称略)が先頭に立つ立教大学の応援席では、「学ラン」姿の女子リーダーが懸命に観客を盛り上げている。清水香央里さん、中村仁香さん、そして、林田萌恵子さんの3人の2年生である(以下、敬称略)。2年生の女子リーダーはもう1人おり、現在は休部中だが、近々復帰予定だという。
4人は今年で創設92年目を迎える立教大学体育会応援団にとって、初の女子リーダー部員。他大学でも「学ラン」姿の女子リーダーを目にするようになったが、4人もいるのは稀有なことであろう。
立大初の女子リーダー誕生のいきさつ
初の女子リーダー部員誕生の裏には、リーダー部存続の危機があった。「実は、僕たちの下の学年に部員がいませんで…入部した者はいたのですが、続かなかったのです。2学年続けてとなると、部の歴史を途絶えさせてしまうと、昨年度から、女子の入部も可としました」(金子)。
こうしたなか、リーダー部の門を叩いたのが、清水、中村、林田らの4人だった。多様性の時代と言われる。男だから、女だからという垣根は低くなりつつあるが、応援団のリーダーは、世間一般的には“男臭さの象徴”と見られている側面もある。
なぜ、4人の女子はリーダー部を選んだのか?休部中の部員を除く3人に理由を聞くと…
「高校時代はソフトボール部でしたが、人付き合いがあまり得意ではなく、大学では何をしようかと考えていたところ、新歓(新入生歓迎活動)で、応援団の方に声をかけてもらいまして。ブースで応援活動の動画を見せてもらい、入るならリーダー部だと。学生服を着ることにも抵抗はありませんでした」(清水)
「中高一貫の学校では、中学までバレーボールに打ち込んでました。高校では部員不足で続けられず、帰宅部に。不完全燃焼感があったので、大学では思い切りサークルで楽しむか、体育会に入るかのどちらかと決めていたところ、やはり体育会だと思いまして。なかでも一番厳しいところに身を置くことにしたのです」(中村)
「他大学の応援団(吹奏楽部)にいた両親の影響が大きかったです。幼少期から東京六大学のリーグ戦に連れて行ってもらい、応援団はいいよ、と聞かされていました。小、中、高と吹奏楽だったので、その道もありましたが、楽器の適性が自分にはないと感じたのと、(仮入部の際に連れて行ってもらった)神宮で間近に見たリーダーの先輩に憧れまして。ここに入るしかないと、直感で決めました」(林田)
3人とも、リーダー部は上下関係も厳しいところ…とわかった上での入部だった。
清水は「ネットなどで応援団についていろいろと調べてました」と言い、中村は「踊るバレエをやっていた時、レッスンがかなりのスパルタだったので、免疫はできているつもりでした」と話す。林田は、両親の知り合いに立教大の応援団OBがいたことから、その人からもリーダー部の実情について聞いていたという。
実際に入部して戸惑ったのは、常に「学ラン」を着用しなければならないことだという。
「本音としては、通学時は私服を着たいです。厳しい応援団の学生だと好意的な目で見てもらえる反面、そうでない視線もあるので。やはり気になります」(中村)
「学生服イコール男子のものというステレオタイプがあります。世の中的には女子が着るのは当たり前ではないと思われていると感じます」(清水)
応援団全体で多様性について考えるように
初の女性リーダー部員誕生によって、部の存続の危機は回避された。だが、前例がない。金子は「はじめのうちは、どう指導したらいいか、試行錯誤の毎日でした」と振り返る。金子と岸野は高校まで野球一筋。長く「男社会」にいたがゆえの難しさもあったのかもしれない。
チアリーディング部所属で応援団の記録広報を務める稲垣舞さん(4年。以下、敬称略)によると、リーダー部のみならず、応援団全体としてどのように4人を受け入れるか、何度も話し合いが持たれたという。「リーダー部は男子しかいないので、(他の2部の)女子部員からは、どこまでやらせるのが適切かなど、同性目線での意見が出ていました」。
練習時の声のかけ方1つ取っても考えなければならない。岸野は「当たり前ですが、『やってみろよ。男だろ』という言葉は使えないわけです。どうすれば彼女たちの気持ちを奮い立たせることができるか、そこが今も難しいところですね」と明かす。
また、リーダー部員は一心不乱になることが求められる。応援時に別の意識が働く隙間があるようでは応援席をリードすることができない。そのため、指導する側に回る3年生になるまでは、ひたすら土台作りの毎日だ。時にリーダー部特有の練習で、心身ともに追い込まれるが、体力面ではどうしても女子と男子では差がある。「そこは踏まえなければ、と思っています」(岸野)
リーダー部に女性部員が入ったことで、応援団全体として「多様性」について考える機会も増えた。現在の4年生が入学時はまだ、昔ながらの男だから、女だからという考えが残っていたという。
「例えば、なぜか女子は荷物運搬車に乗ってはいけない、というのがありました。そのため、応援団全体としては女子の比率が高いのに、男子のリーダー部員が楽器も積み込んでいたのです。一方で女子は、忘れ物をしても自分では取りに行けませんで…」(岸野)
稲垣は「性別で決めつけるのではなく、1人の人間として認めてもらいたい、と思っていました」と、下級生の頃を回想する。
女子部員が荷物運搬車に乗ることが許可されたのは、岸野らの1つ上の代から。現4年生の代も、これまでの「しきたり」を見直し、変えるべきものは変えていっている。
立教大学体育会応援団は、時代に合った団体となる過渡期にあるようだ。
「社会に出たら男女関係なく仕事をしたいと考えています」。稲垣はこう伝えてくれた。
自分たちの思いを引き継ぎたい
駆け出しの1年目が終わり、4人は2年生になった。まだまだ「修業中の身」ではあるが、今春のリーグ戦では「マスクを外して、お客さんがいるところで応援するのを励みに1年間やって来たので、それがかなって嬉しい」(林田)、「お客さんと一緒に応援を作り上げる空間で、一緒に盛り上がって喜びを分かち合うことができる。リーダーをやっていて良かった」(清水)と、リーダーとしての喜びや、醍醐味を感じているようだ。
一方で中村は「不安9割、楽しみ1割でした」と、開幕前の真情を吐露する。
「応援席にお客さんが入ってくれば、見られる機会も増えます。多くの方に私たち女性リーダー部員の存在を認識されることで、これまでの伝統を崩してしまうことにならないか…そうならないようにするにはどうすれば…と考えていました」
4人については、年輩の応援団OBも、温かい目で見守ってくれているようだ。ただ「もっと男子のリーダー部員を入れてよ、という声が少なくないのも事実です」(金子)。古き時代の応援団を知る世代から、本当の理解を得られるにはまだ時間がかかりそうだ。
金子も岸野も、4人にリーダー部の伝統と、自分たちの思いを引き継ぐのが使命だと考えている。「女子だから、男子だからというのは、もしかすると男性側の考えかと。4人にはそう感じないでほしい」と金子。「多様性という言葉にとらわれることなく、同じリーダー部員としてフラットな関係でいたい。自分たちが引退したら、先頭に立ってもらえるよう、4人の成長を後押ししていきたい」と岸野。ともに言葉に力を込める。
男でも、女でも―。立教大学体育会応援団・リーダー部が新しいカタチを作ろうとしている。