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追悼・水島新司氏。パ・リーグ隆盛の礎を築いた偉大な漫画家の「パ・リーグ」愛は太平洋を越えカリブ海へ

阿佐智ベースボールジャーナリスト
プエルトリコ・アロヨのトミー・クルーズ邸にある水島氏による似顔絵色紙

 昨日17日、今月10日に漫画家・水島新司氏が亡くなったことが報じられた。『ドカベン』、『野球狂の唄』など数多くの野球漫画を世に送り出し、幾多のプロ野球選手にも影響を与えたその功績については今さら言うまでもないだろう。その作品へののめり込みゆえに、しばしば作品中の世界と現実世界の区別がついていないのではないかと思わせる発言で周囲を驚かせたこともあるというが、読者である我々もまた、氏の作品の世界観が現実のフィールドで展開されているのではないかと錯覚してしまうことが多々あったと思う。

 貧しさゆえ、高校進学をあきらめ、中卒で丁稚奉公に出るも、漫画家への夢をあきらめきれず、大阪で修業を積んだという苦労人。その境遇ゆえか反骨心が強く、巨人人気が席巻する中でも決してそれに乗っかった作品は描かなかった。その一方で、陽のあたらないパ・リーグ、それに華やかなスポットとは無縁の脇役に目を向け、野球を通した人間ドラマに仕立て上げた。それがかつての栄光を失いつつあった南海ホークスの代打選手を主人公とした『あぶさん』である。この作品では、昭和40年代終わりから平成までの歴代のパ・リーグの選手が実名で登場するのであるが、氏は作品の取材などを通じて知り合った多くの選手に自らが筆をとった似顔絵入りの色紙をプレゼントしている。

現役引退後も指導者として世界中を飛び回っていた元日本ハムのトミー・クルーズ
現役引退後も指導者として世界中を飛び回っていた元日本ハムのトミー・クルーズ

 あれはもう10年も前のことだったと思う。カリブ海地域のウィンターリーグを取材した際、日本ハムファイターズでプレーしたトミー・クルーズ邸を訪ねた。

 ところはアメリカ自治領プエルトリコ南海岸のアローヨという町。この島の野球選手の多くは本土で成功を収めると、もはや島に帰ってくることはない。しかし、兄弟3人すべてがメジャーリーガーとなった一家に生まれた彼は現役を終えると、兄同様故郷に錦を飾ってる。町の野球場には、メジャーで2000安打を達成したその兄の名、ホセ・クルーズの名がつけられている。

 トミー・クルーズは1980(昭和55)年に来日。日本ハムファイターズの主力外野手として6シーズンで3割を4度マーク、通算120ホーマーを放った。最後のシーズンとなる1985年も.321、19ホーマーをマークしたのだが、チームの不振を外国人助っ人に押しつける当時の風潮と、景気がもち直す中、大物メジャーリーガーを獲得しようという球界の流れの中、不本意なかたちでリリースされ、そのまま現役を引退した。それでも日本ハム球団との縁は切れることなく、現在でも球団関係者からクリスマスカードが届くという。

クルーズ3兄弟の栄光を物語る写真。三男ヘクターは巨人でもプレーした。
クルーズ3兄弟の栄光を物語る写真。三男ヘクターは巨人でもプレーした。

 そんなトミー自慢の豪邸はには吹き抜けがあり、壁面には、アメリカ時代の写真や日本で手にした栄光を物語る品がはめ込まれている。その中でもっとも彼が気に入っていたのが、一枚の色紙だった。

 年月のため多少シミがついているが、その額に入れられた色紙には、バットに見立てた日本刀を掲げた彼の似顔絵と「YOU ARE THE JAPANESE SAMURAI」の文字がある。日付は1985年8月28日。彼の現役最後の年だ。その日付の上にその色紙を書いた人物の名が書いてあるが、日本の野球ファンにはその絵のタッチでそれが水島氏の手によるものであることがすぐにわかる。

水島氏によるクルーズの似顔絵の描かれた色紙
水島氏によるクルーズの似顔絵の描かれた色紙

「お前も知っているだろう。日本で有名な画家がプレゼントしてくれたんだ」

 彼にとって、その色紙が日本で手にした賞状や記念品より大切なものであることは、そのギャラリーと化した壁面の最上部に飾られていることが物語っていた。

 彼と再会したのはもう4年ちかく前のことになる。インドネシア・ジャカルタで開催されたアジア大会の野球会場。彼は引退後も指導者として世界中を飛び回り、当時は台湾ナショナルチームのコーチとしてアマチュアの有望株を指導していた。還暦をとうに過ぎてもトレーニングを欠かさず、なお国を問わずコーチとしてユニフォーム生活を続ける彼もまた「野球狂」だった。

 クルーズが活躍した1980年代、パ・リーグは人気面でセ・リーグに完全に圧倒されていた。巨人戦では満席になる日本ハムの当時の本拠・後楽園球場のスタンドも、あぶさんが酒しぶきをバットにかけながらホームランをかっ飛ばしていた大阪球場のスタンドも閑古鳥が鳴いていた。しかし、今、パ・リーグは交流戦、日本シリーズの戦績においてセ・リーグを圧倒し、人気面でも追いつけ追い越せの勢いである。その礎を築いたひとりが水島氏であることは間違いない。

 海を越えたこの色紙を見直すにつれ、水島氏の残したものの大きさを思わずにいられない。

 合掌。

(写真は全て筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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