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「毎日飲んでいる水道水が……」不安募らす住民 自主血液検査を開始 地下水汚染広がる東京多摩地域

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
記者会見を開く「多摩地域のフッ素化合物汚染を明らかにする会」(筆者撮影)

12月3日土曜日の午後、東京都の西部、国分寺市の住宅街に立つ医療施設「国分寺ひかり診療所」を、中高年の男女が入れ代わり立ち代わり訪れた。その数、全部で58人。国分寺市内からだけでなく、近隣の小平、武蔵野、小金井、立川の各市からも、電車やバスを乗り継いでやってきた。みな、地元の市民団体の呼び掛けに応じ、ボランティアで血液検査を受けに来た人たちだ。心なしか不安げな表情がマスク越しにもうかがえる。

「水俣病を思い出した」

国分寺市在住の77歳の女性は「自分たちが毎日飲んでいる水道水が汚染されているということを、新聞報道で初めて知った。これは大変なことだと思い、血液検査を受けることにした」と話した。同じく国分寺市在住の78歳の女性は「水俣病を思い出した。化学物質が体内に蓄積しているかと思うと、怖い」と語った。

東京都民がふだん飲んでいる水道水の大半は、東部を流れる利根川・荒川水系と、西・南部を流れる多摩川水系から取水しているが、国分寺市を含む多摩地域では、地下水から取水している自治体も多い。その貴重な地下水が広範囲に渡り、様々な病気との関連が疑われているある化学物質に汚染されていることが最近、わかってきたのだ。

その化学物質とは、PFAS(ピーファス)と呼ばれる有機フッ素化合物の一群。用途は、半導体や泡消火剤、焦げつかないフライパン、耐熱性の食品容器、撥水性の衣類、化粧品、歯間ブラシなど非常に幅広く、現代生活には欠かせない便利な化学物質だ。

しかし、米国毒性物質疾病登録庁(ATSDR)が2021年5月にまとめた報告書によると、PFASの血中濃度が高い人はそうでない人に比べて、自己免疫力が低いほか、腎臓がんや前立腺がん、妊娠高血圧症、変形性関節症などを発症するリスクや低出生体重児が生まれる確率が高いなど、人の健康に重大な影響を及ぼす可能性がある。このため、有害な化学物質を国際的に規制する「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約(POPs条約)」は、2009年以降、PFASの製造や使用の禁止・制限に乗り出している。

安全基準値の11倍の濃度

そのPFASに多摩地域の地下水が汚染されていることを地元住民が知ったのは、つい最近のことだ。日本では、沖縄の米軍基地周辺の地下水が高濃度のPFASに汚染され大問題となっているが、この問題を長年調べているジャーナリストのジョン・ミッチェル氏が、多摩地域の米軍横田基地の周辺も同様に汚染されている可能性あがることを2018年に指摘した。

軍事基地で訓練などの際に使用される泡消火剤には、PFASの一種であるPFOS(ピーフォス)が原料として含まれている。訓練以外に消火システムの誤作動も時々起き、そうして地中に漏出したPFOSが基地の外に大量に流出していると考えられている。PFOSは2009年のPOPs条約会議で製造・使用・輸出入を制限する「附属書B」に登録されるなど、PFASの中でも毒性が非常に強い。

また、多摩地域の一部の地下水は、半導体の製造などに使用されるPFOA(ピーフォア)による汚染も激しい。PFOAは2019年のPOPs条約会議で製造・使用・輸出入を原則禁止する「附属書A」に登録された。

環境省が2019年度に実施した全国調査では、多摩地域の複数個所の地下水から、国の暫定安全基準である1リットルあたり50ナノグラム(PFOSとPFOAの合算値)の最大11倍という、高濃度のPFASが検出された。都の調査でも複数の取水用井戸から高濃度のPFASが検出されており、都はそれらの井戸からの取水を停止している。2020年にNPO法人「ダイオキシン・環境モルモン対策国民会議」が府中市と国分寺市の住民合わせて22人の血液を調べたところ、PFOSの血中濃度が、国が過去に調査し算出した全国平均値の1.5~2倍も高いことがわかった。

住民600人の血液を検査

不安を抱いた多摩地域の住民は勉強会を立ち上げ、対策を議論し始めた。同時に、都に対し汚染の実態調査や原因究明、汚染除去の実施などを求めた。しかし、都側から色よい返事を得られなかったため、今年8月、「多摩地域の有機フッ素化合物汚染の実態を明らかにする会」を設立。専門家や医療機関の協力を取り付けて住民の血液検査に乗り出した。

明らかにする会の共同代表を務める根木山幸夫さんは「血液検査の結果をもとに、今後、国や都が大規模な血液検査や地下水・土壌汚染の調査を行い、汚染除去の対策に取り組むよう強く求めていきたい」と述べる。

会では、1回目の検査を勤労感謝の日の11月23日に実施。国分寺市民を中心に29人が参加した。12月3日は2回目に当たる。年明け以降は、西多摩(多摩地域西部)で120人規模、立川市で80人規模、国立市で60人規模の検査を予定しており、さらに、昭島や府中、東大和、武蔵村山などの各市でも実施を検討している。3月末までに600人程度の住民の血液を採取する方針だ。

体内での半減期は最長35年

住民を強い不安に陥れているのは、他の化学物質には見られないPFAS特有の有害性だ。PFASは極めて安定した構造のため、いったん工場などから自然界に排出されると、分解されずに半永久的に河川や湖沼、地下水、土壌に滞留し、水道水や農水産物を汚染し続ける。製造や使用を中止しても、周辺の汚染が何年たっても消えないことは、沖縄、多摩地域と並んで汚染のひどい大阪府摂津市の例を見れば明らかだ。この極めて分解されにくい性質のため、PFASは「フォーエバー・ケミカル(永遠の化学物質)」とも呼ばれている。

また、PFASに詳しい小泉昭夫・京都大学名誉教授によると、PFASは体内で代謝されないため、PFASに汚染された飲み水を飲んだり農産物を食べたりすると、体内に長期間、存在し続ける。ATSDRによれば、人の体内での半減期はPFOSが3.3~27年、PFOAが2.1~10.1年。今年6月に開かれたPOPs条約会議で附属書Aへの登録が決まったPFHxSは4.7~35年とさらに長い。PFHxSは多摩地域の地下水からも検出されている。

不安を募らせるもう1つの理由は、日本の安全基準の緩さと行政の対応の遅れだ。国の定める1リットルあたり50ナノグラム以下という暫定基準は、米環境保護庁(EPA)が2016年に定めた同70ナノグラムが根拠と言われている。そのEPAは今年6月、「最新の科学的知見に基づき」、許容上限値を一気に3000分の1に引き下げ、0.024ナノグラムにすると発表した。EPAは「ゼロに近い濃度でも人の健康に悪影響を及ぼす可能性があるため」と説明する。

市民の声に耳を傾ける欧米政府

安全基準の大幅強化は、市民の声に耳を傾け、PFASの規制強化を選挙公約に掲げて当選したジョー・バイデン大統領の姿勢のあらわれだ。EPAはさらに、現在の個別の物質ごとに規制値を定めるやり方ではなく、欧州連合(EU)が進めているPFAS全体に網をかけて総量を規制するやり方も検討している。PFASは全部で4700種類あると言われている。

今年11月には、カリフォルニア州政府が、有害と知りながらその事実を隠してPFASを製造・販売し続けたとして、3MやデュポンなどPFASの製造元を裁判に訴えるなど、自治体の間で汚染源を法的に明らかにして汚染除去の責任を負わせようという動きも出始めている。

「明らかにする会」は、血液検査の結果がまとまり次第、公表する方針だ。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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