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PFAS汚染、対策進む米国、後手に回る日本 違いはどこから

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
(写真:ロイター/アフロ)

がんや免疫力の低下、低体重出生などとの関連が指摘されている有機フッ素化合物「PFAS(ピーファス)」による飲み水汚染が大きな問題となっている。日本では国や自治体の対応の遅れが住民の不安を一段とかき立てているが、同じくPFASによる汚染が深刻な米国では、この4年間で規制強化を含めた対策が急速に進んだ。両国の対応の違いはどこから来ているのか。

法的拘束力のない暫定目標値

11月25日、住民に飲み水を供給する浄水場から高濃度のPFASが検出された岡山県吉備中央町が全国初となる公費による住民らの血液検査を開始した、とテレビや新聞が大きく報じた。人口約1万の小さな自治体の出来事にしては異例ともいえる扱いだ。PFAS問題への関心が全国的に高まっている表れともとれる。

PFASは何年も前から全国各地の地下水や河川、浄水場などから検出されている。国が安全性の目安として定めている暫定目標値の数十倍、数百倍という超高濃度のPFASが検出された場所も一か所や二か所ではない。

しかし、住民の健康への影響を把握するために必要な血液検査をこれまで公費で行った自治体はなかった。国もいまだに法的拘束力のない暫定目標値しか設定していない。行政の対応が後手に回っているのは明らかだ。

食品安全委員会の評価に疑問の声

ようやく今年6月、内閣府食品安全委員会が、国が当該物質を規制する際の科学的根拠となる「食品健康影響評価」をまとめ、PFASの中で特に毒性の強いPFOA(ピーフォア)とPFOS(ピーフォス)のTDI(人が生涯、毎日摂取し続けても健康への影響がないと推定される1日当たり摂取量)を、ともに体重1キロ当たり20ナノグラムに設定したと発表した。

しかしこの評価の妥当性に関しては、内容が明らかになった今年1月の時点ですでに多くの専門家が疑問を呈している。評価に基づいた規制が施行されるのも、まだ先の話だ。

「PFAS戦略ロードマップ」

対照的なのが米国だ。米国では2021年に民主党のバイデン氏が大統領に就任して以降、実効的なPFAS対策が急速に進んだ。

バイデン大統領はまず、PFASの規制を担う環境保護庁(EPA)の長官に直前までノースカロライナ州の環境品質長官だったマイケル・リーガン氏を任命した。ノースカロライナ州はPFAS汚染の深刻な州の一つで、リーガン氏は州の環境行政のトップとして汚染源となった企業の責任を厳しく追及するなどPFAS対策に腕を振るった。

EPA長官に就任したリーガン氏は2021年10月、バイデン政権が在任中に取り組む具体的なPFAS対策を網羅した「PFAS戦略ロードマップ」を発表。これに沿ってPFASの安全性の評価や、規制強化、汚染地域の住民への支援など具体的な対策が動きだした。

毒性評価を一変

2023年にはPFASの安全性に関する評価案をまとめ、TDIに相当する参照用量をPFOAは0.03ナノグラム、PFOSは0.1ナノグラムまで引き下げた。従来の参照用量はPFOA、PFOSともに20ナノグラムだった。毒性の評価を一気に最大670倍も厳しく見積もったことになる。

この評価案を基にEPAは今年4月、飲料水の新たな安全基準を正式に公表。PFOAとPFOSの飲料水中の最大許容濃度はともに1リットルあたり4ナノグラムになった。従来の最大許容濃度はPFOAとPFOSあわせて同70ナノグラムだった。

しかも、以前の安全基準はそれを順守する義務はなかったが、新たな安全基準は基準値を超過した場合、水道業者に対し情報の公開や対策を義務付けるなど、強制力を伴うものとなった。

スーパーファンド法の対象に指定

その直後、EPAはPFOAとPFOSを「包括的環境対応・補償・責任法」の対象となる「有害物質」に指定すると発表した。

通称「スーパーファンド法」と呼ばれる同法は、化学物質などによる大規模な環境汚染が生じて国民の健康被害が危惧される場合、政府がまず迅速に動いて汚染を除去すると同時に、原因究明を進め、汚染にかかわったすべての事業者に、最終的に汚染除去の費用を負担させるという内容。いわば大規模汚染対策の切り札、伝家の宝刀とも言える法律だ。

PFAS問題に詳しい京都大学名誉教授の小泉昭夫氏は「PFAS問題を解決するには日本にもスーパーファンド法のような法律が必要だ」と述べる。

選挙公約にPFAS対策

バイデン大統領がPFAS対策を強力に推し進めたのは、それが2020年に大統領選を戦ったときの支持者に向けた選挙公約だったからだ。公約には次のように書いてある。

「バイデン政権は包括的な方法で水質の改善に取り組むことを約束する。米国では今、推定で最大1億1千万人分の飲料水がPFASによって汚染されている。PFASはがんを含む多くの健康問題を引き起こし、ミシガン、ウィスコンシン、コロラド、ニューハンプシャーなど多くの州で検出されている。バイデン政権はこのPFASを有害物質に指定し、安全飲料水法に基づいて使用を規制し、他の物質に置き換えることで需要を減らし、PFASの毒性に関する研究を加速し、PFASの問題に総合的に取り組む」

米国では、メーン州やミネソタ州などがPFASを原材料に含んだ製品の販売を原則禁止とするなど、州レベルでもバイデン政権の規制強化に歩調を合わせるようにPFAS規制が進んでいる。国レベルでも自治体レベルでも、政治主導でPFAS問題への取り組みが進められていることは間違いない。

トランプ氏再登板で不透明感

ただ、トランプ氏の大統領への返り咲きが決まったことで、政府のPFAS対策の行方は不透明感が一気に増した。

トランプ氏は弁護士のロバート・F・ケネディ・ジュニア氏を次の保健福祉長官に指名した際、「米国民の安全と健康を守ることはどの政権にとっても最も重要な任務であり、保健福祉省は、米国が健康の危機に直面している最大の要因である有害な化学物質、汚染物質、農薬、医薬品、食品添加物からすべての国民を守るために大きな役割を果たすだろう」とXに投稿した。この発言を額面通り受け取れば、トランプ氏はPFASのさらなる規制強化に前向きな姿勢ともとれる。

また、トランプ氏が次期EPA長官に指名した元共和党下院議員のリー・ゼルディン氏は、下院議員時代、PFASの規制を強化する法案に賛成票を投じているとニューヨーク・タイムズ紙などが報じている。

ゼルディン氏はEPA長官に指名された直後のXへの投稿で、気候変動関連の規制を撤廃して、エネルギー分野での米国の圧倒的優位性の回復、AI(人工知能)分野における米国のリーダーシップの確立、米国の自動車産業の復活などを目指すと明言する一方、「きれいな空気と水へのアクセスを国民に保障しながらそれらの目的を達成する」とも述べ、大気汚染や水質汚染の問題にも力を入れる姿勢を示している。

「プロジェクト2025」の影

しかし、PFAS対策の後退を懸念する声も少なくない。根拠となるのが、保守系シンクタンクのヘリテージ財団が作成し、第2次トランプ政権のマニフェストともささやかれている「プロジェクト2025」の存在だ。

トランプ氏は選挙戦中、プロジェクト2025との関係を否定し続けたが、トランプ氏が次期政権の主要ポストへの人選を進める中で、プロジェクト2025の作成にかかわった人物が続々と次期政権入りしている。

プロジェクト2025にはEPAに関する政策提言があり、その中に「スーパーファンド法の有害物質に指定するPFASの再検討」という一文がある。これが具体的に何を意味するのか文面からは必ずしも明らかでないが、著名な環境活動家のエリン・ブロコビッチ氏は7月30日にニューヨーク・タイムズに寄せた意見文の中で、この提言を「思慮を欠いている」と批判している。

政治がカギを握る

いずれにせよ米国のPFAS対策は、これまでもこれからも政治がカギを握っていることは明らかだ。国民の多くも、PFAS問題も含め自分たちの暮らしに政治が大きく影響することを十分に理解しているからこそ、意中の政治家を当選させようと選挙にも熱がこもる。

実際、米大統領選の投票率は近年、上昇傾向にある。11月5日に行われた今回の大統領選の投票率は64.52%。120年ぶりの高さとなった前回の2020年には及ばなかったものの、戦後では2番目に高かった。

対照的に、10月27日が投開票だった日本の衆院選の投票率は53.85%で、前回2021年の55.93%を2.08ポイント下回って戦後3番目の低さとなり、戦後最低だった14年の52.66%を辛うじて上回る関心の低さだった。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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