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フットボールの凡庸性。「ファンタジスタ」の喪失と「10番」不在の世界で。

森田泰史スポーツライター
フランス代表で活躍したプラティニ(写真:アフロ)

フットボールは凡庸になった、と言われて久しい。

ビッグクラブが敗れれば、原因が模索される。「内容が乏しかった」。その時、最も使われる言い訳がこれだ。

内容が乏しい。だが、その根幹は、別の、もっと深いところにある。

バルセロナでプレーしたイニエスタとメッシ
バルセロナでプレーしたイニエスタとメッシ写真:なかしまだいすけ/アフロ

プロの世界では、結果が全てだ。監督にとっては、尚更である。しかしながら「勝利」が唯一、あるいは至上とされる世界線で、「美醜」が存在する余地があるかは疑わしい。

現在、フットボール界で重視されているのはコントロールだ。試合のコントロール。選手のコントロール。体調のコントロール。そのなかで、イマジネーションとインスピレーションを生み出す選手等、邪魔でしかない。

■「10番」の消滅

傾向は徐々に進むものだ。だが象徴的な存在の出現、出来事というのは、時にそれを加速させる。逆説的になるが、「10番の消滅」はこれに当たるだろう。

現代フットボールにおいて、クリエイティブな選手は、セカンドトップ、ウィング、インテリオールでプレーするようになった。

ファンタジスタはいない。死んだのだ。「最高のトップ下とは、ボールロスト後のプレッシングである」。このように語ったのは、昨季までリヴァプールを率いたユルゲン・クロップ監督だ。

トップレベルの傾向は育成年代にまで波及する。選手を育てる指導者たちにも、「結果」という課題は付き纏う。そうなると、創造性のある選手より、スピードのある選手、パワーのある選手が優先的に起用されるようになる。中長期スパンの生存戦略としては悪手だが、目の前の勝利に飛びつく他ない。

ドイツ代表の選手に囲まれるマラドーナ
ドイツ代表の選手に囲まれるマラドーナ写真:アフロ

こんにち、「良いチーム」というのはポゼッションを志向する。だがボールを保持するために保持しては、本末転倒だ。それは文章の締め方を考えずに、書き始めるようなものである。

勝つためには、攻めなければいけない。縦パスやスルーパスを通すには繊細な技術が必要で、スペースを生み出すには「パウサ」が肝要だ。ドリブル、ワンツーといったプレーも同様である。「負けないこと」を意識するなら、ゴール前にバスを敷く戦術を、毎試合、採り入れたらいい。

それは、観ている者にとっても、退屈なフットボールだ。プレーは繰り返されるのみで、つまりその精度が競われることになる。一連のプレーを、如何に速く、如何に正確に処理できるか、だ。そこにはイマジネーションが欠けている。

ファンタジスタは死んだ。イマジネーションも死んだ。そして残るのは、精密機械のように動くプレーヤーたちだけである。

しかし、監督に責任は押し付けられない。イマジネーションは、選手から生まれるものだ。才能溢れる選手たちから、である。先述の通り、そういった選手たちを置けないという意味では、責任はあるかも知れない。だがより問題視されるべきは環境だ。変化に適応できない者は生き残れない。この「ダーウィン主義」から逃れられる人間は、いない。

「空飛ぶオランダ人」と称されたクライフ
「空飛ぶオランダ人」と称されたクライフ写真:アフロ

欧州のトップで戦う中盤の選手たちを見て欲しい。

彼らは走る。ボックス・トゥ・ボックスの選手で、ハードワークを厭わない。フィジカルベースが高い選手が重宝されるので、自ずと、スペースは潰される。考える時間もない。

ロボットのように動く選手たちは頭が固い。一方、クリエイティブな選手、イマジネーションのある選手というのは、「騙す」のが得意だ。我々は、ヨハン・クライフの「クライフターン」に、ディエゴ・マラドーナのラボーナに、ジネディーヌ・ジダンのルーレットに、魅了された。

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スポーツライター

執筆業、通訳、解説。東京生まれ。スペイン在住歴10年。2007年に21歳で単身で渡西して、バルセロナを拠点に現地のフットボールを堪能。2011年から執筆業を開始すると同時に活動場所をスペイン北部に移す。2018年に完全帰国。日本有数のラ・リーガ分析と解説に定評。過去・現在の投稿媒体/出演メディアは『DAZN』『U-NEXT』『WOWOW』『J SPORTS』『エルゴラッソ』『Goal.com』『ワールドサッカーキング』『サッカー批評』『フットボリスタ』『J-WAVE』『Foot! MARTES』等。2020年ラ・リーガのセミナー司会。

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