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【なぜ東映版スパイダーマンは無敵なのか?】特撮史上最強秒殺ロボが相棒の日本製スパイダーマンって誰?

二重作昌満博士(文学)/PhD(literature)

みなさま、こんにちは!

文学博士の二重作昌満です。

特撮を活用した観光「特撮ツーリズム」の博士論文を執筆し、大学より「博士号(文学)」を授与された後、国内の学術学会や国際会議にて日々活動をさせて頂いております。

早いもので9月に入りました。皆さまいかがお過ごしでしょうか?

相変わらず暑い日々が続きますが、皆さまもどうぞご自愛くださいませ。

さて、本日のお話のテーマは「スパイダーマン」です。

突然ですが、本記事をご皆頂いている皆さまは、スパイダーマンのことはご存知でしょうか?

一部の読者の皆さまには釈迦に説法とは存じますが、少しだけ概説をさせてください。

映画『スパイダーマン3(2007)』よりスパイダーマン(右)。2002年から3部作の実写映画シリーズとして公開された当シリーズを皮切りに、新たな映画シリーズが次々に公開されることとなった(筆者撮影)。
映画『スパイダーマン3(2007)』よりスパイダーマン(右)。2002年から3部作の実写映画シリーズとして公開された当シリーズを皮切りに、新たな映画シリーズが次々に公開されることとなった(筆者撮影)。

「スパイダーマン」は、科学オタクである高校生の主人公、ピーター・パーカーが放射能を浴びたクモに刺されたことで、蜘蛛の超能力を宿した超人となり、自らが宿した力と責任の狭間に苦悩しながらも、市民を脅かす悪と戦う物語。

高校生でありながら、ヒーローとしての責任や重圧、そして恋人との関係に悩みながらも、悪と戦い続ける姿が反響を呼び、現在はコミックだけに留まらず、彼が活躍するたくさんの新作映画が製作され続けています。

今年6月には、たくさんのスパイダーマンが結集したアニメーション映画『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』が公開され大ヒットしたほか、来年(2024年)には次回作『スパイダーマン:ビヨンド・ザ・スパイダーバース』の公開が予定されています。

映画『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』(2023年MOVIXにて筆者撮影)。
映画『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』(2023年MOVIXにて筆者撮影)。

また、その活躍は映画だけに留まらず、テーマパークにおいてもスパイダーマンの勇姿を観ることができます。大阪府大阪市にある大型テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」では、20年に渡りUSJの1アトラクションとして大好評を得た「スパイダーマン・ザ・ライド」(外部リンク)がいよいよフィナーレを迎えます(キャンペーン期間:2023年7月4日~2024年1月22日)。

2024年1月22日に終了予定、「スパイダーマン・ザ・ライド」(2017年筆者撮影)
2024年1月22日に終了予定、「スパイダーマン・ザ・ライド」(2017年筆者撮影)

7年連続で「世界No.1ライド」の称号を得てきたほか、優秀なアミューズメント・ライドに贈られる数多くの賞を総舐めにしてきた当アトラクションが旅立ってしまうのは本当に寂しいのですが、世界最高体験を通じた感動のフィナーレを是非見届けていきたいと思います。

このように映画だけでなく、テーマパークをはじめとするレジャー施設でも大活躍のスパイダーマンですが、実は・・・彼はウルトラマンやスーパー戦隊をはじめとする、日本のスーパーヒーローとも非常に縁が深いことをご存知でしょうか?

そこで今回は、日本で製作された特撮ヒーロー番組として誕生した東映版『スパイダーマン』の解説と、日本が誇る国民的スーパーヒーロー「ウルトラマン」との夢の共演を果たした「とある展開」について、ゆっくりお話をして参りたいと思います。

※本記事は「私、アニメや特撮にくわしくないわ」という方にもご覧頂けますよう、可能な限り概要的にお話をしております。ゆっくり肩の力を抜いて、気軽に本記事をお楽しみ頂けますと幸いです。

【大東京の停電を阻止する男!スパイダーマン!】巨大ロボットに乗り込む!最強の日本製スパイダーマン誕生の背景とは?

「ところで、なんで日本でスパイダーマンが製作されることになったのさ?スパイダーマンってアメリカのヒーローモノでしょ?」

ご指摘のとおり、スパイダーマンはアメリカ生まれのスーパーヒーローです。スパイダーマンは1962年刊行のコミック『アメイジング・ファンタジー(Amazing Fantasy)』でデビューを果たした後、大変な人気を博しました。彼が主演を務める映画は2020年時点で総額63億6000万ドルを稼ぎ出すなど、現在のマーベル・コミック出版を代表する人気キャラクターとして活躍していることは、ご存知の方も多いと思います。

USJ内で販売された、コミック版スパイダーマン(右)とその宿敵ヴェノム(左)のソフトビニール人形。近年の実写映画にはない、愛苦しささえ感じる温かな造型(筆者撮影)。
USJ内で販売された、コミック版スパイダーマン(右)とその宿敵ヴェノム(左)のソフトビニール人形。近年の実写映画にはない、愛苦しささえ感じる温かな造型(筆者撮影)。

60年以上に渡り支持されてきたスパイダーマンですが、その活躍は常に順風満帆だったわけではございません。実は、彼が誕生して約15年後の1970年代は、スパイダーマンを生み出したマーベル・コミック出版にとって「苦難の時代」でした。コミックの売り上げが悪化し、歯止めがかからない状況だったのです。当時マーベルで編集者として働いていた人物曰く「誰もコミックを買わなくなりました。斜陽産業になりつつあると、みんなわかっていました。」という状況だったようです。

そこでマーベルは、スパイダーマンをはじめとする自社のキャラクターを、玩具メーカーやエンターテインメント関係各社と結んで利益を上げようとするビジネスに着手するようになります。スパイダーマンの原作者であるスタン・リーも、マーベル・コミック出版の状況を危惧し、スーパーヒーロー達の宣伝のために、ときには国外へと出掛けることもあったようです。

その試みは、私達が暮らす日本にも広がります。1978年、当時マーベルは日本にマーベル・コミックスのキャラクター達を普及させるためにエージェント(ジーン・ペルク氏)を駐在させており、ペルク氏が出会ったのが、当時『仮面ライダー』や『秘密戦隊ゴレンジャー』をはじめ、数多くの特撮ヒーロー番組を送り出していた東映のプロデューサーである渡邊亮徳氏でした。

渡邊氏は、ペルク氏がスタン・リーの描いたスパイダーマンを日本の雑誌に売るために奔走していた事情を汲み取った上で、「あなたが、日本の出版社に『スパイダーマン』を売り歩いていることは聞いた。が、この作品は先に日本で放映すれば、もっと売れる。おれたちがテレビで作ったら、もっとおもしろくしてみせる。」と力説したそうです。

上述した渡邊氏の力説に対し、ペルク氏も渡邊氏にスパイダーマンをはじめとするマーベルのヒーロー達を預けることになります。その結果、東映はマーベル・コミックスと3年間の提携を行い、マーベルのキャラクターを一定期間内は自由に使用できる権利を得ることになりました。この権利を得たことで、東映が制作に着手したのが、特撮ヒーロー番組『スパイダーマン』(いわば、東映版『スパイダーマン』)でした。つまり、「仮面ライダーや戦隊ものを手がけた会社が、スパイダーマンをつくる」状況となったわけです。

東映版『スパイダーマン(1978)』より、スパイダーマン。左手のブレスレット(スパイダーブレスレット)が特徴的で、これを用いて変身や宇宙戦艦を呼び出すことも可能という、正に「優れモノ」でした。
東映版『スパイダーマン(1978)』より、スパイダーマン。左手のブレスレット(スパイダーブレスレット)が特徴的で、これを用いて変身や宇宙戦艦を呼び出すことも可能という、正に「優れモノ」でした。

さて、いざ制作が決定した東映版『スパイダーマン(1978)』。しかしこの本作、原作から継承されたのはスパイダーマンのキャラクターデザインのみ。その内容はまったくの別物でした。原作は、科学オタクである高校生の主人公がクモに刺されたことで超人となり、悪と戦う物語だったのに対し・・・。

東映版『スパイダーマン』の物語は、オートレーサーの山城拓也が、悪の組織(鉄十字団)の首領・モンスター教授に殺されるも、故郷を失ったスパイダー星人・ガリアから、蜘蛛の能力を与えられてスパイダーマンとして蘇り、鉄十字団と戦う物語でした。

「全然原作と違うじゃないか!!」とお感じになるのはごもっとも。しかもこの作品、スパイダーマンが乗り込む巨大ロボット(レオパルドン)が登場する上、主人公がブレスレットを操作してスパイダーマンに変身するという、原作にはない新たな要素が次々と加えられていきました。

スパイダーブレスレット(左)、等身大ヒーロー(中央)と共闘する巨大ロボット等(右)、日本独自の要素が次々と付与されていった(筆者撮影)。
スパイダーブレスレット(左)、等身大ヒーロー(中央)と共闘する巨大ロボット等(右)、日本独自の要素が次々と付与されていった(筆者撮影)。

なぜ「スパイダーマン」に巨大ロボが登場することになったのか?これには渡邊氏による意図がありました。ある日、東映のプロデューサーである渡邊亮徳氏は「スパイダーマン」にロボットを登場させることを提案します。渡邊氏は本番組の吉川進プロデューサーに「おい、マーベルのスパイダーマンをテレビでやるぞ。枠は俺が決めてくる。いいか、俺達が作る『スパイダーマン』にはロボットが出てくるんだ。」と強調します。

ところが、吉川氏もスパイダーマンの原作を読んでいたものの、ロボットを登場させるアイディアには戸惑いも感じていたのだとか。

「スパイダーマンにロボットを出すなんて、無理ですよ。まずスタン・リーが承知しないでしょう。」(吉川氏)

「大丈夫だ。原作はこっちのオリジナルで作るんだ。」(渡邊氏)

『スパイダーマン(1978)』に登場した巨大ロボ・レオパルドン。威風堂々とした外見に加え、その最大の特徴は圧倒的な強さ。剣を使用した必殺技で幾多の敵を瞬殺し、「特撮史上最強秒殺ロボ」とも呼称される。
『スパイダーマン(1978)』に登場した巨大ロボ・レオパルドン。威風堂々とした外見に加え、その最大の特徴は圧倒的な強さ。剣を使用した必殺技で幾多の敵を瞬殺し、「特撮史上最強秒殺ロボ」とも呼称される。

このように渡邊氏によるロボットを登場させるアイディアの背景には、2つの考えがありました。ひとつは、玩具を筆頭に、今後のロボットの商品化を睨んでの背景であること。そしてもうひとつは、主人公であるスパイダーマンのヒーロー性を強調させる狙いがありました。

本作の玩具を販売していたポピー(現・バンダイ)の企画担当をされた村上克司氏によれば、「アメリカはアメリカ、日本は日本。むこうを意識しないで自由に発想していいです」と渡邊氏から打診があり、村上氏は「では、まずスパイダーマンがどこから来たかってことから始めていいのですか。宇宙から来たということにしても構いませんか」と確認したところ、構わないという返答だったそうです。

そこで村上氏は、「宇宙から来る時に、いかにもスパイダーマンらしい母艦に乗っている。しかもその母艦が、いかにも日本人が好みそうな巨大ロボットに変形する」とアイデアを出した結果、承諾を頂けたのだとか。

スパイダーマンの相棒はロボだけではない。「スパイダーマシンGP7」は空陸両用のスーパーマシンかつ、車ごと宇宙戦艦マーベラーへの搭乗が可能で、レオパルドンのコクピットへそのまま移動できるシステムだった。
スパイダーマンの相棒はロボだけではない。「スパイダーマシンGP7」は空陸両用のスーパーマシンかつ、車ごと宇宙戦艦マーベラーへの搭乗が可能で、レオパルドンのコクピットへそのまま移動できるシステムだった。

このように、「スパイダーマンにロボットを出す」というアイデアそのものは、番組を作る東映の中でも議論がありました。そこで本作のプロデューサーであった吉川進氏は「どうしてスパイダーマンにロボットが出るんだ?」と思いつつも、その必然性を持たせるために、元々はスパイダーマンのものではなく、スパイダー星人ガリアが乗ってきたメカであり、宇宙には一般的にある乗り物という印象を視聴者に与えるように設定を整合されたそうです。

その結果誕生したのが、スパイダーマンが乗り込む母艦マーベラーが変形して誕生する巨大ロボット・レオパルドン。ロケットパンチ(アームロケット)やブーメラン攻撃(アークターン)、さらには敵を退治する強力な剣(ソードビッカー)を備えたスーパーロボットでした。このレオパルドンですが、ロボットである彼の特徴は上述した機能に加えて圧倒的な強さ。エピソードによっては、なんと約10秒という驚愕の戦闘時間で敵を瞬殺する実力を有していたことから、後に「特撮史上最強秒殺ロボ」という異名が与えられることになります。とにかく、現れてから敵を倒すまでが早かったのです。

このように、等身大のヒーローであるスパイダーマンの世界に巨大なロボットを登場させる上で、番組の中でまず等身大のヒーローと怪人の戦い、そしてその後は巨大ロボットと巨大な怪物との戦い、という2つの戦いを描くというストーリー編成が組み立てられました。

さて、この「スパイダーマンにロボットを出す」という奇抜なアイデアですが、原作側であるマーベル・コミック社のスタッフは、ほとんど全員がロボットの登場に反対したそうです。彼ら曰く「原作のイメージが変わる。そんなことは許すな。」といった反応でした。

そこで東映は、スパイダーマンの原作者であるスタン・リー氏を日本に招き、東映版スパイダーマンのフィルムを見せたそうです。「猛反発か・・・」と思いきや、リー氏は「(これまで米国で製作されたスパイダーマンの実写作品の欠点を挙げた上で)東映製作のスパイダーマンは違う。東映(JAC)のアクションは、まさに原作のアクションのスピード感と同じだ。ロボットも面白い。アメリカの『スパイダーマン』より、ずっと出来がいい」と大絶賛したそうです。さらに、リー氏はこの「ロボットを出す」というアイディアを「おもしろい」と歓迎し、彼はマーベル・コミックスにいるスタッフ皆に東映版『スパイダーマン』のビデオを見せるほどだったとか。

マーベルからの反発こそありつつも、無事に国内で放送されることとなった『スパイダーマン』は、1978年から1979年まで東京12チャンネルで、毎週水曜日夜7時半より30分の時間枠で放送され、平均視聴率13%と同チャンネルの番組ではトップクラスの視聴率を記録しました。

またレオパルドンの玩具も渡邊氏の狙いどおり、新しいアイデアが子ども達に好評を博し、玩具も売れに売れた状況だったようです。

実は、この東映版『スパイダーマン』が放送されていた当時、日本の子ども達の間ではいわゆる「実写離れ」が進んでいた時代でした。当時は東映アニメ製作の合体ロボットを筆頭に、アニメ作品の人気が子ども達の間で高まっていたのです。『スパイダーマン』の放送が終了した1979年は、日本サンライズ制作の『機動戦士ガンダム』の放送が開始され、後に爆発的なブームを起こすことになったほか、もともと実写のヒーローであった円谷プロのウルトラマンシリーズも、シリーズ初のアニメ作品『ザ☆ウルトラマン』を放送するような状況でした。そんな中、実写作品でありながらも健闘した『スパイダーマン』で導入された、巨大ロボットの登場やブレスレットによる変身描写は、同じく東映制作のスーパー戦隊シリーズに継承されていくことになったのでした。

スパイダーブレスレット(左)から端を発した「変身ブレスレット」という発想は、同じく東映制作の特撮ヒーロー番組であるスーパー戦隊シリーズへと継承され、現在までその系譜は紡がれてきた(筆者撮影)。
スパイダーブレスレット(左)から端を発した「変身ブレスレット」という発想は、同じく東映制作の特撮ヒーロー番組であるスーパー戦隊シリーズへと継承され、現在までその系譜は紡がれてきた(筆者撮影)。

【ウルトラマンと夢の共演!】ウルトラマンの世界へと飛び込んだアベンジャーズ達が紡ぐ日米ヒーローの絆とは?

上述してきた日本生まれの東映版スパイダーマンですが、彼の活躍はテレビの中だけに留まりまらず、国内で開催されたヒーローショー等のイベントにも出演していくようになりました。その際、ウルトラマンや仮面ライダーをはじめとする日本の特撮ヒーロー達と共闘し、悪と戦うという催事内容も開催されており、これも日本出身スパイダーマンならではの、正に「夢の共演」でした。

時は1980年、現在も「ヒーローショーの聖地」として親しまれる、ご存知「後楽園ゆうえんち(現・シアターG-ロッソ)」にて開催されたお正月公演『スーパーヒーロー大集合』にて、悪の軍団に苦戦するバトルフィーバーJ(スーパー戦隊)を救出するため、ウルトラマン(ザ☆ウルトラマン)、仮面ライダーV3やストロンガー達と共に、東映版のスパイダーマンが駆けつけるショーが上演されました。

「後楽園ゆうえんち野外劇場」から現「シアターG-ロッソ」にて上演されてきた歴代スーパー戦隊シリーズのポスター。この長き戦い歴史に、スパイダーマンはウルトラマン達と共に参戦した(筆者撮影)。
「後楽園ゆうえんち野外劇場」から現「シアターG-ロッソ」にて上演されてきた歴代スーパー戦隊シリーズのポスター。この長き戦い歴史に、スパイダーマンはウルトラマン達と共に参戦した(筆者撮影)。

ここまでは、あくまで40年以上前に開催された、スパイダーマンと日本の特撮ヒーローとの共演について上述して参りましたが・・・それでは現在はどうなのか?といいますと・・・。

結論から言えば、スパイダーマンとウルトラマンが再び共闘する時代が近づいています。

ことの始まりは2019年。同年11月に開催されたポップカルチャーの祭典「東京コミコン 2019」のマーベルステージに登場した、マーベル・コミックス編集長のC.B.セブルスキー氏によって、マーベル・エンタテイメントと円谷プロダクションが、2020年に新たなウルトラマンの物語をコミック形式で出版することが発表されました。

その結果、2020年に刊行されたのが、国民的特撮ヒーロー番組である『ウルトラマン』の世界観をコミック化した『THE RISE OF ULTRAMAN』。全5話で編成されたミニシリーズですが、その後も『THE TRIALS OF ULTRAMAN』、『THE MYSTERY OF ULTRA SEVEN』と次々に次回作が刊行され、米国をはじめとする世界中のスーパーヒーローファンの心を掴み続けています。

マーベル・コミックスより刊行された『ULTRAMAN』のコミックシリーズ。本作は独立した世界観を有しており、過去のウルトラマンシリーズを未見の方でも気軽に読破できるのが特徴である(筆者撮影)。
マーベル・コミックスより刊行された『ULTRAMAN』のコミックシリーズ。本作は独立した世界観を有しており、過去のウルトラマンシリーズを未見の方でも気軽に読破できるのが特徴である(筆者撮影)。

『THE RISE OF ULTRAMAN』のヴァリアントカバーでは、ウルトラマンとスパイダーマンが共演した。現時点ではこのカバーのみの共演であるが、今後果たして・・・?(筆者撮影)
『THE RISE OF ULTRAMAN』のヴァリアントカバーでは、ウルトラマンとスパイダーマンが共演した。現時点ではこのカバーのみの共演であるが、今後果たして・・・?(筆者撮影)

それでは、肝心のスパイダーマン達とウルトラマンは今後共演するのか?といいますと・・・。2022年、アメリカ・ロサンゼルスで開催されている世界最大級のアニメイベント「Anime Expo 2022」にて、MARVELコミックス版『ウルトラマン』の世界にMARVELヒーローたちが登場する、「クロスオーバー展開」(外部リンク)がついに実現に向けて企画中であることが明らかにされました。

ウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマンタロウが見守る中、アイアンマン、キャプテン・マーベル、スパイダーマンら、MARVELのヒーロー達がウルトラ怪獣との戦いに挑む姿が描かれたコンセプトアートも公開された当発表・・・会場からは熱狂的な歓声が上がったそうです。

本企画の具体的な詳細は2023年9月2日現在、未だ明らかにされていませんが今後の展開に期待が高鳴りますね。

いかがでしたか?スパイダーマンと日本の特撮ヒーローの間には深い絆と関わりがあり、上述してきた交流を経ながら日米双方のスーパーヒーロー文化を醸成させてきたことが、皆さまに少しでも伝わりましたら大変嬉しく思います。

最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。

(参考文献)
・チャーリー・ウェッツル&ステファニー・ウェッツル、「MARVEL 倒産から逆転 No.1となった映画会社の知られざる秘密」、株式会社すばる舎
・安藤幹夫・秋田英夫・秋山哲茂・坂井由人、「東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマン・サンバルカンの世界」、株式会社双葉社
・坂本浩一、「映画監督坂本浩一全仕事」、株式会社カンゼン
・大下英治、『仮面ライダーから牙狼へ 渡邊亮徳・日本のキャラクタービジネスを築き上げた男』、株式会社竹書房
・菅家洋也、「講談社シリーズMOOK スーパー戦隊Official MOOK 20世紀 1979 バトルフィーバーJ」、株式会社講談社
・石川順恵、「後楽園ゆうえんち野外劇場公式ガイド スーパーヒーローショー大全集」、メディアワークス

博士(文学)/PhD(literature)

博士(文学)。日本の「特撮(特殊撮影)」作品を誘致資源とした観光「特撮ツーリズム」を提唱し、これまで包括的な研究を実施。国内の各学術学会や、海外を拠点とした国際会議へも精力的に参加。200を超える国内外の特撮・アニメ催事に参加してきた経験を生かし、国内学術会議や国際会議にて日本の特撮・アニメ作品を通じた観光研究を多数発表、数多くの賞を受賞する。国際会議の事務局メンバーのほか、講演、執筆、観光ツアーの企画等、多岐に渡り活動中。東海大学総合社会科学研究所・特任助教。

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