教員志望者の減少に歯止めをかけるために必要なことは何なのだろうか
教員志望者が減り続けている。にもかかわらず、かつての「人材確保法」のような思い切った施策を政府はとろうとしない。何故なのだろうか。
|止まらない、教員志望者の減少
今春採用された公立小学校教員の採用倍率の全国平均が2.6倍と、昨年度の2.7倍を下回ったことを、「各地の教育委員会への取材で分かった」として『朝日新聞DIGITAL』(2021年6月25日付)が伝えている。その理由を同紙は、「学校現場での長時間労働の問題が解決されず、学生に教職を敬遠する動きが広がっているとみられる」と分析している。
教員志望者が減っているのは今年度が特別なことではなく、この傾向はずっと続いている。
今年度に採用された公立学校教員の採用試験は昨年夏に行われたが、総受験者数は13万3824人で、前年より3929人減少していたと「本紙調べで集計した」として『教育新聞』(2020年11月11日付)が伝えていた。同紙によれば、「2012年度実施試験以降の最少値を更新した」という。
小学校だけでなく、教員の志望者が全体的に減少しているのだ。それが、採用倍率の低下にもつながっている。
そこには、『朝日』が指摘しているような長時間労働など、学校現場の「ブラック化」が大きく影響していることは否定できない。問題なのは、そうした状況を改善する本気の姿勢が政府・文科省に乏しいことではないだろうか。
文科省がTwitter上で「#教師のバトン」を起ち上げたのは、今年3月26日のことだった。現職教員の前向きなコメントで教職の素晴らしさを知ってもらい、それで教員志望者を増やすのが文科省の狙いだったようだ。
しかしながら教員からのコメントは、学校現場のブラックぶりを暴露したり、不満が大半となった。まさに、「炎上」状態である。文科省の目論見とは逆になってしまったわけだ。
そういう場を設ければ、教員が期待どおりに前向きな書き込みをすると考えた文科省の甘さともいえる。その甘さが、学校現場のブラック化に拍車をかけてもいる。「働き方改革」という言葉は多用しながらも、効果的な施策を打ち出せていないのは、現状認識の甘さからだといってもいい。
|ほんとうにあった、教員の給与を上げる決断
「学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法」(人材確保法案)が国会で成立したのは、1974年2月のことだった。教員志望者が減って民間企業への就職志望者が増えていく流れにストップをかけるために、小中学校教員の給与を一般公務員よりも高くしていくという法律である。
この法律が効果を維持していれば教員志望者の現状は変わっていたのかもしれないが、その後に一般公務員の給与アップがはかられていくなかで、教員給与の優位性は失われていく。とはいえ、そういう思い切った施策がとられたのは事実である。教員志望者が減少する実態を、甘くとらえなかった結果ではないだろうか。
現在の政府・文科省には、ここまでやる姿勢は残念ながら見受けられない。人材確保法が成立した背景には、教員志望者の減少もあったが、もうひとつには日教組(日本教職員組合)を中心とする組合活動の高まりがあった。
当時の自民党内には、教員給与の優遇を実施すれば、政府・自民党と対立状態にある日教組を利することになり、「泥棒に追い銭」だと反対する声も強かったという。それに人材確保法成立のために奔走していた西岡武夫(当時、自民党文教部会長)たちは、「ゲップが出るほど金をやり、一挙に日教組を骨抜きにする」と説得していった(『日本の官僚 1980』田原総一朗)。
つまり、給与を上げることで教員の不満を抑えれば、日教組の勢力を削ぐことになるとの思惑もあったのだ。教員がまとまることへの「危惧」があった。
しかし今、教員がまとまる力は弱くなってしまっている。政府・文科省、そして自民党も「危惧」する必要がなくなっている。だから、甘さばかりが目立つ対応ばかりになっているのではないだろうか。教員の長時間労働も、いっこうに解消されない。
政府・文科省、自民党に甘さを捨てて決断させるには、教員の声をもっと強くする必要がある。Twitter上の「#教師のバトン」にとどまらず、そういう問題意識が教員同士で認識され、共有されて広がり、職員室での話し合いにまで発展していくことが必要なのではないだろうか。
そうした声を大きくしていってこそ、ほんとうの「働き方改革」につながっていく。教員の立場で「働き方改革」を追求し、政府・文科省、自民党を動かして実現できる学校現場になれば、教員志望者の減少にも歯止めがかかり、教員志望者は増加に転じるはずである。