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今こそ「シン官僚論」が必要だ!

鈴木崇弘政策研究者、PHP総研特任フェロー
政治や行政が混迷する今こそ、新しい官僚像や官僚制度が必要ではないか?(写真:Nobuyuki_Yoshikawa/イメージマート)

 4月17日付けの朝日新聞朝刊に「キャリア官僚志望 減り幅最大 14.5%減 長時間労働敬遠か」という記事が掲載された。人事院は、去る4月16日に、2021年度の国家公務員採用試験の申込状況を発表した。それによると、中央府省庁の幹部候補(総合職)の申込者数は、前年比で14.5%減の1万4310人で、その減り幅は、現在の総合職試験導入の2012年以降で最大だった。同記事は、その状況を受けて、そうなったのは、官僚の長時間労働の職場環境が原因の可能性であると分析している。

 だが、本当にそうだろうか。

 筆者は少し前に働き方改革について研究し、その提言づくりに関わったことがある(注1)。その研究の経験からも、「やりがいのある職場」「面白い仕事」などは実は往々にして長時間労働であり、やりがいがあったり興味深い仕事などは長時間になっても、それ自体は実は大きな問題ではないのではないかと考えている。必ずしも良いことであるとはいわないが、ヒトは、長時間労働自体がダメなのではなく、つまらないあるいは興味が持てない、またやりがいのないあるいは評価されない長時間労働が耐えられないし、問題になるのだというのが実態であると考えている。

 また官僚を志望する方々の多くは従来から、社会のために働きたいと考える方も多く、そのために長時間働くこと自体を厭わない方が多いことも経験上知っている(注2)。 

官僚像や官僚機構が混迷している。
官僚像や官僚機構が混迷している。写真:cap10hk/イメージマート

 だから、上記の記事を読んだ際には、長時間労働そのものが原因や問題で志望者が減っているというよりも、官僚という仕事や立場が魅力的なものややりがいのあるものでなくなってきているから、そのような事態になっているのではないかと考えたのである。

 実際昨今のメディアや社会的な官僚への評価や風評は、「忖度」「政治の手先」「省益中心の縦割り行政」「業者などとの癒着」「効率の悪さ」、 さらに最近の「行政文書における、誤記、誤字・脱字やコピー&ペースト」などの言葉に象徴されるように急速に低下してきている(注3)。筆者は、このようなことが起きているのは、官僚人材そのものの能力の低下というよりも、時代の変化と共に、この30年ぐらいにわたる政治主導等が善でそれだけが実現すれば社会・国や政策が良くなるという誤った考え方が通奏低音にあったからだと考えている。

 歴史的に見ると、日本の現在の官僚制は、大政奉還により江戸幕府が終わり、天皇を中心とする明治政府が、日本を近代国家にしていくために新たに創られ、その当初の制度が改められ、試験による公務員採用制度が確立されたことに始まると考えられる。

 そこにおいては、官僚(機構)は、主権者である天皇の政治・政策(行政)の実動部隊、手足として機能したわけであるが、新しい国家や社会を創るという意味では、非常にやりがいがあり、社会的に評価の高い仕事であったといえる。

 なお、当時は、行政・立法・司法の3権力は天皇の下にあり、まず行政機構がつくられ、その後他の2権がつくられたのであるが、その設立・設置の経緯やその設置の順序などが日本の権力構造の在り方を象徴しているといえるのである。

 その後紆余曲折があるが、日本は、第二次世界大戦の敗北後、日本国憲法が改定憲法(注4)として制定され、国民が主権者、天皇は国民統合の象徴となったが、基本的に官僚(機構)は、戦前と変わらず戦後も継続・温存された。その結果、憲法上(形式上)は官僚の奉仕対象は変更になったわけだが、「官僚」に関する社会の雰囲気・エトスや意識というか慣性の法則ともいうべきものは、ある意味継続し、「お上」意識や官尊民卑の状況は続き、その状況は極端な言い方をすると今も継続あるいは残存しているといえる。

そのことが、たとえ立法が憲法上或いは形式上上位にあることになっていても、いわゆる「政治主導」というものが日本でうまく機能しない一因なのではないかと考えている。

公務員制度やその人材育成の在り方も問われている。
公務員制度やその人材育成の在り方も問われている。写真:cap10hk/イメージマート

 少し話を戻すことになるが、明治政府が、新たな官僚(機構)を構想・構築した際には、国家としての日本の最大のミッションは、欧米先進国の水準に追いつき、当時遅れていた日本を先進国にすることであった。つまり、当時の日本には、追いつくべきモデル国・地域が存在した。それらの国・地域には、当時すでに様々な法制度や政策が存在し、実施されていた。日本は、模倣したり、日本社会に適合できるように改良して、それらを日本の国家や社会に適用すればよかったのである。

 それは別のいい方をすると、日本社会の実際の状況を独自に調査・研究をすることよりも、既に存在するものを解釈したり、変更・修正・調整できる能力が、官僚に主に求められたということを意味する。そのことが、日本の官僚は、主に法律等の解釈について学んだ、法学部出身者が中心になり、現在もその状況が続いていることの淵源にあると考えられるのである。

 だが現在の日本は、課題先進国ともいわれるように、他国がいまだ経験したことのないような多くの問題や課題に直面し、それらの解決に取り組まないといけない立場にある。そこでは、日本は、今後とも他国の経験から学び続けることは当然に必要であるが、それ以上に自国の現状を的確に研究・把握し、そこにおける問題の解決やそれらを超えて新しい社会を創り出していくために、法制度を含めた新たなる制度や政策を構想、創造していく必要があるのだ。

 その際には、官僚には、当然「解釈」のスキルや知見よりも、研究や探求のためのスキル・知見などが必要になるだろう。そしてその場合には、官僚には深い専門性や全体観なども必要になるし、社会の変化に対してアップ・ツー・デートできる学び続ける力・能力も必要となるだろう。その意味では、現在の公務員の雇用制度の中心である、学部卒中心、メンバーシップ型の終身雇用・年功序列方式の採用・育成の方式は、今後も一部残るにしても、大きく変えていく必要があるだろう。

 今日のように、社会が短期間に大きく変化、変貌する時代には、さらにそのような変化・変更が求められるといえるだろう。

 さらに言えば、日本は、第二次世界大戦後に民主主義国家になり、国民が主権者になった時点で、本来はそこにおける「官僚」や「官僚機構(制度)」の定義や仕組みは再構築されるべきであったが、形式的変更や一部の改変等はあったが、戦後日本の復興において、官僚機構が必要であったこともあり、戦前からの多くのことが、ある意味で「温存」され、継続されたということもできるのではないだろうか(注5)。その意味で、日本型民主主義における「官僚(機構)」の定義や在り方の再構築が、今こそ必要なのだ。

 以上のようなことから、日本の現在の政治、行政や政策形成過程などの行き詰まり、新たなる方向性を見いだすことのできない現状をみるにつけて、現在そして今後の状況に即した、「シン官僚論」や新しい「官僚制度(機構)」を今こそ構築し、官僚という仕事をやりがいのある魅力的な仕事にすると共に(注6)、日本に新しいガバナンスを構築していくことが必要なのではないかと考える次第である。

(注1)その成果は、政策提言「新しい勤勉(KINBEN) 宣言」―幸せと活力ある未来をつくる働き方とは―【報告書】」(PHP総研、2015年12月22日)として発表されている。

(注2)もちろん、長時間勤務を生んでいる現在の組織や行政の仕組み自体は、大いに改善されなければならない。

(注3)日本の社会やメディアは、そうは言いながら、官僚(機構)や行政には、国際的に比較してみても、ある意味異常と言えるぐらい関心が高い。それは、後述する日本の現在の官僚(制)の仕組みがつくられた歴史的な経緯に由来しているのではないかと考える。

(注4)筆者は、慎重な議論が必要だが、日本国憲法が、大日本帝国憲法(明治憲法)の憲法改正手続きに則って改訂されたことが実が重要な意味があるのではないかと考えている。

(注5)しかも、この戦後復興時に「官僚」に求められたこと、日本の明治期に「官僚」に求められたことが、ある意味同一の復興し「欧米先進国に追いつき、追い越し、新しい国家や社会を創ること」であり、やりがいがあり、戦前同様に社会的にも評価の高い仕事であった。このことも、「官僚(機構)」が戦前戦後で同じエトスや立場を維持、継続することの原因となったということも考えることができるかもしれない。

(注6)この新しい官僚のイメージは、戦前とは異なる国民が主権者である民主主義社会の発展に貢献するというものであろう。

政策研究者、PHP総研特任フェロー

東京大学法学部卒。マラヤ大学、米国EWC奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て東京財団設立参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・阪大FRC副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長・教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。経済安全保障経営センター研究主幹等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演多数。最新著は『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』

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