日本人がトンガの「シピタウ」体験。人羅奎太郎、サイン「豚」でロングパス?【ラグビー旬な一問一答】
異文化経験だ。ラグビーのリーグワン2部(来季から1部)の近鉄ライナーズに所属する人羅奎太郎が、トンガ選手ばかりのチームの一員として試合に出た。伝統的舞踊の「シピタウ」も戦前、戦後におこなった。
6月11日、東京・秩父宮ラグビー場。今年1月にトンガ沖で起きた発生した海底火山噴火の被災者を支えるための慈善試合があった。
日本でプレーするトンガにルーツを持った選手たちが「トンガサムライフィフティーン」として結集し、約1週間の準備を経て日本代表の予備軍にあたるナショナルディベロップメントスコッド(NDS)による「エマージング ブロッサムズ」と対戦。12―31と敗れたものの、随所にパワフルな突進を繰り出した。
後半からスクラムハーフとして登場した人羅は、試合後、報道陣に対応。異文化経験を振り返った。
以下、共同取材時の一問一答の一部(編集箇所あり)。
――シピタウはこのチーム独自のもの。試合後のそれでは最後に「感謝!」と叫んでいます。試合前も含め、堂々とおこなわれていました。
「気持ち、入ってたんで」
――事前練習はどれくらい。
「結構、練習したっすね。トレーニング後、食事の後にも」
――ひとつひとつの動きの意味について、説明はあったか。
「あったんですけど…トンガ語だったので! (大まかなところは)トーエさん(後述)から軽く聞きました」
――立ち位置は。
「コーチ陣があらかじめ決めていて。ここからトーエさんがアドリブで『前に行け!』と。それで、前の方に行かせていただきました」
――シピタウを演じるグループの一員になった気持ちは。
「(約1週間の)遠征で日々を重ねるごとに――まだ詳しくはわからないですが――トンガの文化を自分のなかで理解しました。繋がりを大事にする。その(輪の)なかに入れていただいたので、一員となれたなと」
――トンガのラグビーについて改めて感じたことは。
「身体を張り続ける。日本は速いテンポでボールを動かしますが、トンガの人はフィジカルに自信を持っていて『身体を当てたら前に出られるから、(テンポは)落ち着かせて、ゆっくりでいい』と。日本とトンガで、違いがあるかなと感じました」
――精神面では。
「いろいろと人に目を配る。困っている人がいたら助ける。私生活でも、練習でもです。それは素晴らしい文化だと思いました」
――プレー中は。
「指示を出すのは英語か、日本語。日本語に皆が対応してくれたのでよかったです」
――サインプレーはトンガ語だったようだが。
「(空中戦の)ラインアウトからのサインはトンガ語でした。動きの中でのスタンドオフからのボール、フォワードへのボールも全部、トンガ語。最初に説明を受け、ミスしても大丈夫、と言われて、自分の思うものをやって、ミスをして、やっていくうちに覚えたという感じです」
――具体的に。
「フォーバイがフォワードに放るサイン。プワッカ――トンガ語では豚っていう意味らしいですが――がエッジ(グラウンドの端)に欲しいというもの。それが何で豚になったのかはわからないですけど」
――試合終盤。体力的に厳しくなりそうなところでも勢いがありました。
「皆、最後まで戦い続けていこうと話し合っていました。そこは、貫けた」
――覚えたトンガ語は。
「マロ(ありがとう)と、マロエレレイ(こんにちは)、くらいですかね! 僕、『アイセア』というミドルネームをつけてもらいました。『それがあればもう一員だね。ファーストキャップおめでとう!』と」
――改めて。
「ここに呼んでいただけたのがよかった。ラグビーの考え方(が変わった)。僕はテンポだけという考え方でしたけど、落ち着かせるとか、使う(ボールを渡す)選手を見極めるといったところを学べたと思います」
同志社大学からライナーズに加わり2シーズン目。今回の招集は、所属先のスタッフでもある「トーエさん」ことタウファ統悦氏が「トンガサムライフィフティーン」のフォワードコーチ兼チームマネージャーを務めていた縁で決まった。
タウファ氏からは「ひいおじいちゃんぐらいがトンガ人。知らんけど。そう言っておけば」と言われていたという。
今後は「日本代表を目指して頑張っていきたいです」と笑った。