通常国会開幕。質してほしいコロナ禍で踊り惑わすあいまいな言葉群
今日(18日)から通常国会が開催。初期に審議される2020年度第3次補正予算案には「新型コロナの感染拡大防止策」約4・3兆円が盛り込まれている一方で「GoToトラベル」延長に1兆円超、国土強靱化に約2兆円(特別会計含む)も計上していて「感染爆発の真っ最中に火消し後の対策を考えるなど馬鹿げている。全額防止策に使え」という声も。
「GoTo」に象徴される経済振興策と感染症対策の二兎を追う政策は妥当なのでしょうか。おかしいとすればなぜ転換されないのでしょうか。背景に垣間見える「あいまいな言葉群」から探ってみます。
感染症の拡大が収束し、国民の不安が払拭された後
「新型コロナを過度に恐れるべきでない。経済を回さないと自殺者などが続出し弊害の方が大きい」という意見があります。代表的なのは「季節性インフルエンザ並みか多少上回る程度」という認識。確かに季節性の感染者数は年間約1000万人、死者数約2000人ぐらいはカウントされていて毎年を過ごしてきました。
傾聴に値する見識です。ただ政権はこうした「過度に恐れるな」というメッセージを一度も出していません。「GoToキャンペーン」を含んだ20年度第1次補正予算が可決成立したのは安倍晋三前政権下の4月30日。この時に「GoTo」は「感染症の拡大が収束し、国民の不安が払拭された後」と閣議決定されています。10月26日、菅義偉新首相は臨時国会を召集し初の所信表明演説で「爆発的な感染は絶対に防ぎ、国民の命と健康を守り抜きます。その上で、社会経済活動を再開して、経済を回復してまいります」と述べました。
いずれもコロナ禍「収束」が先で「GoTo」など「社会経済活動」は「後」「その上で」と位置づけられています。だとすれば緊急事態宣言下の今国会初頭で「後」「その上で」の政策を15カ月予算とはいえ20年補正につぎ込むのは整合性が取れません。
どうしても疑ってしまうのが東京五輪への滑走路造りではないのかという疑問です。昨年3月24日、翌年延期が決まった翌日、黙していた小池百合子東京都知事が「3密」会見として名を轟かせた席で「感染爆発の重大局面」を訴えました。開催予定日の7月23日(今年も同じ)の前日から「GoToトラベル」が始まります。直前の10日にはイベントの開催制限を緩和し観客の上限5000人などとしました。29日より全国の1日当たり感染者数が1000人を超える「第2波」が到来しているのです。
にも関わらず9月19日にはイベント制限を再緩和して観客数万人規模も認め、10月1日から「GoToトラベル」に東京都が追加し「GoToイート」もスタート。11月1日には横浜スタジアム開催のプロ野球で「実証実験」と称し満員(約3万2000人)まで入れるよう設定しました。政府が「出歩こう」「外食しよう」と奨励したわけです。「候補地の日本は大丈夫」という五輪アピールと勘ぐられておかしくありません。
結果として何が訪れたか。11月13日頃から全国1日当たり新規感染者数が第2波ピークの1500人を超える日が常態化する「第3波」が到来し、25日の政府や医師会による「勝負の3週間」呼びかけも虚しく12月14日「GoToトラベル」を全国一斉に一時停止(28日から翌年1月11日まで)を発表。1月8日に1都3県に緊急事態宣言が再発令される仕儀となったのです。
11月25日、菅首相は国会で「GoToトラベル」が感染急拡大を招いたのではという質問に対し「(トラベルが)主要な原因だというエビデンスは存在しない」と突っぱねました。ところが再発令された緊急事態宣言は「不要不急の外出や移動の自粛を要請」「出勤」は「不要不急」から除かれるも「出勤者数の7割削減」を目指す、「飲食」は「感染リスクが高い場面」が想定されるので「営業は20時まで」を要請といった内容です。
エビデンスがあろうがなかろうが「GoTo」が飲食を、「不要不急」でない「出勤」より「不要不急」度が明らかに高い旅行を、それぞれ推進したのは紛れもない事実で、再発令の時点で「GoToキャンペーン」が論理矛盾を起こしていたのは明白としかいいようがありません。
菅首相は12月21日、東京都だけで新規感染者が1日2000人をオーバーしているなか「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」として五輪を開催すると明言。それこそエビデンスを知りたいものです。
流行をほぼ収束させることができた
「経済重視」が賛否あるにしても「感染拡大軽視」がダメという点ではおそらく一致します。そこでも政権は錯誤を繰り返してきました。
典型的なのが最初の緊急事態宣言(4月7日発令)の顛末です。5月6日までの予定が5月4日に31日まで延長され25日に前倒し解除しました。記者会見で安倍首相(当時)は「わずか1カ月半で今回の流行をほぼ収束させることができた。日本モデルは世界の模範だ」とまで大風呂敷を広げました。
本当に「収束」していたのでしょうか。25日以前の新規感染者数は21日が757人、22日が673人、23日が978人、24日が769人、25日が801人。むしろ上昇傾向でした。現に解除後の26日が864人、27日が594人、28日974人、29日1266人、30日1162人、31日1090人(本来の解除日)。ブスブスと潜行していたのです。
「GoTo」で一息つき、再びの緊急事態宣言で突き落とされた旅客、観光、飲食といった産業に従事者する方は誠にお気の毒。しかし、この時もし文字通り「収束」まで我慢して抑え込んでいたら第2波、第3波の形も違っていたかもしれません。
再発令された緊急事態宣言の期間は2月7日まで。これで収束できると思っている国民はほとんどいないでしょう。なぜ長めに見積もって資源を集中投下しないのでしょうか。
「瀬戸際」「ギリギリ」「総合的」「勝負」……
メディアの報じ方への疑問として例えば「民放テレビは視聴率至上主義でコロナ禍報道を煽っている」といった見方が存在します。真剣に受け止めるべき指摘ですがマスコミの末席を汚した経験のある筆者は多少擁護したい。メディア側からすると求められている話題を優先するのは当然で伝える使命があると思っているでしょう。
それよりも重大と感じるのは政府や自治体首長などしかるべき人物の発言を垂れ流す悪い意味での「大本営発表」に陥っていないかという部分です。コロナ禍で発信されたそれらは極めてあいまい。先の安倍発言「流行をほぼ収束」だけではありません。
2月24日、専門家会議の「この1・2週間が瀬戸際」。3月25日、小池都知事の「感染爆発の重大局面」。3月28日、安倍首相「ギリギリ持ちこたえている」。5月4日、首相の(緊急事態宣言解除基準は)「総合的に判断」。11月25日、政府や医師会が「勝負の3週間」を呼びかける。そして年末の「静かな年末年始」。「夜の街」などというのも。フェイクとはいわないまでも具体性をおびただしく欠き、精神論のようでもあります。「5W1Hをハッキリさせよ」と迫ってしかるべき言葉を詰め切れませんでした。
「新しい生活様式」という表現もニュアンスを取り違いやすい。そもそもは緊急事態宣言中の5月1日に政府の専門家会議が提言したフレーズです。本来の意味は「徹底した抑え込み」で新たな感染が限られてきて、対策が緩和されるレベルになったとしても「収束はいついつまで」とハッキリ言えない感染症なので長丁場で予防すべき生活スタイルというようなものでした。だとすれば「強いられる生活様式」あたりの方が正確では。会議体の性質上、多少明るめの語彙を用いるのは仕方ないとしてメディアまで追従する必要はないはずです。
Go To Travel、Go To Eat という奇妙な英語(英語ですよね?)もあいまいな印象を与え惑わします。素直に「旅行しよう」「外食しよう」キャンペーンでいいはず。ただこうした率直な日本語を用いたら感染拡大期に一層の批判を食らったでしょう。
極めつきが「自粛要請」というありえない日本語。要請したら自粛ではありません。自ら慎まなければ。
頻々とコロナ報道を垂れ流す割に肝心なところをそれこそ「自粛」する空気も生じています。7月16日、参議院予算委員会の閉会中審査で参考人の児玉龍彦東大名誉教授が「(総力で対策を打たないと)来週は大変になる。来月は目を覆うようなことになる」と危機感もあらわに訴えたのに野党推薦というのもあってか、あるいはパニックを恐れてか総じて抑制的に報じられました。結果的に第2波を言い当てた証言であったにもかかわらず。