100年ぶりのパリ五輪、なるか?
日本ではいよいよ間近に迫ってきた東京オリンピックで話題が尽きないが、その次を狙う招致合戦がいよいよ白熱してきた。
2024年の夏期オリンピック、パラリンピック最終候補に残っているのは3都市。ロサンゼルス、ブダペスト、そしてパリだ。
ヨーロッパで開催されたオリンピックといえば、2012年のロンドンが記憶に新しい。じつはこのときパリは苦い思いを味わっていて、招致合戦で有力視されていながら、ふたを開けてみればロンドンに白羽の矢がたっていたという経緯がある。候補地決定の日、筆者はたまたま雑誌の取材のために、パリ屈指の高級ホテルでプレス担当者の男性と一緒にいたのだが、最上階のスイートルームから見事な眺めを撮影しているちょうどそのとき、プレスの男性の携帯にパリ落選の報が入った。わたしたち取材班のためにプロの笑顔を保ち続けようとしていても、「祝賀会の準備万端だったのに…」と、ポツリ。側で見ていて気の毒になるほど、肩を落としていた。
あれから10年、臥薪嘗胆ではないが、今度のパリは本気だ。
歴史をひもとけば、パリオリンピックは過去に2回。1900年と1924年に開催されていて、2024年は前回大会からちょうど100年目という記念の年にあたるのだ。
2月3日、IOCに正式に書類を提出したのをうけて、エッフェル塔を真正面にとらえるシャイヨー宮でプレス発表が行われた。
招致委員会のメンバーは、歴代の金メダリストたち、パリ市長、パリ大都市圏イルドフランス地方の首長、さらに首相も名を連ねるという陣容だ。
委員会のプレジデント、トニー・エスタンゲ氏はカヌー競技で3回金メダルを獲得したスター。「フランス語なまりですが…」と謙遜しながらも、流暢な英語でパリの優位性を熱く語った。
スローガンとして英語の「sharing」、つまり「分かち合う」というキーワードを大きく掲げているが、これは「壁」を作らんとする昨今のどこぞの姿勢とは真逆のコンセプトであると語り、パリに決まる勝算は10中いくつかという記者席からの質問には、「9」と自信たっぷりに答えていた。
2月3日と聞いて、お気づきになった方もあるだろう。まさにこの日の朝、ルーブル美術館での事件が勃発し、「テロの可能性が高い」と首相のコメントが報道されていた。
そんなタイミングで、予定どおりベルナール・カズヌーヴ首相も出席するのかどうか案じていたが、はたして、いつもどおりの紳士ぶりでにこやかに登壇した。スピーチのあとでは当然、朝の事件をうけた安全性を問う質問があり、一言一句漏らすまいという空気が会場に満ちた。
「テロのリスクはいまや世界中どこにでもある。ここ最近の世界をみてもあきらかだ。だが、我が国はそのような状況のなかでも、サッカー欧州選手権ユーロ2016、そして環境会議COP21を成功させてきた。
そしてまさに、今朝の事件への迅速的確な対応が、わたしたちの力量を示している。セキュリティは万全だ」
と、冷静に胸をはって回答した。
そして、最後には
「わたしがそのときこの役職にあるかどうかはわかりませんが…」
と、ことし5月に迫った大統領選の混迷を意識したコメントで笑いをとり、会場の空気をほぐすことも忘れなかった。
ところで、発表されたプロジェクトの骨子は次のとおり。
会期は2024年8月2日〜18日(オリンピック)と9月4日〜15日(パラリンピック)。
競技施設の95パーセントは、すでにあるもの、もしくは仮設を使用し、水泳競技用の1施設のみをあらたに建設。
パリ近郊、現在シネマシティのある場所がオリンピック村になり、22の競技と8割の施設はそこから10キロ圏内に予定。
パリの中心から10キロ圏内にホテル9万室確保。
財源のうち、運営予算36億ユーロ(約4400億円)は、大会自体(IOC分担金、権利ビジネス、入場料収入)から、またインフラストラクチャー投資財源30億円のうち半分が公共投資、などなど…。
ビジュアルイメージを見ると、エッフェル塔の足元にあたるシャンドマルス広場がビーチバレーの会場になったり、プチバレが選手を出迎えるセンターになったり、パリを横切って流れるセーヌ岸がオリンピックムード一色になる計画だ。
また「分かち合う」オリンピックというポリシーを反映して、競技チケット15ユーロ(二千円弱)、開会式チケットでも24ユーロ(3千円弱)からと、入場料の設定を安価なレベルからスタートしたい考えも盛り込まれている。
記者発表のあと、エッフェル塔が五輪の色に染まる象徴的なシーンも用意されていたのだが、この日はあいにくの嵐。シャイヨー宮広場に陣取った報道陣は冷たい小糠雨と風にさらされることに…。筆者もテレビカメラマンたちの後ろで雨風を避けようとしたが、オーバーコートも頭もしんしんと濡れそぼってゆく。
(朝にはテロ、そしてよりによってこんな天気。とんだ記者発表になったものだ…)
パリのなかでももっとも象徴的な風景をとらえる特等地で、内外の報道陣たちはみなおそらく自嘲したいような気分で、辛抱強く点灯を待っていた。
すると、わたしの濡れ鼠ぶりが相当哀れに見えたのか、報道陣を誘導してくれていた女性、その人こそ雨風の最前線にいたのだが、突然相好を崩し、コメディアンよろしく
「Bienvenue a Paris!(ようこそパリへ)」と
まるで長年の友達に再会したように、わたしを包み込むようにハグをした。
(あ、これこそパリ)
と、ふてくされていた顔に思わず笑みが戻る。
悲惨を悲惨のままで終わらなせないなにか、とでもいえるだろうか。この町ではこんなふうにひょっこりと、天性の独特の生命力を感じさせられるのだった。
さて、最終決定は9月13日。ペルーのリマで行われる予定になっている。