芸能界のドラフト1位、三大オーディションのグランプリから引退したのは?
プロ野球のドラフト会議が開催され、将来を嘱望される選手たちが指名を受けた。一方で、かつてのドラフト1位たちが戦力外通告を受けて、球界を去ろうともしている。芸能界のドラフト1位といえば、登竜門とされるオーディションでのグランプリ。だが、こちらでも活躍を期待されて大々的に売り出されながら、開花しないまま引退することもある。三大オーディションと言われるホリプロタレントスカウトキャラバン、全日本国民的美少女コンテスト、東宝シンデレラについて、2000年以降のグランプリから芸能界を去った者たちを振り返る。
綾瀬はるかと競ってグラビアから売り出されて
事務所主催オーディションの草分けで、1976年にスタートしたのが「ホリプロタレントスカウトキャラバン」。第1回グランプリが榊原郁恵で、昭和には堀ちえみ、井森美幸、鈴木保奈美、山瀬まみらを輩出している。
2018年までは毎年開催され、現在のホリプロを支える深田恭子、綾瀬はるか、石原さとみはいずれもこのオーディション出身。綾瀬は2000年大会の審査員特別賞で、同年のグランプリは藤本綾だった。当時17歳。この回の審査委員長は優香を発掘した敏腕マネージャーで、「他の事務所に持っていかれたくなかった」と大きな期待を寄せられていた。
B87の豊満ボディで、当初の優香と同様にグラビアで売り出され、早くから雑誌の表紙を飾り、写真集も発売。『THE夜もヒッパレ』や『めざましテレビ』のレポーターなどバラエティのほか、TBSのUEFAチャンピオンズリーグ中継などサッカー番組にもたびたび出演していた。
その後、及川中監督の映画『メノット』に主演。ヌードやベッドシーンも披露したが、この作品の公開を待たず、2005年に芸能界を引退している。
哀感のある歌声に活動再開が待たれる
女優発掘のイメージのあるスカウトキャラバンだが、実際には毎回テーマを変えている。2003年には「ラブミュージック・オーディション」と銘打ち、歌手志望者を募集。ファイナリストには『マクロスF』のヒロインの歌パートからアニソンシンガーとして大成するMay’nがいた。
このとき、グランプリに輝いたのは大竹佑季。現状、引退を発表してはいないが、この1年は活動が見られず、ツイッターの投稿も昨年12月が最後になっている。
受賞当時は16歳。育成に時間を掛けてデビューは2年後。透明感のある歌声に哀愁とやさしさを兼ね備え、2006年発売の1stフルアルバム『眠る孔雀』はヒーリング感のある名作だった。
2006年にホリプロを離れ、翌年にSnow*の名義でアニメ『アイドルマスター XENOGLOSSIA』のエンディングテーマ「悠久の旅人~Dear boy~」をリリース。もともと他のアーティストのための仮歌として録ったボーカルが制作陣を惹きつけ、そのままテーマ曲を担当することになったという。
2018年には再び大竹佑季として、インディーズレーベルから2曲を配信リリース。得難い歌声を持つシンガーだけに、活動再開が待たれる。
史上初の小学生グランプリは留学から復帰せず
2008年には当時12歳の高良光莉が史上初の小学生グランプリと話題になった。この回はファイナリストに橋本愛がいて、選に漏れた後、ソニー・ミュージックアーティスツからデビューしている。
高良は翌年に大野智主演のドラマ『歌のおにいさん』で女優デビュー。子ども番組のマスコットグループのメンバー役だった。受賞当時は149cmだった身長はグングン伸びて、高校生になる頃には170cmに。
2012年には『GTO』で川口春奈や本田翼らと共に生徒役で出演。金子修介監督の短編映画『Living in Japan』では主演も務め、翌年にロサンゼルスに留学した。
1年後に帰国し、YouTubeで流暢な英語を交えて報告。「英語を活かした仕事ができるように頑張りたい」と話していたが、芸能活動に復帰することはなかった。
2015年にホリプロ公式サイトからプロフィールが削除され、人知れずの引退となっている。
最年長グランプリは30歳を前に別の人生へ決断
今年引退したのが、2013年のグランプリの佐藤美希。この回はモデルを募集して、当時20歳での受賞は歴代最年長。看護師の専門学校に通っていた。
『non-no』の専属モデルとなる一方、くびれを売りにした水着グラビアでも活躍。グランプリの先輩に当たる足立梨花を継いで2代目のJリーグ女子マネージャーも務め、サッカー関係の仕事でも知られるように。女優としても『ドクターX』(4期)にレギュラー出演するなど、幅広く活動していた。
ブレイクまでは至らなくても長く芸能界に残るタイプかと思われたが、29歳になった今年の9月、ブログで同月末でのホリプロ退社と芸能界引退を発表。
「30代、そしてその先をどう過ごしていくかを考えたときに、芸能界ではない社会に出て仕事をしてみたい思いがあり、長い時間をかけて悩み考え、20代最後の区切りとして出した答えです」とのことだった。
芸能人として最後の日になる9月30日には、ツイッターに花束を持った笑顔の写真を掲載。「どうか、お元気で」とのメッセージが添えられていた。ファンに惜しまれながらの引退は幸せにも見えた。
日中ハーフの国民的美少女はひっそり去る
オスカープロモーションが主催する「全日本国民的美少女コンテスト」は、ブームを起こした後藤久美子に続く逸材を発掘しようと1987年に始まり、不定期に開催されている。
米倉涼子、上戸彩、武井咲、剛力彩芽らが出身者だが、いずれも審査員特別賞などで、不思議とグランプリはブレイクしない時期があった。近年は河北麻友子、髙橋ひかる、井本彩花が活躍を見せている。
2004年のグランプリだった山内久留実は、当時中1のアイドル顔の美少女だったが、目立った活動がほとんどないままフェードアウト。武井咲がマルチメディア賞とモデル部門賞になった2006年のグランプリは林丹丹。当時17歳で、中国人とのハーフということでも注目された。
ドラマ『交渉人』で米倉が演じた主人公の義理の妹役でデビュー。『ドクターX』の1期では段田安則が演じた外科医の愛人役。2012年公開の日中合作映画『女優』では、中国から日本に来て女優を目指す役で主演し、中国語での演技も見せた。
しかし、2014年に事務所との契約を更新せず、発表もないまま引退していた。
東宝シンデレラから学業優先で休業したまま…
「東宝シンデレラ」は1984年にスタートして、第1回のグランプリは沢口靖子。ファイナリストに斉藤由貴がいた。以後は不定期に開催され、2000年に12歳だった長澤まさみがグランプリに。
2011年にはグランプリの上白石萌歌のほか、姉の上白石萌音、浜辺美波、山崎紘菜らが賞を獲っている。2016年のグランプリの福本莉子も近年の活躍が目覚ましい。今年6年ぶりに開催されて、先日、史上最年少10歳の白山乃愛さんが令和初のグランプリとなった。
長澤と上白石の間の2006年のグランプリだったのは、当時14歳の黒瀬真奈美。同年にあだち充原作で長澤主演の映画『ラフ ROUGH』でデビューした。
上海国際映画祭で観客賞の『眉山』では松嶋菜々子が演じた主人公の少女期、大ヒットドラマ『花ざかりの君たちへ~イケメンパラダイス~』では桐谷美玲や平愛梨らと共に女子校の生徒役。2008年には歌手デビューして作詞も手掛けている。
だが、2010年に学業を優先とのことで活動休止を発表。そのまま復帰することなく、芸能界を去った形になっている。
オーディションで何万人もの応募者から選ばれたグランプリが、逸材でないわけはない。だが、芸能界では本人の資質もさることながら、運やタイミングが左右する面はスポーツ界以上に大きい。
そして、個々の人生で考えれば、芸能界に残るのが必ずしも正解ではないだろう。元グランプリたちの第2の人生が幸せであることを願いたい。