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韓国・強制徴用判決から2年、臆病な日本社会を憂う

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
昨年8月ソウルの日本大使館前でデモを行った原告の李春植さん(中央右)。筆者撮影。

日本企業による韓国人強制動員被害者への賠償を命じた2018年10月30日の韓国大法院判決から2年。問題は解決ではなく「現金化」という更なる悪化に向かっている。この事態を前に筆者は「日本社会は巨大な思考停止の下にあるのでは」という疑問を拭えずにいる。

●「戦後」終わらせた安倍前首相

その引き金をひいたのは安倍晋三首相(当時)だった。18年10月の判決直後、記者団に向け「1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決している。今回の判決は国際法に照らしてあり得ない判断だ」と語った。

この言葉はワイドショーやニュースで繰り返され、社会に大きな影響を与えた。同年11月13日に発表されたNHKの世論調査では、大法院判決に「納得できる」と答えたのは2%、69%は「納得できない」とした。

だが判決直後に多くの識者が、また00年代以前に日本政府も指摘していたように、強制動員被害者の個人請求権は残っているため大法院の判決は充分にあり得るものだ。さらにこの「熱狂的な拒否」の過程で、それよりも重要な問題が見落とされた。

それは大法院判決が持つ「植民地支配の不法性」という意識への共感だ。

判決の骨子は、韓国の専門家が指摘するように「強制徴用被害者たちが日帝の朝鮮半島不法占領にしたがう日本企業の反人道的な不法行為を前提にし、日本企業を相手にする慰謝料請求権」であり、「植民地時代35年間のすべての法律関係の中で、韓国の憲法精神に合わないものは効力がないという部分を宣言したもの」だ。

つまりは日本の植民地支配が不法であるという内容を含めない、65年当時の請求権協定を「補完」する性質のものであった。さらに韓国大法院は日韓の協定(条約)よりも憲法が優位にあるという見解を示した。

一方、冒頭の安倍首相の発言の背景には、あくまでも日本による朝鮮半島の植民地支配の不法性を否定する解釈がある。これにより、日本では65年の段階で「補償した」という論理が正当であるかのような印象を与えているのだ。

この2年間、日本政府や日本社会の議論は、この線を一歩も出なかった。そこには植民地支配され収奪の憂き目にあった上に、日本の戦争に巻き込まれた力なき一個人に対する温情、共感、謝罪といったものは一ミリも入る余地がなかった。

筆者はこんな日本社会の姿を見ながら、一方で「何をそんなに恐れているのか」という印象を抱き続けていた。半導体素材の輸出監理強化や韓国をホワイト国から除外するといった派手な攻勢の裏に隠れた「臆病な顔」だ。

それは何か一つでも韓国に譲る場合、あたかも日本の「戦後」を支えてきた「何か」が崩れ落ちるような恐れ、と言い換えてもよいだろう。一方でなぜ、こんなにも頑ななのかが理解できなかった。

この疑問に答えてくれたのは、やはり安倍氏だった。今月15日、産経新聞とのインタビューでサッパリと説明してくれた。それはひと言で「戦後は終わった」というものだった。産経新聞の該当部分を引用する。

■70年談話「戦後」終わらせた

 --平成27年の戦後70年談話〔2〕は「謝罪外交」を終わらせる転換点となった

 「第1次政権で『戦後レジームからの脱却』を掲げたが、少し戦略性に欠けていたと思う。戦後50年の『村山談話』は日本のみに着目をしていたが、先の大戦は世界史的な出来事だ。地球儀を広く俯瞰(ふかん)すると同時に、長い歴史の流れを見る必要がある。第2次政権時の70年談話では歴史の時間軸を100年とった」

 「100年前の世界は、少数の独立国と多くの植民地があり、その中で日本は独立を守るために格闘していた。世界史的な観点から日本の70年前の出来事を振り返った。そして、世界が共有する価値観、世界が目指す社会像は何かを70年談話で述べたということだ」

 --それまで定期的にぶり返してきた歴史問題は提起されにくくなった

 「70年談話と前後して豪州議会と米国上下両院合同会議での演説、その後のオバマ米大統領(当時)の広島訪問、私の真珠湾訪問へと続いた。ここで戦後を終わらせることができた」

 --子供たちに子孫への謝罪の運命を背負わせてはならない決意だった

 「これをもって終止符を打たなければいけないという気持ちは強かった。米国での演説では謝罪ではなく『悔悟』という言葉を使った。亡くなった兵士が本来であれば持っていた未来に思いをはせると同時に、和解した豪州や米国に対する感謝に力点を置いた。慰安婦問題の日韓合意は国際社会が証人となり、『最終的かつ不可逆的な解決』を確認した。政府として『河野談話』の検証も行った。多くの人たちが歴史の真実により近づくことによって歴史問題に終止符を打つことができた」

筆者が知らないうちに、何もかもが終わっていたのである。その不法性を問うこともなく、当事者の声に耳を傾けることもなく、「戦後」は終わっていた。否、終わらせられていた。

「歴史の真実」とは、強制徴用の被害者への謝罪も、補償も行われていないことではないか。言うまでもなく、朝鮮半島の北側にある朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とは何ら手つかずである。「歴史問題」には相手がいる。その相手を無視した「終止符」とは、乱暴な意見と言う他にない。

●多様性なき日本

日韓の世論を図る材料の一つに、市民団体「言論NPO」が毎年行っている世論調査がある。先日発表された最新の調査から見えるのは、日本社会とは対照的な韓国社会の幅広い解釈である。

下図をご覧いただければ分かるが、『徴用工問題解決のために何をすべきか』という質問に対し、韓国(ピンク色の図)では最多の36%が「韓国最高裁(大法院)の判決に従い、強制執行を行うべき」としているが、一方で、「韓国政府や民間の政治的決断が必要」18.2%、「日本は強制執行に従うべきではない」14.0%となり、合わせて3割を超えている。

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この結果からは韓国社会最大の対立である、日本の歴史意識を問う進歩派と既存の日韓秩序を重視する保守派の対立という存在を読むべきだが、いずれにせよ韓国側への譲歩が見られない日本の回答とは大きな隔たりがある。

韓国社会はそれでも物を考え、文政権を批判し、様々な解決法を論じ合っている。日本社会にはこの一件に関し、多様性が存在しない。これこそが問題だ。

日本では、強制動員ののち辛酸をなめ尽くした韓国人(朝鮮人)被害者と自身を置き換えるといった、「正義」を考える際の基本的な議論すら行われていないように見える。

その理由には、先の大戦で原爆投下をはじめ日本人の多くも被害を受けた経験があるからだろう。立場を変えるのではなく、相対化され希釈される。つまりありふれた悲惨な戦争被害の中の一つに過ぎないといった扱いとなる。

NHKという大マスコミですら、加害と被害を分けて考えることができないのは、先の「ひろしまタイムライン」問題で充分に明らかになった。だがここで問われているのは、植民地支配の不法性という日本の現代を考える上で欠かせないテーマであるということを忘れてはならない。

日本の野党のふがいなさは論外だ。新型コロナウイルスの拡散を差し引いても、この2年間、韓国を訪問した野党議員がいるのか問いたい。共産党を除けば日本社会はあたかも一枚岩のように、過去から目を背け、自民党政権に寄り添っている。

●「解決策」はあるのか

ここまで本音を書き綴ってきたが、一方でこんなことを書いてよいものか今なお逡巡がある。

まがりなりにも日韓の未来を語ってきた筆者に必要なのは、「解決法」を読者に提示することかもしれない。また、朝鮮民族の悲願である南北統一に向けた外交を考慮し、18年から19年へと続いた「金正恩―トランプ非核化交渉」に一貫して反対する立場をとり続けた日本政府や日本社会を懐柔するため、「徴用工問題では韓国は妥協せよ」書くことかもしれない。

だが100歩譲ってそう主張するにしても、それが可能なのは歴史の被害者に寄り添い、日韓の市民が少なくとも国家の暴力性への共通の理解を持つ前提があってこそだ。

肝心な部分が空っぽのまま、「米中対立のダメージを最小化するため」などと理由をつけ妥協するというのは、1965年の日韓国交正常化当時、冷戦下で共産陣営への対抗から日韓が歴史への解釈を玉虫色にした妥協と全く同じものだ。それを今繰り返すのは、むしろ歴史に顔向けできない所作でしかない。そんなものを「国益のため」と賢しげに説くようなことはやりたくない。

それでも知りたい人に向けて書いておくと、「ボールは韓国にある」という認識を持つ日本政府が求めるのは韓国側の完全なる妥協だ。

「1プラス1」、つまり日韓の企業が賠償のための基金を作る案も、これに韓国政府が加わる「2プラス1」についても、日本政府にとってはまったく受け入れられない。「日本政府、日本企業からは1円も出さない」という条件を満たし、韓国側がすべて収拾をつけることが最低限のラインとなっている。日本のメインストリームの学者たちもこの部分をずっと強調している。

そしてこれを韓国側が呑み、賠償のための枠組みを韓国だけで構築するとき、そこからはじめて日韓の対話が始まるというストーリーが描かれている。この場合、日本側の被告企業の謝罪もあり得るし、基金への自発的な出資もあり得るかもしれない。

詭弁のような話だが、こうすることで、韓国側の原告が求める「被告企業の謝罪と賠償」がクリアされる結果も考えられる。もちろんこれは、昨年日本への強い姿勢を取った文在寅政権にとっては大きなチャレンジとなる。これができるならばとっくにやっている、という話でもある。

日本では過去、中国からの強制徴用者と日本企業との間に和解が行われたこともある。さらに20年前までは、韓国徴用工訴訟での和解もあった。だがこうした、「債務者側の任意の自発的な対応は可能」という「余白」が日本社会には既に失われている。この変化について、日本市民はもう少し敏感になった方がよい。

18年の大法院判決に話を戻す。原告側は被告企業との接触を求めるが、今なお実現していない。これを押しとどめているのは日本政府であるという話もあれば、株主の突き上げを恐れる被告企業との話もある。だが実際に止めているのは日本の世論だろう。日本市民の無関心により、国も企業もなんでもできる。

ともあれ、菅義偉首相も明らかにしているように、日本側が対韓姿勢のギアを上げるタイミングと公言しているのは、日本企業の差し押さえ財産の現金化だ。今後数か月の猶予となるが、この間に上記のような解決の糸口を韓国側が提供したとしても、前述したようにそれはおそらく日本社会にとってまったく意味のないものになる。

歴史への反省や省察は片隅に追いやられ(もしくは死に)、ただ「韓国が折れた」と溜飲を下げる記事や世論が乱発されることになるだろう。果たして、それでいいのか。

●人任せ、国任せにしてはならない

在日コリアン3世として日本で育った筆者が韓国に永住帰国し過ごす中で強く感じるのは、南北分断の最中にいる韓国にとって、安倍氏が勝手に「終止符を打った」戦後は、今なお継続中であるということだ。

つい最近、黄海で起きた北朝鮮による韓国公務員射殺事件を見ての通り、米ソ冷戦は米中の新冷戦となり、その最前線で朝鮮半島は未だ安定を見ていない。

そしてそんな緊張の中で、市民は16年の「ろうそくデモ」のように民主主義を考え自ら動き、法曹界も最新の国際人権意識を取り入れ、その延長線上に大法院判決も存在した。

しかし、日本の政治家や世論は発展しているのだろうか?「解決済み」で思考停止していないか?もっと言おうか。日本の市民は朝鮮半島の歴史に関心がないのである。悪気からではない。日本にはそれを知らなくとも困らない社会が確立されているからだ。

徴用工問題は本来ならば、このどうにも埋めようがない日韓社会の溝を埋める格好の生きた教材ともなる話だった。だからこそこの記事をもって私は、植民地支配とは何だったのか、はたまた政治家の論理を鵜呑みにし、国を思考の単位とすることの意味とは何かを、日本の市民にもう一度考え直すことを促したい。

いま真に終止符を打つべきは、現在へと連なる歴史の解釈を政治家任せにする「思考の放棄」に対してではないだろうか。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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