放送の「政治的公平」を憲法違反と判断した米国と真逆の日本との差
フーテン老人世直し録(206)
如月某日
高市早苗総務大臣の電波停止発言が問題になっている。放送法は放送局に対し「政治的公平」を求めており、これに違反した放送を繰り返し行った場合、総務省がその放送局の電波を停止することが出来ると国会で答弁したのである。
アメリカもかつては放送法に「公平の原則」を明記していたが、30年ほど前、「公平の原則」を放送局に押し付ける事は、憲法が保障した「言論の自由」に違反すると最高裁が判断し、「公平の原則」は廃止された。日本とアメリカは放送の「政治的公平」を巡って真逆の方向を向いている。なぜそのような事が起こるのか。
アメリカは放送の世界に新規参入を促して多彩な言論を保証する事が、憲法の「言論の自由」と合致し民主主義を発展させると考えている。ところが日本では言論機関と称する新聞社が既得権益を守るためにテレビ局を系列化し、またNHKが受信料を確保するため有料放送の世界を拡大させないようにした。
日本のメディアが自己の利益のためにアメリカと真逆の放送の世界を創った事が、今になって安倍政権に付け込まれているのである。そして誰も「公平の原則」を撤廃しようとは言い出さない。「権力の横暴」を批判したところで始まらない。安倍政権の脅しは既にメディア界に浸透しきっている。
かつて日本とアメリカの放送の世界に今ほどの違いはなかった。あるとすればアメリカはCM収入で成り立つ三大ネットワークが中心で、寄付で成り立つ公共放送がマイナーな存在だったのに対し、日本は国民からの受信料で成り立つ公共放送のNHKと、三大ネットワークと同じCM収入で成り立つ民放とが肩を並べる二元体制であった。
違いが出てくるのはケーブルテレビがアメリカで普及し始めた70年代後半である。それまでの電波を使うテレビはチャンネル数が限られたが、ケーブルで放送を行うテレビはチャンネル数を飛躍的に増やす事が可能となり、「多チャンネル放送」がアメリカで始まったのである。
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