ノルウェーの平等は幻想?移民とクィアが直面する現実
最新の報告書『マイノリティ・ストレスの経験』では、日常生活や公共サービスで多くのストレスを感じていることが明らかになりました。
移民とクィアコミュニティの現状
調査によると、移民やその子どもたちはノルウェーの総人口の15%以上を占めています。また、18〜24歳の若者の11%が非異性愛者であると自認しています。
しかし、彼らは社会で「見えない」存在として扱われやすい立場にいます。ノルウェー社会では、肌の色や外見で個人が評価され、「男女はどうあるべきか」というジェンダー的な期待が強く求められます。
特に、「ノルウェー語が流暢でない」ことや「ネイティブスピーカーとして見られない外見」は、「若者の自己評価を低くし、社会での存在感を薄くしている」と指摘されました。
こうして、若者の自己評価は低くなります。
- 「自分はこの社会でまるで存在しないかのようだ」
- 「自分には知性がない」
- 「西洋の美の基準に当てはまらない」
- 「私は傷つきやすいのだろう」
※性的マイノリティLGBTQ+をこの記事では「クィア」と統一しています
「他者を教育しなければいけない」重荷
マイノリティは、「他者を教育する」役割を担うことが多く、それが大きな負担となっています。
「マイノリティのコミュニティを代表している」かのように扱われ、アイデンティティや経験について「他者を教育」することはストレスの増加につながります。
こうしたストレスは、社会の至る所で感じられ、一般の人々、友人、家族、地域コミュニティ、職場、医療福祉の場、学校など、あらゆる場面で発生します。
このストレスの代償は、心身の健康状態の悪化、人間関係の問題、孤独感や疎外感など、さまざまです。
ノルウェー社会は、必ずしも「安全で包容力のある場」ではなく、むしろマイノリティの期待に反することも多いのです。移民やクィアは、自分たちのアイデンティティに誇りを持ちながらも、多くの困難に直面しています。
公共サービスと医療における課題
特に医療や公共サービスを利用する際、マイノリティは多くの困難に直面します。
クィアの人々は医療従事者を「教育する負担」や「拒絶される恐怖」から、医療サービスを避けることがあります。
また、移民は移民局に通報されることを恐れて、医療を受けないこともあります。
少数派は、特権性のある人々と比べて、社会的孤立を経験し、対応策を持っていないことが多いのです。
複雑なアイデンティティを持つ人々は、がん医療においてもストレスを経験しています。
強い民族性を持つクィアの人々は、クィアのコミュニティに参加する傾向も低く、アイデンティティの葛藤をより多く経験し、高いレベルのうつ病と関連しています。
高齢のクィアの人々は、医療・社会的ケア部門における差別や虐待を恐れてケアホームの申請を避けることがあります。
対応策 社会全体の認識を高める努力を
報告書ではこのような改善点が指摘されました。
マイノリティ当事者
- 支援的な環境やネットワークを探す
- 身近なストレスの多い状況を避ける
ノルウェー社会全体
- マイノリティの個人またはグループだけの責任ではなく、共有の責任と認識すべき
- マイノリティの問題に対する周囲の認識を高める
- 「ノルウェーは公正で平等な社会」という栄誉に安住することはできない。マイノリティにとって、まだ解決されていない問題があることを再認識しなければならない
- 社会全般、職場、メディアにおいて、マイノリティの背景を持つ人々の代表性を向上させなければならない
職場
- 職場は(マイクロアグレッションのような)「潜む差別」に確実に対処する責任を負わなければならない
- 使用される言語が包括的であることを確実にするために、すべてのコミュニケーションや文書を管理する方法などがある
「安全・自由・幸福な国に住んでいるのだから、感謝しなければいけない」
ノルウェーに来てから、「心がずっと穏やかになったし、一般的にすべてが良くなったし、安全になった」「ここでは、皆をできる限り助けようとする医師や、多くのボランティア、クィア団体がいる」という良い体験談もありました。
しかし、報告書で問われたのは「ノルウェーの平等認識」です。
- 「ノルウェーでも、『物事が完璧ではない』ことを移民が理解するには、時間がかかることもある」
- 「マイノリティである自分たちは、必ずしもこの平等と自由を実感しているわけではない」
- 「ノルウェーの亡命センターでは、参加者の性別は考慮されなかった」
- 「ノルウェー当局がマイノリティの背景を持つ人々のニーズを認識していなかったり、考慮していなかった」
「実際の平等を達成するためには、ノルウェーはもっと努力する必要がある」
「平等というノルウェーの自己認識は、実は国民的な妄想である」という厳しい声もありました。
疑問が投げかけられたのは、「ノルウェーが他の国に比べて長い間、単一文化であり、すべてが平等である」というマインドセットそのものです。
一部の参加者にとって、「ノルウェーの社会は平等であり、差別の問題はない」という考えは、「妄想」や「当事者の体験の否定」として受け止められました。
マイノリティの体験を多数派が否定することで、ノルウェー国家や多数派への信頼を失っている人もいます。
執筆後記
筆者もノルウェーに住んで、もうすぐ16年目に入ります。住みやすい社会で、これからもいたいとは感じますが、同時にこの報告書の多くの指摘で、「よくぞ、言ってくれた!」と何度も思いました。
以前、オスロ大学大学院のサマースクールで「北欧のジェンダー平等」を履修していた時のことです。授業では、「いかにノルウェーにはまだ不平等が残っていいるか」を学びます。
ある他国からの同級生は、この学びを現地のノルウェー人の友人に話しました。すると、徹底的に否定されて、驚いたそうです。「何を言っているんだ、ノルウェーにはそういう問題はない」と。
実はこれは「あるある」です。現地の人も「この社会は完ぺきではない」とは分かっています。でも、「外国人」に指摘されると、ムッとするのです。北欧諸国は全体的に「We are good people」(私たちは良い人だ)という自尊心が強めであるといえます。
「あなたは、世界的に恵まれて幸福だと評価されるこの国にいながら、なんで文句を言っているんだ」と、「体験を疑われる・否定される」ことがあります。
「世界で最も幸福だという国に住んでいるのに、どうして私はこんなに悲しいのだろう」「なぜ、その恩恵を感じられないのだろう」「私がおかしいのだろうか」と悩む現地の人もいるほどです。北欧独特の「マイノリティ体験の否定」といえるでしょう。
想像してみてください。
幸福だとされる北欧社会で、差別や偏見を感じている人がいる。やっと勇気を出して告白してみたら、「この幸せな国で、何を言っているんだ(むしろ感謝しなよ)」。その人の認識や体験を疑うように仕向ける「ガスライティング」をされたら、どう感じるでしょうか。「自分がおかしいのか」と、心を閉じてもおかしくはありません。
北欧に住んでいると、このような体験は、少数派やノルウェーを外側から観察することができる人同士で共有できたりはするのですが、北欧市民に直接言ったら「何言っているんだ、おまえ」と「ガスライティングされる」かもしれません。
「ノルウェーは単一民族国家である」という表現は、ノルウェーに住み始めたら高確率で聞く表現です。ですが、オスロ大学の教授は先住民サーミ人の血も引いているため、この表現は「嘘だよ」と、生徒にはっきりと言いました。「複数の先住民や移民とかが、この社会にもたくさんいるんだから」と。
北欧諸国は「幸福度調査」でトップ常連であることを、耳にした読者も多いのではないでしょうか。実は、あの報告書の「幸せ」には、先住民や移民女性などの体験は反映されていないのです。特権性が高い白人マジョリティの幸福度調査ともいえるのです。
そんな一部の人が感じる「もやもや」が、この報告書ではズバズバと切るように明記されていて、「おお」と、筆者はちょっと感動してしまいました。