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[甲子園]第4日 主将が宣誓したら強い? 横浜・村田監督の母校愛(下)

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

 1回戦、三重に4対2で勝った横浜(神奈川)。2020年に母校の監督となった村田浩明監督にとって、昨年夏の1勝に続く甲子園2勝目が、横浜高校の通算60勝目となった。

 甲子園には出てもなかなか上位に進めず、19年には不祥事が発覚した母校。「再建にはオマエしかいない」という恩師の言葉に心は動いたが、なにぶん県立高校の教諭である。「奇跡的に、20倍という高い倍率の採用試験をパスして」得た立場だけに、迷った。

 2校目の赴任先・白山高校で監督に就任当初、グラウンドは雑草だらけ。前回も書いたが、選手は「楽しいバッティング練習が終わったら帰りたがるような生徒」である。初めての夏だった14年は初戦で敗退し、15年夏は1勝したものの、16年夏も初戦負けだった。

 それでも、根気よく練習を積み重ねると、少しずつ結果が出る。すると選手たちも「練習はきついけど、勝つと楽しいよな」と変わっていく。18年には、北神奈川大会でベスト8まで進出し、横浜商大に敗れたものの手応えを得ていた時期でもある。

 母校をなんとかしたい。しかし、県立で甲子園へという夢がある。迷いに迷ったが、高校時代の恩師・渡辺元智・元監督の「オマエしかいない」という声に背中を押され、20年の春に母校の監督に転じるわけである。だからもう、県立高校教諭という公務員には後戻りできない。退路を断っての転身だ。

夢と希望と感動を与えられるチームに

 ただ、20年にいざ監督として母校に戻ると、すっかり様変わりしていて愕然とした。むろん、時代とともに変わるのは当然にしろ、自分を育ててくれた横浜の規律や緻密さなど、いい部分までもが薄れてしまっている。赴任した20年はコロナ禍で、思うような練習ができなかったが、昨年夏にたずねたときには、こんなふうに語っていた。

「いまは鍛えに鍛えて、組織をしっかり確立できるようにしているところです。あの1998年夏、小山(良男・元中日)さんが開会式で宣誓したように、"夢と希望と感動を与えられるチーム"をもう一度つくりたい。現に私が、あのときのチームに夢をもらっていますから」

 3大会ぶりに甲子園に出場した昨夏は、緒方漣の史上初の1年生によるサヨナラ本塁打で1勝。その後、秋は新型コロナウイルスの感染者が出た。さぞや無念だったはずだ。なにしろ緒方や杉山遥希ら、新チームには力のある選手がわんさかいたのだから。だが、そのときに村田がくれたメールが、性格を表している。

「まずは、子どもたちの健康を第一優先に、全力で治療に専念させます」

 その秋を経て、春は神奈川のベスト8止まり。だがこの夏は、見事に2年連続出場を勝ち取った。村田監督はいう。

「私自身も、エースの杉山も昨秋は陽性だったんです。そういう新チームのスタートを考えると、この白星は大きな1勝でした」

「初戦の硬さがあり、そして朝早い第1試合で体が動かないなかで勝てたことが一番」とは、開会式で選手宣誓をした玉城陽希だ。横浜の主将が宣誓するのは、春夏連覇した1998年の小山良男以来。夏の甲子園で選手宣誓したチームが優勝したのは、そのときが最後だから、これは吉兆である。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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