あらためて「熟成肉」の定義を考える
牛肉は食肉のなかでは消費者の理解が比較的進んでいる分野……だと思っていましたが、先日、「熟成肉」についてテレビの取材を受けたとき、基本的な内容についてもまだまだ理解が得られていないと感じたの(と先日、滋賀県の精肉店「サカエヤ」の新保吉伸さんがnoteで熟成肉について触れていらしたの)で、僕の解釈についても整理しておきます。
日本における熟成肉の成り立ちについては、僕も新保さんとだいたい同じように理解しています。静岡「さの萬」(の佐野佳治さん)がニューヨークからドライエイジングビーフ(DAB)の技術を持ち帰ったところから火がついた印象です。佐野さんが取り組まれたのが2006年頃から。完成させて販売に至ったのが2008年。
日本では伝統的な技法だった「(枝)枯らし」を一気に有名にした「中勢以」が田園調布に出店したのもこの年ですから、まだ日本においてDABも含めた「熟成肉」が脚光を浴びてから10年ちょっとしか経っていないことになります。
その後さまざまな「熟成」手法が生まれます。DABや枯らしのほか、真空パックのことをウェットエイジングと呼ぶようにもなりました、雪で作った室のなかで寝かせる「雪室熟成」を看板アイテムとするレストランもありますし、最近では大学と飲食店の産学連携で、食材を包むだけで熟成肉ができるという「エイジングシート」も商品化されています。
ただ、そこにある「熟成」の作用や反応は少しずつ異なります。にも関わらず、「ざっくり言うと熟成とは」とわかりやすく説明しようとした結果、かえって混乱を招くケースは少なくありません。。物事を簡略化しすぎると正確さを欠く。そのことは、昨今のメディア・報道のあり方を見てもおわかりになるかと思います。もっと言えば、都合のいいことだけを並べ立てたり、事実と違うことを説明するケースだって考えられます。
話が逸れましたが、肉における「熟成」とは何かをまず、整理することが必要です。まず世の中で言われる「熟成肉」に起きていることを要素分解すると「自己消化」「脱水」「発酵」のうちのいずれか、もしくはそれらの要素同士が絡み合う形で成立していると考えていいかと思います。ひとつずつ説明していきます。
1. 自己消化(肉自体に含まれる酵素による自己消化)
本来の「熟成」にもっとも近い意味を持つのは「自己消化」でしょう。そもそも肉にはプロテアーゼというタンパク質を分解する酵素が含まれています。この酵素による自己消化が起きるときにタンパク質が分解され、遊離アミノ酸やペプチドが増加して旨味の増加につながります。さらに遊離アミノ酸の増加は、加熱による香気成分の増加――いわゆるメイラード反応の促進にもつながり、香りの向上にも一役買っていると考えられます。こうして自己消化により、味、香り、風味が増幅します。これが化学的な要素。
もうひとつ、自己消化には物理的な要素もあります。時間をかけて自己消化が進むと、プロテアーゼやその他の作用によって物性自体が軟化します。軟化すれば破断性は上がり、旨味が舌の上に乗りやすくなる。それでおいしく感じられる、と。
2. 脱水(水分の蒸発による呈味の凝縮)
DABや「枯らし」といった手法では肉に含まれる水分が減少します。九州沖縄農業研究センターが同じ個体からの枝肉を右半丸と左半丸で熟成させ、歩留まりや水分量の変化を計測したものがあります。研究では枝肉を18日間「枯らし」を行うと枝肉重量は約1%減少し、部分肉への分割後は重量が約9%減少するという結果が出ています。
枝肉重量で1%というと少ないように思えるかもしれませんし、この実験での水分変動は比較的少なめだと思います。
ただ、枝肉重量が188.9kgの肉のうち1.9kg分が脱水されて、脱骨後の部分肉重量が137.4kg。25%が脂肪だとすると赤身重量は103kg。赤身重量に対して2%近くが脱水されたことになります。一般に肉や魚の保存を目的とした場合、2~5%が脱水の目安とされているので、一定量の脱水が行われていると考えて差し支えないでしょう。水分活性も下がっているので、より保存に向いた物性となっているはずです。
しかも肉から(主に蒸散して)出ていった水分には、前出のタンパク質の自己消化によって、溶解した水分も含まれます。タンパク質が分解されて水分とアミノ酸となり、その水分が脱水される。つまり呈味が凝縮されるというわけです。
3.発酵(外部微生物による"発酵"作用)
そして「熟成」についての理解をややこしくしているのが、「どこまでの作用・反応を、熟成と呼ぶか」問題です。これまで日本では「外部微生物の関与=発酵」、「自己消化=熟成」だと解釈されることがほとんどでした。大豆を納豆菌で発酵させれば納豆に、牛乳を乳酸菌で発酵させればヨーグルトになります。一方で肉とそこに含まれるプロテアーゼの関係のように、含まれた成分による作用は「熟成」と呼ばれることが多かった。ワインやウイスキーなど生産物に関しても、シンプルなエイジングは「熟成」と呼ばれてきました。
そして肉については、近年まで微生物の関与で味や香りが変化するという研究結果が得られていませんでした。カビづけをしたDABと「枯らし」は明らかに味わいが異なりますが、微生物の関与によるものかどうか裏付けが取れていなかったのです。
「熟成の指標となる遊離ペプチドおよびK値(全核酸関連物質を占めるイノシンとヒポキサンチンの割合)は、熟成に伴っておよそ30日間増加し続けるが、それ以降は一定の値で推移した。(中略)熟成中に近隣にカビが存在することによる熟成への影響はみられなかった。」
[ 福井県畜産試験場研究報告 (29), 17-23, 2016-12]
もっとも最近では微生物が関与することによる呈味の変化が証明される論拠が積み上がってきています。カビの関与によって軟らかさや風味が増すという論文が海外も含めて、発表されるようになってきました。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4872334/
そもそもカマンベールチーズやブルーチーズも、独特の風味はカビに由来するものですし、日本の食品でも上等な鰹節(本枯節)の風味はカビづけされているからこそ。。そして長期間寝かせたチーズや鰹節を「熟成」と呼ぶことに違和感を覚える人は、多くはないでしょう。
現状の「熟成」をめぐる混乱を収束させるには、まず「熟成」という言葉を広義のものとして設定し、狭義として「自己消化」「脱水」「発酵」など食品に起きている作用・反応を整理するのも一案ではないでしょうか。生産、加工、流通(飲食)、消費というさまざまなレイヤーでそれぞれが都合のいい言葉を使うのではなく、まず明確な定義を設定し、言語化しておく。アイテムにキャッチコピーをつけるのはいいと思うのですが、どんなものを出しているか説明できないのはよろしくありません。
「熟成肉」を謳う飲食店の中には、「どんな熟成をかけていますか?」と聞くと、いまだに「特別に熟成させた牛肉です」と胸を張って答えてくれる若いサービスの方がいらっしゃいます。元気があるのはいいのですが、答えになっていない回答を堂々と述べられても困ります。悪貨と良貨の間に明確な線を引けば「熟成肉」を謳った店で食べた肉で、お腹が痛くなるような不幸を少しは防ぐことができるのではないかと思います。ご検討いただければ幸いです。
さてここからは当記事にも関わるイベントの告知です。松浦達也が実演、レシピを公開する、実食つき肉イベントを1月31日(金)に開催します。
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