G7が開かれているビアリッツってどんなところ?
今年のG7はフランスのビアリッツが舞台。会期の8月24日から26日までは世界中のメディアで「ビアリッツ」という言葉が飛び交う。
ではビアリッツとはどういうところなのか。G7に先駆けて行われたプレスツアーで、街と周辺の地方(バスク地方)を巡る機会を得た。
この記事では写真を中心に土地の魅力をご紹介したいと思う。
地図で見ると、ビアリッツは6角形のフランスの左下角の部分。スペインとの国境線に近い大西洋岸にあり、パリからは飛行機で約1時間半、列車で4〜5時間の距離だ。
昨今日本でも人気の旅のデスティネーション「バスク地方」の主要都市だが、フランス人はもとよりヨーロッパ諸国の人々にとっては昔から高級保養地として知られている。
ビアリッツがしばしば「皇帝の街」と呼ばれるのはその歴史から。
中世までは漁師町、それも17世紀くらいまでは捕鯨が盛んな土地だったそうだ。ところが近代になって上流階級の間に保養という文化が普及するにつれてこの土地が注目されるようになり、1855年、皇帝ナポレオン3世がスペインから迎えた妃のために壮麗なヴィラを建てたのを契機に、ビアリッツは皇帝の保養地として名を馳せた。すると欧州貴族が贅沢な館を競い合うようになり、カジノも作られ、高級避暑地となっていった。1918年には、ピカソがオルガとの新婚旅行でビアリッツに滞在し『水浴』を描いているが、絵の中にはビアリッツのシンボルである灯台が見える。
今回のG7で首脳たちが宿泊する「オテル・デュ・パレ」は、まさにかつての皇帝夫妻の館で、1903年の火災の後に再建、増築され、現在は5つ星のさらに上の「パラス」に格付けされるホテルになっている。
同じく南仏の高級保養地、コートダジュールに比べるとこちらは風景がダイナミックだ。内海で波穏やかな地中海とは違って、こちらは外海の豪快な波が打ち寄せる浜。サーフィンのメッカとしても有名だ。
その歴史は1956年、ヘミングウェイ原作のハリウッド映画『日はまた昇る』の撮影がバスク地方の海岸線で行われた時、サーファーでもあるプロデューサーがアメリカからサーフボードを持ってきたことに始まる。土地の人たちは最初にその光景を見たとき、キリストが海を歩いていると思ったほどに驚いたそうだが、その後見よう見まねでサーブボードを作り、人気のスポーツとなっていった。今では学校帰りにサーフボードを持って浜へというライフスタイルがごく普通のことだそうだが、2024年のパリオリンピックの時には、サーフィンの会場としてビアリッツが選ばれる可能性がとても高い。
スポーツといえば、ゴルフも盛んだ。ビアリッツ周辺100キロ圏内に16のゴルフ場があるが、中でも「ゴルフ・デュ・ビアリッツ “ル・ファー”」は、ヨーロッパ大陸で2番目に古い歴史を持つもので、1888年に開場している。「ル・ファー」とは、灯台を意味するが、文字通り断崖に立つ灯台を間近に臨むロケーションで、しかも市内の住宅地にある。さらにチャレンジングなコースを求めたいゴルファーにはビアリッツ郊外の「イルバリッツ」。大西洋の波しぶきが降りかかるのではないかと思ってしまうほど海と風をダイレクトに感じるコースで、壮大なスケールの自然の中でプレイが楽しめる。
海辺の高級保養地としての魅力は、町並みにも、市場の賑わいにも表れている。海の幸はもちろん、山バスクからの恵みも豊富。体を気持ちよく動かした後は、大いに食べて飲む。生きることを最大限に謳歌する空気がこの土地には満ちている。
旅では、地元で新しい事業に取り組む人々にも会った。
伝統の革の技法と最新のテクノロジーを融合させた乗馬の鞍を製作している Voltaire Designや水素バッテリーで動く自転車のPragma Industries。
ちなみにこの自転車はG7期間中、ビアリッツの交通手段として200台が提供される予定だそうだ。
そんな中で個人的に最も興味を持ったのは、Laboratoires de Biarritz(ラボラトワール・ドゥ・ビアリッツ)。2011年にスタートしたコスメティックブランドで、海藻を原料にした日焼け止めクリームなどを発表している。製品は、サーフィンと海を愛する創業者ミュリエル・デュボワさん自身の欲求から生まれたもの。海を汚さない日焼け止めクリームは今や地球規模の緊急のニーズだが、近海の海藻成分に着目して製品開発をしたというところが素晴らしい。また、今回のG7では、“格差”というテーマを掲げ、男女の格差にも注目が集まっている中、このように自身の欲求から女性が起業し、事業を展開しているという点もタイムリーな発見だった。
最後に旅の小さな贈り物。
街を歩いていると、地元の案内人の方が「日本のモーツアルトがいた家がある」という。
はて、日本のモーツアルトと言われても、それが誰のことなのかさえ見当もつかず、うながされるままに歩いていくと赤茶色の壁の邸宅の前で止まった。近づいて壁のプレートを見上げると、こう書かれていた。
「1953年 日本の琴奏者 宮城道雄 この建物に滞在」
フランスの南の果てで期せずして懐かしい日本語の響きに遭遇することになった。
次回はビアリッツから内陸へ。緑濃いバスク地方の手仕事を紹介したいと思う。