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シリアの国内避難民の状況と意識

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
ダマスカスのクリスマス風景。独裁政権に動員された俳優さんたちなのだろうか?(写真:ロイター/アフロ)

 粗末な小舟やボートで地中海を渡る人々、バルカン半島の草地を列をなして歩く人々、国境フェンスで足止めされる人々、悪天候にさらされるテントで起居する人々。シリア紛争によって住処を追われたシリア難民については、本邦でも様々な調査や報道、出版物が出回っており、彼らのイメージや、彼らを支援する方法や経路の情報はそれなりに固まっているのではないだろうか。その一方で、ほとんど実態が知られていない紛争被災者として、シリア政府の制圧地に暮らす、国内避難民がいる。

今回は現地情報なんで大ヒット間違いなし

 これまでにも、政府の制圧地で暮らす国内避難民についての報道は皆無ではない。しかし、国内避難民の状況の映像や彼らに対するインタビューには、多くの場合「取材班にはシリア政府の官憲が同行しており、取材対象が本音を語ったとは考えにくい」との枕詞が付され、せっかくの現地情報を分析する道を取材者自身が閉ざしている場合も多い。シリアに限らず権威主義体制下に暮らす人々が当局を恐れて「本音」なるものを語らないのは、ある意味当然なことである。となると、取材や調査を実行する者に求められるのは、強要された「模範解答」が誰のどのような理由・事情を経て作文されたのか、そこにどのような主張やメッセージがあるのかを考察する力量であり、「本音じゃない」と称して思考を停止することではない。

 取材や調査の対象が有用な情報を発しないという現象は、実は自由で民主的な社会でお目にかかる確率の方が高いかもしれない。シリア紛争前からシリア人をはじめとするアラブの諸人民の越境移動の経験とそれに対する意識の調査に取り組んでいた筆者は、同業者や調査の先達から、この点についてたびたび助言や懸念表明を受けていた。特にEU諸国やトルコに在住するシリア難民は、「取材・研究され過ぎ」の状態で、現場の調査機関・調査員の頭痛の種となっている。つまり、自分たちに注がれる過剰な関心を倦んだ者は「取材・研究」に応じなくなるし、「取材・研究」に応じることで利得を得ようとする者は利得を最大化するための虚偽申告の常習者となるのだ。「援助対象者の実態を調査し、需要に応じた援助を実施」という至極まっとうな支援の手法も、より多くの援助や資源を引き出そうとも目論む過小・過大申告を見極める能力があって初めて機能するのだろう。現場(特に紛争地)に出向き、「現地の声」に接するだけで価値があるとは言えないのである。

「現地の声」のオンパレードを聞いてくれ

 それでは、今般筆者も参加する研究事業で実施されたシリアの国内避難民への世論調査では、どのような情報がもたらされたのだろうか。その一部を紹介したい。なお、数値は全て速報値である。

 月収についての回答を見る限り、国内避難民の経済状況は避難を経験していないシリア人よりもかなり深刻である。とりわけ、女性の状況の悪さが目につく。

シリア国内避難民の月収の状況
シリア国内避難民の月収の状況

 「避難民でないシリア在住者」については、月収が200ドルに満たない者の割合が2016年の調査で88%、2017年前半で75%となり、別の情報では2017年後半で3分の2程度となった模様で、「改善」傾向が明瞭だった。しかし、国内避難民については、依然として9割弱が月収200ドル未満となっている。

 今後のシリアの復旧・復興についての国内避難民の意識も重要な観察点である。各国・機関の復興への貢献に対する期待感への回答は、下の図のようになった。シリア国内にいた者にとっては「敵国」扱いのアメリカ、イギリス、フランス、サウジ、トルコ、カタルへの期待感が低い一方、「味方」扱いのロシア、イラン、中国へは肯定的な反応である。その中間に位置するのが、日本、スウェーデン、ドイツ、国連である。

各国・機関の復興への貢献に対する期待度
各国・機関の復興への貢献に対する期待度

 日本への期待感は、紛争前のシリアにおける素朴で実質的な根拠のほとんどない親日観に鑑みれば、「相当低い」ように見えるし、紛争を通じて実質的には「敵国」として振る舞った日本の行動に鑑みれば「意外に高い」とも見える。

プロパガンダなんて馬鹿げてると言ったろ

 今般の調査に対しても、「独裁政権のプロパガンダであり、見る価値どころか調査実施の意義すらなし」という、観察・分析の資質を欠いたコメントが当然寄せられた。しかし、プロパガンダや虚偽情報ならば、それはそれで分析する点はいくらでもある。例えば、今般の調査結果が全て「独裁政権」に強要された虚偽申告ならば、それを通じてシリア政府は何がしたかったのだろうか?月収についての調査結果を見れば、「政府の制圧地は地上の楽園であり、国内避難民も含め人民はみな幸福に暮らしている」という宣伝の役に立たないのは明らかである。逆に、窮状を誇張して各国・機関に「援助を出せ」と言いたいのだとしても、調査結果は「援助を求める前に課題に対処せよ」と指摘する材料の宝庫である。女性の困窮が著しいのは、「紛争で虐げられるのは常に(弱者である)女性」などという表面的・形式的な感想で済ませられる問題ではない。従来彼女らのための稼ぎ手だった青壮年のシリア人男性が紛争によって姿を消しているからだ。その理由は、死亡の他に軍・民兵組織への動員、逮捕・拘束・誘拐、軍事的動員を嫌った逃亡などである。死者を生き返らせることは不可能でも、シリア政府には動員解除、恩赦、政治・社会的和解の促進など、稼ぎ手を呼び戻すために講じるべき措置が多数ある。今般の調査結果を一瞥しただけでも、結果がプロパガンダや虚偽だったならば隠蔽されているはずの「独裁政権にとっての不都合な真実」なんていくらでも発見できそうだ。

 復興への各国の貢献に対する期待度についても、実は日本への期待度は正直なところ論評に困る中途半端な高さ/低さである。シリア当局がこれまでずっと大統領選挙での現職の信任・得票率9割以上を達成してきた実力(?)の持ち主であることに鑑みれば、彼らが日本を含む各国への期待感を表明させて、シリア政府との関係改善を促したいのならもっと極端な数字が出るように思われる。また、2018年末に「敵国」であるUAEやバハレーンの在シリア大使館の業務を再開させたように、シリア政府の首脳や情報機関の人々は必要があって一定の条件を満たせば、賢明かつ悪辣に対外関係を営むことができる。各国への期待感は、何かの主張を背景としたプロパガンダとしてはメッセージ性に欠ける結果となった。

 プロパガンダ・ニセ情報は見る価値なしというのならば、「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派の広報活動もプロパガンダ・ニセ情報のお手本のようなものなので、それを一生懸命観察している者は筆者を含む観察者や、軍事・インテリジェンス業界の人々もみな長年無駄な努力をしてるいことになる。そうした営みが無駄な努力でないのは、それらを「そういうもの」として観察し、発信者の意図や関心事を察知する手掛かりの一つとして利用するからだ。現地情報でもプロパガンダでも、それを分析する能力を欠いて表面的な印象や好悪を述べるだけでは、無意味どころか対策を立てる上では有害といえる。シリアにおける世論調査から得られる重大な教訓は、先入観と思考停止こそが優れた分析の大敵だということだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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