映画『ミツバチと私』。僕は男か? 私は女か? それとも…
原題の『20.000 especies de abejas』とは「2万種類のハナバチ」の意。グーグル検索をして種類の多さに驚いた監督が名付けたそうだ。
つまり、「多様性」をテーマにした作品である。
主人公の名前はアイトール、ココ、ルシアと3つ出てくる。アイトールは生まれた時に両親が名付けた名前で、男性名。ココは本人が名乗っている名前(愛称)で、男性名でも女性名でもある。ルシアは本人が名乗ることに決めた名前で、女性名だ(ちなみに主人公を演じた子の本名ソフィアは、女性名だ)。
■アイトールと呼ばれたくない!
心の性と体の性が違うことで、主人公はいろいろな困難に直面するのだが、その一つが名前である。
社会には男性名、女性名というのが厳然と存在する。主人公は心の性は女性だが、体の性は男性。なので男性名アイトールで呼ばれたくない。
服装も男女で違う。
男性の服、女性の服というのが厳然と存在する。どんな服を着るのか、どんな水着を着けるのかが大問題になる。
髪型も男女で違う。
男性の髪形、女性の髪形というのがある。主人公が長い髪を切りたがらないのは、女らしくありたいからだろう。
■お前は男か? それとも女か?
慣習も男女で違う。
スペインでは男と女、女と女の挨拶はほっぺたへのキスである。主人公が挨拶のキスを頑なに拒否するシーンが出てくるが、心の性と体の性が違う場合はどうすればいいのか?
場所も男女で違う。
ロッカールームやトイレや公衆浴場は男性用と女性用に分かれている。どちらに行けばいいのか?
話し言葉も男女で違う。
邦題が『ミツバチと私』であって『ミツバチと僕』ではないのは、主人公の心の性を尊重してのことだろう。
あと、スペイン語の名詞と形容詞の語尾は、性別によって変化する。男友だちはアミーゴ(amigo)で、女友だちはアミーガ(amiga)。例えば「私は満足している」は、話し手が男性ならSoy contentoで、女性ならSoy contentaである。
主人公はどちらかの言い方を選ばないといけない。
■トイレは今すぐ。現実は待ってくれない
こうして主人公は生活の様々な場面で、「男性なのか?女性なのか?」と問われ続け、どちらかの性を選ぶことを強要され続ける。
本来、男性と女性のどちらかを選ぶかは本人の自由だし、それこそ「決心がつかない」とか「決めたくない」という答えでもいいわけだが、例えばロッカールームやトイレは今すぐ選ばないといけない。
現実の生活は迷いを許さず、待ってもくれない。
そうして、どっちを選んでも苦しむことになる。
体の性の方を選べば内面で心の性との違いに葛藤することになり、心の性の方を選べば周囲の好奇の目にさらされることになるからだ。
主人公は8歳だ。
まだ子供ゆえに過酷な状況だと言えるが、まだ子供ゆえに体形の変化という問題には直面しなくて済んでいる、とも言える。
第二次性徴を経て体付きが男らしくなると心の性=女性とのギャップが大きくなり、苦しみも深くなると思うからだ。
これをリアルに描いた『Girl/ガール』という佳作があった。
アカデミー賞候補『ローマ』『ブラック・クランズマン』『ファースト・マン』に人気勝ちの『Girl』とは
■トランス法は成立したけれど…
なんとか主人公の苦しみを解消できないか、と思う。
スペインでは昨年「トランス法」が成立。16歳以上は無条件で性別変更が可能になり、16歳未満でも条件付きで性別変更が可能になった。つまり、主人公はアイトールではなく、ルシアとして生きていける、法的には。
しかし、現実には問題が残っている。
前述したように、トイレやロッカールームは今も男女の区別しかない。ルシアはどちらを選んでも苦しむしかないからだ。
『ミツバチと私』はスペインで45週を超えるロングラン、20万人超を動員するヒット作となった。
頭の中では理解したつもりになっている、リアルな苦しみを実感してほしい。
※写真提供:サン・セバスティアン映画祭