なぜあいさつ返しがないのか? 禅問答からの答えーニッコリ笑顔であいさつを!
みなさんこんにちは!
前に書いたコラム「話しかけはあいさつから」を読んだ読者から「あいさつ返しがない人がいるのですが、なぜでしょうか?」と聞かれました。あいさつをしてもいっこうに返してくれないのは隣人だといいます。なぜかなと考えるたびにモヤモヤするというのです。
私にも同じ体験があります。そこであいさつ返しをしない人の心理とは何か?なぜ返さないのか?今回はこの答えをいっしょに考えてみましょう。
あいさつには大きく二つの目的がある
そもそもあいさつは何のためにするのでしょうか?
<あいさつは礼儀>
あいさつを交わすのは礼儀•礼節である。
<あいさつは習慣>
「おはよう、こんにちは」など無意識にする習慣である。
<あいさつはふれあい>
近況を尋ね合うことで相手を思いやる。
あいさつは礼儀や習慣であり、人を思いやることですね。あいさつには別の狙いもあります。
<お客様への話しかけ>
「いらっしゃいませ」「ご自由にご覧ください」と相手の存在を認めたという報せをする。
<相手に注意を向ける>
警察官が不審人物に職務質問をする。あるいは一人歩きをしている高齢者に声をかける。
<相手の警戒を解く>
逆に「私は不審人物ではない」と弁明する。
あいさつには認知や警戒をするため、あるいは警戒心を解くという側面もあります。このようにあいさつには「心を開き合う」狙いと「心を確かめ合う」狙いがあります。
この二つの狙いを的確に表すのが「挨拶」という漢字の語源です。
「挨拶」にある真意とは?
漢字辞典にある「挨」と「拶」の意味は次の通りです。
『挨』:「せまる」「そばにくっつく」「身動きできないほど近寄る」
『拶』:「せまる」「ぎりぎりに近づく」「すりよせる」
挨拶の語源は「一挨一拶(いちあいいっさつ)」という禅問答からと言われています。禅師が門下の弟子に様々な話しかけをします。例えば両手でポンと音を鳴らして「両手の音はわかる。では片手の鳴る音はいかに?」と問う。弟子が「わからない」と言うと、師はアタマで考えるな、ありのまま感じなさいと諭します。このように二人の僧侶が悟りの深浅を測り合うのが「挨拶」です。
そこで「なぜあいさつを返さない人がいるのか?」という疑問にもどりましょう。ネットにある心理学コラムを読むと「他者に関心が薄い」「自分のことに没頭している」「あいさつしても得する事がない」からとあります。果たしてそうでしょうか?
私の正直な答えは「わからない」です。あいさつ返しをしない相手に聞いてもわからないし、ある体験を通じてそう確信しました。
ニッコリ笑顔であいさつを!
私の家の近所に必ず「こんにちは」とあいさつをする人々がいます。養護学校の生徒たちです。彼らは社会に出るための自立訓練で、あいさつを励行しているそうです。出会う人に誰でもあいさつしなさい、社会で生きるためにそうしなさい、と指導されているのです。
彼らとすれ違いざまにあいさつをされました。ところが最初のうち、私はあいさつ返しをしていませんでした。それにハッと気づいたのです。
なぜ私はあいさつを返さないのか?
無意識にしなかったのか?あるいは心の隅で知的障害のある人を見下し、存在を軽視していたのか?ハッキリとしませんが、こう決めました。
私からもあいさつをしよう!
あいさつを返さない理由は心の奥のどこかにある。おそらくネガティブな思いでしょう。誰もがそんなものではないでしょうか。そこで理由探しはやめて、あいさつをしようと切り替えたのです。あいさつを返しをもらいやすくなる練習法も考えました。
それが今週話しかけドリル「笑顔であいさつトレーニング」です。鏡を見ながら自分に話しかけるのです。
1、最初は普段どおり「こんにちは」と。
2、次は笑顔をつくって「こんにちは」と。
二つの顔に違いがありませんか?最初の表情は仏頂面ではありませんか?ひょっとすると相手はあなたのそんな表情を見てあいさつ返しをしないのかも。しかし理由探しよりあいさつを!それの方が誰もが幸せに近づきますから。