新学期を迎えるきみへーひとりぼっちの子がいたら〝話しかけられアプリ〟に変身して話しかけよう!
8月の末とかけて、話しかけて、話しかけられよう、とときます。そのこころは…(最後に書きます)
私は学校嫌いでした。嫌いというより、学校というものがわからなかったのです。友人や仲間というものがどこか別世界にいる人びとで、交わりにくかったのです。彼らも私をわからなかったのでしょう。だから私は小学校でも中学校でもひとりぼっちでした。
しかしそんな私より、もっとひとりぼっちの子がいました。
クラスにいた無口な子
小学校時代の宮原さんという女子です。念のため仮名です。宮原さんは痩せて手足が長くて、おかっぱで、目は大きくて、いつもうつむいていて、めったに口を開きませんでした。授業で指されて朗読するときや答えを言うときは、耳を澄まさないと聞き取れないほどの声でポツリ、ポツリと声をだしました。
そういう子に限っていじめにあうものです。
宮原さんはクラスで無視をされていました。休み時間にも机にひとり座っていました。ペアになりなさいと先生が言うと、宮原さんの隣になった子が「いや!」と言って別の組と3人組を作るのです。宮原さんはひとりっきりになって、先生と組になっていました。給食でも隅っこでひとりでした。クラスの子が彼女をなんと呼んだでしょうか。
「ばっちい」でした。
昔のことですから「エンガチョ」という子もいたかもしれません。要するにあっちいけ、こっちに来るなといういじめでした。下校時に宮原さんの姿を見かけることがありました。道の端を、電信柱と塀の間をつたうようにして歩いていました。
その時、何度か話しかけようとしました。しかし距離は縮まりませんでした。自分のことじゃない、それに何もできないと思ったのです。誰かに見られて、宮原さんに声をかける子というレッテルを貼られるのが怖かったのかもしれません。
後年、こんなことが言えればよかったと何度となく考えました。
話しかけられなかった自分
もしもそんなことが言えたとしても、宮原さんはかすかにほほえんで、またうつむいたかもしれません。ただ涙をこぼしたかもしれません。なにしろ自分もまた道の端っこをひとりで歩いていたのですから。話しかけられなかったのです。
ひとりぼっちの子、いじめにあう子は、自分の思いを話しづらいものです。電話相談でさえできない子もいます。そこで今どきは学校に配布されたタブレットで、オンラインチャットによる悩み相談もできるそうです。リアルで相談できなくてもチャットで吐き出せるなら、やってみたらどうでしょうか。
ひとりぼっちの友だちに話しかけやすくなる、方法があります。
〝話しかけられアプリ〟に変身しよう!
提案とは「話しかけられアプリになって話しを聴いてあげよう」です。
アプリはONやOFFも、実行しろもやり直せも、全てアプリを操作する人が決めます。ひたすら命じられたコマンドを実行するのみです。あなたは、いわば相手の〝話しかけられアプリ〟に変身するのです。
相手が悩みを打ち明けたくなるまで待つのです。口を開く=スイッチがONになるまで。話しだしたらひたすら聴くのです。あいづちが必要なときは共感ワードを入れましょう。「そうだったんだ」「思いがわかったよ」「つらかったんだね」「気づかなくてごめん」。聴くだけでいいのです。こうしたらいいよ、先生に言おうか、といった解決策はいりません。ただ聴いてください。
なぜなら気持ちを吐き出すこと自体が、解決策だから。ネガティブなことを吐き出すと、その空いたスペースにだんだんと勇気がなだれ込んできます。勇気は圧縮されて、いずれポン!と弾けます。勇気とは誰かに復讐することとは限りません。何か始めるとか、没頭してやるとか、なになにをしたい!と宣言するとか、一歩踏み出すことです。
キラキラするビー玉のようになれ。
私たちは色とりどりのビー玉のようなものです。みな違う色ですが、みな丸い形をしています。ぶつかり合って転がっても、時間がたつとだいたい同じところに集まってきます。みな丸くて、みな同じ人間だからです。そのきっかけが話しかけであり、話しかけられなのです。話しかけには転がりをうながす力があります。話しかけると「だれもが丸いんだな」と気づいて、みんながキラキラをとりもどしていきます。
さて最後に『8月の末とかけて話しかけて、話しかけられようとときます』の後ろですが、そのこころは「新学期から率先して話しかけを!」です。来週から新学期が始まります。今回の話しかけドリルは、このコラムのことを身近な子どもたちに話しかけることです。「話しかけられアプリってあるらしいよ」「なにそれ?」という話しかけをどうぞよろしくお願いします。