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1994年にマイナス123センチの観測史上最低の水位を記録した琵琶湖で起きた驚きの出来事

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
筆者撮影

平年の3分の1の雨量で水位はマイナス123センチに

琵琶湖の水位は12月7日午前11時の時点でマイナス73センチになりました。川や湖からの取水量を減らすことを「取水制限」といいますが、今後も水位低下が続き、マイナス90センチになると実施される可能性があります。

近年では1994年、2000年、2002年に取水制限が実施されていますが、過去最低水位のマイナス123センチとなった1994年にどんなことが起きたかを振り返りながら、今後を予想し、雨と私たちの暮らしの関係について考えてみたいと思います。

1994年の水位低下の原因も少雨でした。6月、7月、8月の雨量の合計は208ミリで、1894年の観測開始以来最少、平年の632ミリの3分の1ほどでした。

マイナス76センチになった8月9日、滋賀県は渇水対策本部を設置します。その後も水位は下がり続け、8月末には、当時の観測史上最低のマイナス103センチ(1939年12月)を更新。9月15日にマイナス123センチになりました。彦根市の新海浜沖では、砂州が点々と浮かび上がり、まだら模様を描き出していました

1992年3月に定められた近畿地方建設局の運用規定では「マイナス150センチに達した時点で、建設省の決定に基づき人道上必要な最小限の取水量となるよう努める」とされています。

そのマイナス150センチが目の前に迫り、滋賀県の稲葉稔知事(当時)は「上水道は1人の人間が生活していくうえでの最低量を供給する。工業用水は極力再利用でまかなってもらいたい」という厳しい発言をしました。

観測史上最低の水位で起きたこと

そのときどんなことが起きていたかをまとめておきます。


近畿地方での水不足

琵琶湖は近畿地方の水瓶です。水位低下を受け、滋賀県では取水制限が行われましたが、大阪、京都、兵庫各府県でも琵琶湖・淀川からの上水、工業用水、農業用水の取水制限が行われました。9月10日には15%から20%に強化されました。大阪市水道局は「バケツで洗車210リットル、洗濯のためすすぎ55リットル、食器のため洗い80リットル、風呂水の再利用90リットル」と具体的な節水方法をまとめたチラシを市民に配布しました。現在でも琵琶湖は滋賀県はもとより、京阪神地域に生活用水、農業用水、工業用水を供給し続け、1400万人の住民の暮らしを支えていますから、今後の影響が懸念されます。


水質の悪化

前述のマイナス150センチになると、湖岸のなぎさが湖北町延勝寺沖で500メートル後退し、近江八幡市や守山市沖でも240メートルは陸地化すると考えられています。すると水草は枯れ、植物プランクトンが増えて、アオコが多発し水質悪化につながると懸念されました。

さらに琵琶湖の渇水で淀川の流量が減ると、河口から上がってくる海水の量が増えました。そのため最下流にある大阪臨海工業用水道企業団の取水場の塩分濃度が平常時の3倍以上に上がりました。企業への給水に支障が出るため、上流に取水口を持つ大阪府や大阪市に給水の肩代わりを求めることが検討されました。

交通渋滞

なぎさが200メートル後退した大津市本堅田の「浮御堂」周辺に観光客が押し寄せ交通に影響が出ました。国道から浮御堂まで道路500メートルは1日中、車が数珠つなぎになり配送などに影響が出ました。坂本城の石垣跡が湖底から姿を現した大津市下阪本三丁目の国道161号沿いも違法駐車が続出しました。

ヨシが季節はずれの新芽を伸ばす

ヨシが水に近づこうと沖へと群落を広げました。例年、新芽を出すのは春先ですが、水位低下が始まった7月ごろから再び、芽を出しました。水位低下を察知し、これまでの植生地から1〜10メートルほど生息域を沖に張り出しました。

秋雨と台風の恩恵と脅威

しかし心配された琵琶湖の水位は、その後のまとまった雨でV字回復します。

9月16日、秋雨前線の影響で、琵琶湖流域の平均雨量は降り始めから17日午前9時までに122ミリに達しました。琵琶湖の水位は流域の平均雨量100ミリで30センチ上昇すると言われています。18日には琵琶湖の水位はマイナス100センチへと上昇しました。

さらに9月29日に台風が上陸しました。台風26号は29日19時半ごろ和歌山県南部に上陸し近畿地方を縦断、30日未明に日本海へ抜けました。琵琶湖の水位はマイナス65センチとなりました。その一方で、各地で河川が氾濫しました。滋賀県永源寺町市原野の蛇砂川の堤防が左岸40メートル、右岸100メートルにわたって決壊して、田んぼなどに水が流れ込み、付近の住民が公民館などに避難しました。

雨は恩恵と脅威を同時にもたらすものだとわかります。


その後も琵琶湖の水位は回復し、1995年3月28日、標準水位からマイナス9センチになったことを受け、滋賀県の異常渇水緊急対策本部は解散しました。水位がマイナスの1ケタになるのは1994年6月7日以来294日ぶりのことでした

京セラドーム1296杯分の雨

雨は年間通してほどほどに降ってくれるとありがたいのですが、そうではありません。1995年5月に琵琶湖は季節外れの大雨に見舞われます。降り続く雨で琵琶湖の水位はぐんぐん上昇し、戦後3番目というプラス93センチを記録します。前年9月15日のマイナス123センチから216センチの上昇です。

琵琶湖全体で水位1cmの変化は、

琵琶湖の面積680km2×1cm=680万m3(トン)

で、京セラドーム大阪6杯分の水量とされてますから(独立行政法人 水資源機構 琵琶湖開発総合管理所)、このときの水量の変化は、京セラドーム1296杯分ということになります。

いいことばかりではありません。5月の雨による増水で、琵琶湖岸の砂浜は計320メートルにわたって浸食され、松の根や公園の遊歩道のブロックがむき出しになりました。安曇川ではアユを取るヤナ場が濁流で壊れ、壊滅的な被害が出ました。雨は多すぎても少なすぎても暮らしに影響を与えます。


今年はすでに秋雨シーズン、台風シーズンが終了、状況は1939年に似ている

1994年の渇水は秋雨と台風によって解消されていきました。しかし、今年はもはや秋雨も台風も期待できません。では、冬場にマイナス103センチを記録した1939年の干ばつはどのように解消されていったのでしょうか。

1939年は西日本全域で史上稀に見る干ばつとなりました。じつは今年も西日本を中心に渇水が深刻化し、各地で取水制限もはじまっています。

Yahoo!ニュース「西日本を中心に渇水、取水制限もはじまる。効果的な節水方法は?」

1939年は5月から少雨傾向で、梅雨時の降水量も夏場も雨が少なかったのです。8月には瀬田の唐橋が陸橋化し、近江八幡の八幡堀が干上がりました。秋になっても台風が来ず、10月からも少雨が続き、結果として冬場にマイナス103センチを記録したのです。

気象庁の観測データをもとに筆者作成
気象庁の観測データをもとに筆者作成

興味深いのは、1939年が琵琶湖に降った雨がいちばん少なかったというわけではないことです。琵琶湖の降水量を少ない順に並べると以下のようになります。年間の降水量よりも降る時期の影響を受けやすいということでしょう。

主な琵琶湖流域の降水量の少ない年
1994年 1208ミリ
1894年 1277ミリ
1939年 1352ミリ
1973年 1411ミリ
1978年 1430ミリ

1939年の場合、上のグラフのとおり、翌1940年になると1月、2月ともに平年を上回る雨量になり、水位は回復していきました。今年も今後の雨に期待したいところです。

いずれにしてもお天気次第ということなのですが、滋賀県の報告書によれば、気候変動によって「記録的な豪雨や豪雪、晴天高温の連続といった寒暖差や降水の変化は琵琶湖の水環境の変動に大きく影響している」とされています。

気候変動によって長期間、雨の降らない日が続き、降るときは一時期に大雨が降るという傾向になっています。私たちは干ばつや洪水になりやすい時代に暮らしており、雨とのつきあいかたを考えていかなくてはならないでしょう。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

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