日清カップヌードルCM放送中止 本当に“悪い”のは誰か
3月30日から放送開始された日清食品「カップヌードル」の新CM「OBAKA's UNIVERSITY」の第1弾がわずか1週間足らずで放送中止となった。
ホームページに掲載された「カップヌードルのCMに関するお詫び」には以下のように書かれている。
当該CMは、矢口真里や小林幸子、新垣隆らが出演。自らのスキャンダルなどを思わせる“自虐ネタ”を繰り広げる中、ビートたけしによるナレーションが入る。
そして「いまだ! バカやろう」というコピーが踊る。
このCMに対し、視聴者からクレームが寄せられCMの放送を取りやめたのだ。
「世間の声とかどうでもいい。大切なのは自分の声を聞くってことだろう?」と謳ったCMが、それを逆行するかのように「お利口さん」的な解決法を選んでしまったのだ。
この一件でもっとも「悪い」のは誰なのだろうか。
批判の元となったスキャンダルを起こした出演者だろうか。
そういう人をキャスティングしCMを制作した人だろうか。
あるいは、そんなCMにクレームを入れる人だろうか。
その誰でもないだろう。
以前の記事にも書いたように、クレーム自体が問題なわけではないし、クレームを寄せられる作品が問題なわけではない。
問題はクレームに屈することだ。
だから今回最も責められるべきは、クレームに対し、放送中止を決めたことだ。
このCMのメッセージは「何事にも無難に」という昨今の風潮を痛烈に批判したものだった。
前述の「お詫び」には「今回のCMのテーマであります、『CRAZY MAKES the FUTURE.』のメッセージを伝える『OBAKA's UNIVERSITY』シリーズは、若い世代の方々にエールを贈ることが主旨」とあるが、今回のCM放送中止に寄って真逆のメッセージを伝えることになってしまったのだ。
もちろんクレームに真摯に対応した結果が放送中止するしかないのならば仕方がないが、CMのメッセージとあまりにも矛盾している。
批判の矛先が「不寛容になってしまった社会」や「クレームをする人」に向けられたままでは、いつまでもこうした決定がなくならないだろう。
「批判される」のを恐れるから放送を中止するという事なかれ主義。
だったら、放送を中止すること自体をクレームよりも大きな声で批判するしかないのではないか。
あとは、この騒動を逆手に取った“続編”CMが制作されるのを願うばかりだ。