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音響と映像でトリップ体験! 映画『イン・ジ・アース』

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
魔術と儀礼で森との会話を試みるザック。変な人は往々にして自信たっぷりである

BBCのドキュメンタリーによれば、森の木々は菌糸で繋がっていて、栄養のやり取りをしたり、化学的で電気的なサインを送り合ったりしているそうである。そのやり取りには、親木から子木、仲間の木への優先的な栄養の配分であったり、敵対する木の栄養を盗んだり、毒を送り合うこともあるという。

にわかに信じがたいが、事実らしい。

ただ、その現象から人間的な親子の情や仲間愛、敵対心を汲み取るのは、おそらく間違っているのだろう。

木は単に生き残るため、種の繁栄のためにそうしているだけで、“愛しい私の息子”と思ってそうしているわけではないからだ。

その証拠に、あくまで繁栄のためゆえに親は子へ無条件に栄養を注ぐ、そこに子への虐待とか親への裏切りなどという、人間的な感情は一切介入しない。

■森と会話したい、という願望がねじ曲がる

こういう現象を見て、“森は生きている”とか“森のネットワーク”とか呼ぶ人が出てきても不思議ではない。

が、菌糸のネットワークを通じて木々がコミュニケーションしているのなら、“私も木々と、森とお話してみよう”と発想することから話がちょっとおかしくなる。

木々がコミュニケーションすることと、人間が木々とコミュニケーションすることは全然次元の違うものだが、それが混同されて事実が少しずつ曲がっていく。

実は日常的に私たちは植物とコミュニケーションしている。

例えば、花や野菜を手を掛けて育てると花の発色が良くなり、大きな実を付ける。これは十分、人と植物のコミュニケーションだと思うが、それに満足できない人がいる。「元気ですか?」と尋ねて「元気です!」と返して欲しい人がいる。

この作品の登場人物、ザックとオリビアがそうである。

ただ、2人のアプローチの仕方が違う。

ザックは儀式や魔術を通じて、オリビアは科学的な手法を通じて森と会話しようとする。とはいえ、どちらも根っこは共通。“森とコミュニケーションしたい!”という純粋だが、ちょっと変な願望に動かされている。

■音と光で我われは飛び、旅に出る

とまあ、ちょっと変な森の住民2人と、常識人である主人公たち2人が出会うことでお話が進んでいく。

常識人たちは、普通だけど変な人たちと交流することで奇妙な出来事に巻き込まれていく。

真っ直ぐな線が少しずつそれてひん曲がっていくような。事実から出発して少しずつズレていき、気が付いたら荒唐無稽になっているような。

空気中の胞子に反射する光。オリビアは音と光で森とのアクセスを試みる
空気中の胞子に反射する光。オリビアは音と光で森とのアクセスを試みる

見ている我われは常識人の視点で、彼らの旅を追体験していく。

その際に効果的に使われているのが、音と映像だ。

フラッシュ、点滅、ハレーション、エコー、ハウリング、ノイズ、打撃音、ソラリゼーション、暗転……。エフェクト満載の音と映像の洪水が、我われを奇妙な旅に導いてくれる。

ホラーだから怖い、直視できない痛いシーンもあるが、何よりこの作品の見どころというか「感じどころ」は、お話と映像と音響が一体となって連れて行ってくれる、変な体験、混乱にある。真っ直ぐな道が迷路になり、常識がひん曲がってトンデモになる。

映画『バベル』による健康被害が話題になったが、あれの比ではない。ぜひ、日本のみなさんに、健康を気にしつつ、大きな映画のスクリーン、ボリュームを気にしないで済む音響・防音設備で体験してほしい。

人は社会的な動物ゆえにコミュニケーションをする。よって、森での孤独はしばしば人を狂気へと導く
人は社会的な動物ゆえにコミュニケーションをする。よって、森での孤独はしばしば人を狂気へと導く

※写真はシッチェス映画祭提供。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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