【長崎市】色んな角度から見る日本三名橋「長崎眼鏡橋」
長崎のシンボルともいえる長崎眼鏡橋。
長崎眼鏡橋は国の重要指定文化財に指定され、日本三名橋の一つといわれています。
そんな長崎眼鏡橋について、いろんな角度から魅力を紹介します。
外から見る眼鏡橋
メインの眼鏡橋の紹介の前に、眼鏡橋の脇の通りにあるベンチを見たことはありますか?
セパレートベンチがいくつかありますが、仕切りの形が眼鏡橋に似ているベンチを2つ発見しました。
ここに座ってみると眼鏡橋を眺めるのに良いアングルでした。
歴史からみる眼鏡橋
色んな人たちが集まる長崎眼鏡橋が、建設されたのは1634年。
興福寺の二代目住職黙子如定が参詣者のために作ったと言われていますが、詳細は不明です。
1663年に興福寺が火事に遭い記録が消失したため、詳しい資料が残っていないからです。
しかし、日本で初めてアーチ型に作られた石橋であり、日本最初の唐風石橋とも言われています。
川面に映る姿が合わさって眼鏡の様に見えることから『めがね橋』と地元の人たちに言われ、正式に眼鏡橋と命名されたのは1882年(明治15年)のことでした。
橋の手すりを支える柱があります。これは『束柱(つかばしら)』といいます。
長崎眼鏡橋の束柱は左右対称ではありません。
水害で流失したところを補てんした際に一本追加したため左右非対称になりました。
地味に気付きにくいところですが、ここにも眼鏡橋の歴史の面白さを感じることが出来ます。
次に長崎眼鏡橋を下から見てみましょう。
下から見る眼鏡橋
意外に素通りされてしまうのですが、眼鏡橋を下からも見てほしいです。
昔の中島川は水害が多く何度も橋をかけては流されていました。
今度こそ流されないためにと、橋の真ん中に橋柱を作り二連アーチにし、石材は漆喰で付け合わされています。
中島川には他にも橋がいくつか並んでいますが、この形をしているのは眼鏡橋だけです。
この長崎眼鏡橋の技術は、諫早眼鏡橋のほか、皇居の二重橋にも取り入れられています。
お手本にもなっているそんな造りを間近に、しかも裏側まで見られるのもここだけではないでしょうか。
ちなみに、1982年(昭和57年)長崎大水害の際に長崎眼鏡橋は大きな被害を受けました。修復する際に、強化するため参考にされたのは、なんと諫早眼鏡橋の技術です。
橋を造る技術を与え、強化する技術をもらう。この情報を見つけた時はとても感動しました。橋の下を見た後は川沿いをそのまま歩いてみましょう。
川沿いの楽しみ方
長崎眼鏡橋がある中島川の外壁には、ハートの石が埋め込まれています。
このハートの石は最初からあったわけではありません。
長崎大水害後、外壁の修復に取り掛かった石工職人が遊び心で作ってはめ込んだとか。
一番有名なハートの石の上には『i』の文字をかたどった石があります。
カップルにはとても人気なスポットです。このハートの石に触ると幸せになれると言うジンクスがあり、最初は恋愛スポットでした。Instagramが流行りだしてからは、映えスポットとしても有名になっています。
実は意外に知られていませんが、ほかにもハート型の石がいくつか隠れています。
長崎のシンボルにもなっている長崎眼鏡橋。
歴史も深く、遊び心もたくさん詰まっている場所となっています。
さまざまな角度から眼鏡橋を楽しんでみてはいかがでしょうか?
【長崎眼鏡橋】
住所 長崎県長崎市魚の町
電話番号 095-829-1193(長崎市文化観光部文化財課)
アクセス 路面電車 めがね橋から徒歩2分
長崎バス 中央公園前 徒歩2分
長崎県営バス 親和銀行前 徒歩2分